第30話 いつもそばに (2)
翌々週の日曜日、石原美奈の家に向かえに行った。いつもの車では、少しまずいかなと思った優一は、父親に頼んで車を出してもらった。弦巻通りから左に曲がり美奈の家の前に車を停めさせると
「北川、少し待っていてくれ」
「はっ」
後部座席のドアを開けながら頭を下げる父の秘書の北川に言いながら車を降りた。
飾りの付いたスリットの入っているドアの向こうに白い階段が見える。ドアの右側の壁に付いている呼び鈴を鳴らすと二階の窓から少し驚いた顔をした美奈が自分を見ていた。少しして
「はい、どちら様ですか」
という声から、たぶん母親だろうと思いながら、
「葉月と言います。美奈さん御在宅ですか」
すでに美奈の姿を窓に見ているとはいえ、礼儀としては、当たり前の返事を返すと
「少々お待ち下さい」
と返事が返ってきた。
すでに聞いているのであろう。以前電話した時より抵抗のない声に優一は安心しながら待っていると、やがて玄関が開いて美奈と母親が出てきた。
美奈は、普段とは違う洋服を着ていた。さわやかな感じの色合いに微笑見ながら美奈と母親の顔を見ると驚いた顔をしている。
優一の後ろに止まっている大きな黒塗りの車と、がっしりした体格に黒いスーツ、ブルーの細いネクタイとサングラスをかけた男が運転席と後部ドアに立っている。二人とも驚いた様子でいた。優一はそれを無視して
「初めまして。葉月と言います」
しっかりと自分から挨拶をした優一に気を取り戻した美奈は、
「あっ、お母さん、お話をしていた会社の同僚の葉月さん」
そう言って母親の顔を見ると、とても心配そうな顔をしていた。
「お母さん。心配そうな顔をしないで。でも葉月君、車と言うから普通の乗用車かと思ったけど」
「ごめん、僕の車、少し乗りづらいからお父さんの車を借りてきた」
まだ理解できない状況の中で美奈の母親が
「美奈、これはどういうこと」
「この前も説明したでしょう。今日、葉月君の家に行く」
事情が深く分からないままになんとなく行き先だけは理解した母親が、
「大丈夫」
と聞くと
「うん、大丈夫」
と美奈が返事をした。
「葉月君行こう」
そう言うと優一は、お付きの者に目配せをした。
丁重にドアを開けながら頭を下げる男に少し驚きながらも美奈は、車に乗ると優一も後から乗った。本来は、逆だが今日は仕方ないと思った。それを見た運転席側の男がドアを開け車に入ると北川が美奈の母親に軽くお辞儀をして車の前の助手席に座った。
車が静かに走り出すとやはり母親は、不安そうな顔をして車を見送っていた。
「葉月君、これって」
「ごめん、驚かしたようだね。でもすぐになれるよ」
美奈は、どういう意味か分からないまま、言葉少なにシートに座りながら外の景色を見ていると、道路がすいていたこともあり一五分位で優一の家の表門についた。
車留めを降りると、美奈はさすがに驚いた。車留めがある事だけでも珍しいのに、更に表門から玄関まで結構な広さがある。
「美奈、行こう」
と言って先に歩きだす優一に美奈は庭の広さを見ながら
“我が家が何件建つんだろう”、美奈の家も決して小さくはないが、比較にならなかった。玄関に着くと
「お母さん、ただいま」
その声に奥から出てきた二人の女性を見て、また美奈は驚いた。透き通るような瞳に包むような優しさを感じさせながら鋭く自分を見ている。その隣に、すぐに娘と分かる母親によく似た可愛い女の子が立っていた。
「お待ちしていました」
カリンは、玄関に立つよく磨かれた髪に、透き通るような肌、そしてすっとした鼻に可愛い唇の女性を見ながら、その所作を漏らさずに見ていた。
「優一、応接にお通しして」
言葉では言いながら、優一の後を上がろうとする美奈の姿をじっと見ている。一度玄関に上がった後、優一の靴をしっかりと揃えて、玄関の上がりのそばに置くと自分の靴も揃えた後、端に置いた。
そしてゆっくり立ち上がって花音とカリンに少し腰をさげながら
「今日は、お招き頂きありがとうございます。ご挨拶が遅れましたが、石原美奈と言います」
そう言って、今度は腰を曲げておじぎをした。
「優一の母です。こちらは妹の花音」
そう言うと
「妹の花音です。お兄様が会社ではお世話になっております」
そう言って、微笑みながらスカートのすそを少し持ってほんの少し左足を下げながら腰を落としておじぎをした。
美奈は玄関に入った時は気付かなかったが、近くで見ると洋服もアクセサリもその所作もあまりにも自分と違う。
驚きながらも優一について応接に行く。長い廊下の両脇にいくつかのドアがあった。その廊下の手前左にある応接の中に入ると、置いてある調度品に、また目を奪われた。優一が、
「美奈、こっちに座って」
そう言って、座る場所を指すと美奈はゆっくりとやや斜めに座った。“座り心地の良いソファ”そう思いながら、優一の顔を見て
「葉月君、君の家って」
「ごめん。でもそのうちだんだん分かるから」
そう言って、何気なくごまかした。
やがて母親のカリンが、紅茶をトレイに乗せて持ってきた。ゆっくりと反対側のソファに座るとカリンは紅茶を入れ始めた。美奈は、その手さばきをしっかりと見ていた。
“物腰といい、所作といい、紅茶の入れ方も師範級”自分でも親から厳しく言われているのである程度は分かっていたが、“それでも”と思うぐらいの手さばきだった。
それに圧倒されるほどに大きい胸。“この人が葉月君のお母さん”そう思うと自分自身を見失いそうになった。
やがて、紅茶を入れたティーカップをソーサーに乗せて美奈の前に出した。とても香りがよく上等な紅茶だということは、美奈にもすぐに分かった。
「召し上がれ」
母親が、美奈と優一に紅茶を出すと、自分もティーカップを手に持ち口をつけたので、美奈も手に持って口にした。
舌の上でうまさが広がった。とても美味しいと思いながら、紅茶の香りを楽しんでいると、母親が自分を見ているのが分かった。
カリンは“確かに優一が思うだけの人。でも”、ティーカップをテーブルに戻すと
「石原美奈さん、優一のどこが良かったの。確かに素直には育てましたが。あなたのような素敵なお嬢様なら息子でなくても」
美佐子の事もあり、少し考えた形で言葉を言いながら先ほどまでとは違った視線を美奈に向けると美奈は、“じっ”と優一の母親カリンの目を見た、そして
「優一のお母様、お言葉の意味が分かりません。私ではいけないのですか」
美奈は、なぜそんなことを言うのか分からなかった。ただ、優一から言われたプロポーズの思いを失いたくない気持ちで出た言葉だった。
“えっ”、カリンは、唖然とした。“まさか、あの時の言葉を私自身が聞くなんて”表情には出さずに“じっ”と美奈の顔を見た。
可愛い瞳の中に強い視線で自分の顔を見返してくる美奈を見ながら、美佐子との事が頭に浮かんだ。“優一は、こちらのお嬢様を選んだ。美佐子さんではなく”少しだけ時間が流れた。
やがて、カリンは心に決めるものができると三咲にはもちろん美佐子にも決して口にしない言葉を言った。
「美奈さん、優一からはプロポーズの言葉受けているのでしょう」
また、少しの間があった。言葉の意味をしっかりと受け止めると美奈は頷きながら
「はい」としっかりした言葉で返した。
「優一、では決まりました。お父様には、私の方から言っておきます。美奈さん、ごゆっくり」
そう言って、“すっ”とソファを立つと応接を出て行った。
カリンは、美佐子の事がありながらも優一自身が、自分の気持ちをはっきりと示した女性がどんな人か、会うまで不安ではあった。
だが、しっかりと芯のあるもの言い、そしてまさか、かつて自分が優の母親に言った言葉を口にした女性を認めない訳にはいかなかった。
所作も特に問題なさそうだと思うと、なんとなく目元が緩んだ。
「あっ、カリン。いま行こうと思っていたところだ」
「あなた、優一はやっと見つけたようです。ふさわしい人を。私は決めました」
「カリン」
夫はカリンの顔を見ながらそう言うと執務室の椅子に再度腰を落とした。
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