赤い栞紐

ねむるこ

第1話

私は小さい頃から本を読むのが大好きだった。

そのお陰で言葉を覚えるのが早く父と母に褒められた記憶がある。弟や幼稚園の友達の前でよく絵本の読み聞かせをしていた。祖母に自分の作った物語を眠る間に聞かせて「すごいねえ。将来は作家さんかな?」と言われたこともある。


物語は私を見知らぬ世界へ連れて行ってくれるのだ。

私は読書という行為はどこかへ冒険するという感覚に近いのではないだろうかと常々考えている。


見たことのない土地に見たことのない人たちが目の前に息づいているように感じるのだ。そしてもっとその人たちを知りたい!と思うようになる。読み進めていくうちに登場人物たちも私と似たようなことで悩んでいたり喜んだり悲しんだりしているのを目の当たりにして「私だけじゃないんだ。」と勇気をもらった。


正体不明の言葉にできない絶望だって、本の中で正体を暴くことができる。絶望を言語化できた時、私はやっとその正体に気が付いて絶望の恐怖から解放されるのだ。私は何度物語に救われてきたのだろう。


私も物語を書きたい!

そう思うようになったのは小学校四年生ぐらいの頃だった。学習ノートや原稿用紙に文字を書き連ねた。どんな世界で、どんな登場人物が出てくるのか自分の言葉でまとめる。まるで小説家みたいだなと一人で得意な気持ちになった。


本や映画にドラマ。漫画やアニメなど今までに私が冒険してきた様々な物語を参考にしながら夢中になって鉛筆を動かしていく。


そんなある日私に絶好の機会が訪れた。

学校の図書委員会で図書館の利用率を上げるために本をたくさん読んだ生徒に何かプレゼントを渡そうという企画が持ち上がったのだ。


本が大好きだった私は勿論図書委員に所属しており真っすぐに手を上げて企画の提案をした。


「生徒が作った本を渡すのはどうでしょうか?」


図書委員会を担当する先生も委員会の生徒達も「おもしろそう」と言って賛同してくれた。この出来事によって私は初めて自分の物語を他の人に披露するようになった。


私は物語を作成するのに大奮闘した。

原稿用紙に鉛筆で丁寧に文字を書く。全部で三十ページぐらいはあったと思う。いやホチキスで留めにくかったからそれ以上書いていたのかもしれない。内容はよく覚えていないが確か離島に引っ越すことになってしまった自分と同い年の女の子が孤独感を抱えながらも離島で日常を送るというものだった気がする。表紙も厚紙で手作成し十部ぐらい印刷機で白黒コピーした。


ホチキスで原稿用紙を留めるのに苦戦しているとそれを見ていた先生が「分厚い書類を止めるやつがあるからそれを使いな。」と言って特殊な道具を貸してくれたのを今でも覚えている。


そして遂に景品の交換会。私はドキドキした気持ちで自分の作品の前に立っていた。ドキドキとは裏腹に私の小説は子供たちにあまり人気がなかった。当たり前のように上級生の描いた絵本や詩などが交換されていってしまった。


「これください。」


下級生の女の子が一人貰っていってくれたのは覚えている。どのくらいの人が交換してくれたのか覚えていないということは私のデビュー作はそんなに人気がなかったのだろう。

男の子に限っては「表紙が可愛いけど分厚いからなあ。」と文句を言われる始末だった。他にも上級生が気を利かせて貰ってくれた記憶があるけれども私は大量の在庫を紙袋に入れて悲しい気持ちでその場を後にした。


あんなに必死で書いたのに。

あんなにわくわくして書いたのに。

ホチキス止め大変だったのに。


今まで必死にやってきたことが馬鹿らしく思えた。実家に一部もその小説が残っていないことから、当時の私は全て捨ててしまったんだろう。


私は大きな挫折を味わったものの物語を書くことは辞めなかった。むしろ前よりも本をたくさん読み漁って勉強するようになった。


中学生になり小説の公募という存在を知ると、物語を書く楽しさを思い出しては細々と公募に応募した。残念ながら賞を獲得するようなことは一度もなかった。


それでも何故か私は物語を書くことを辞めなかった。


両親に将来の夢を聞かれたときに小さな声で「小説家…」と答えると私を諭すように


「才能がないとできないよ。」


両親や周りからの反応を見て私は次第に「小説家」という夢を語ってはいけない雰囲気を感じ取った。何の賞も受賞していない、評価されていない私には「小説家になりたい」という夢を語ることは許されていないようだった。


「好きなことでもね。お金にならなければ意味ないのよ。」


母からの止めの一言で私は完全にノックダウンしてしまった。立ち上がることのできなかった私はその日から本当に物語を書くことを辞めてしまった。


私はそのまま高校、大学へと進学し必死に勉強した。好きなことをやってもお金にならなければ意味はないという言葉が耳から離れずに、好きなことを忘れるために勉強して一般企業に就職することを目指した。


月日が経ち、一般企業に就職した私は死んだ目をしていた。


仕事と家の往復という生活に疲弊していた。

パソコンの画面とにらめっこの毎日。人間関係の軋み。将来の不安。

色んな圧力が四方から私を襲って息をするのに必死だった。


もう駄目だと思っていた時に中学校の時の友人から連絡がきた。

この友人は私の創作仲間でハマった作品があれば社会人になった今でも語り合うことのできる大切な友人だった。お互いに書いた小説を見せ合ったり、書店で売っている話題の小説について語り合ったりしたものだ。


『ひさしぶり!元気してるー?』


私は夜のバラエティ番組を観ながらその友人とスマートフォンで話した。


「…まあね。」


順調ではない現状を誤魔化すように曖昧な言葉を返す。


『まだ小説書いてんのかな?私はWeb小説の方書いてるんだけどさ…忙しくなかったら一度読んでくれない?』


私は友人の言葉を聞いて驚いた。「小説」という言葉を久ぶりに耳にした自分にも驚いた。


「社会人になっても書いてるの?」

『まあね。仕事から帰ってからだからへとへとだけどね。』


友人は疲れていると口にしてはいるものの声は楽しそうに弾んでいた。


『出版社に注目されて本が出ました!なんてことにはなってないけどさ。読んだ人からコメントがもらえるんだよ。同じように仕事と創作活動両立させている人もいるし。それが結構楽しいなと思って。』


私はこの瞬間に自分が物語を書くことが好きだったということを思い出した。


可笑しな話だと思うかもしれないが私はずっと自分が好きだったことを忘れていた。


物語を書くことは随分前に辞めていたけれどもあんなに好きだった読書を辞めていることに今更ながら気が付いた。好きなものが嫌いになったから忘れていたというより、仕事や生活に追われるうちに好きなことをする時間がなくなってしまったというのが正しい。好きなことができていない自分が嫌になって更に目を背け続けた結果、私は抜け殻になってしまっていた。


「…ありがとう。」

『え?』


私が急に感謝を述べたから友人が疑問符をうかべるような口調になった。


「私、自分の物語をもう一度書くよ。」


友人からの連絡があってからというもの私はWebの小説投稿サイトに小説を発表し始めた。

今のところ華やかな結果を残せてはいないけれども読んでくれた人のコメントや友人と再び物語について意見を交換し合う時間はとても充実していた。


死んだように毎日を生きていたのに今は「私には物語がある」と思うだけで生き生きと過ごすことができた。一日なんて早く去ってしまえと思っていたのに今では一日が足りないとすら思うようになっていた。


そんなある日私のWeb小説のコメントにこんなことが書かれていた。


『いつも優しいお話をありがとうございます。

貴方の作品を読むと小学生の頃に読んだ小説を思い出します。その小説は当時私と同じ小学生が書いたものでしたが引っ越しを経験した私にとってその物語はとても勇気づけられるものでした。転校して孤独を感じていた私の心に寄り添ってくれました。内容も書かれている方も全く違うのに心に寄り添うという点ではとても似ていて…。つい懐かしくなってコメントしてしまいました。これからも物語を書き続けてください。』


私は思わずスマートフォンのデイスプレイに目を近づけて複数回瞬きをしてしまった。


まさかこんなことって。そんなはずない。


私は嬉しさを隠すことができなかった。カフェで作業していたら確実に変質者だったろう。


このコメントに掛かれている小説があの時私が書いた小説だという根拠はどこにもない。別の本のことを言っているのかもしれないし、どこかの誰かが小学生の時に私と同じように小説を作っていたのかもしれない。


私の物語がどこかで運命の赤い糸みたいに不思議な縁を結んでくれたように思えた。


私は今日も眠たい目を擦ってパソコンに向かう。

私の物語が誰かの物語になったらいいなと思いながら物語を綴る。

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