第29話 いつもそばに (1)
美奈を家まで送った後、電車で帰った優一は、自分の部屋で寝る気にもならず、暗い外の景色を見ながら心の中で自分自身を見つめていた。
大学時代にいきなり急接近して来てファーストネームで自分を呼んだ三咲。そして三咲の友達の美佐子、なんとなく惹かれた。
三咲との関係の中で美佐子に惹かれたのは三咲とは正反対の性格だったからだろう。すべては大学の時からの事。
そして会社に入って、ふとしたことから知り合った美奈。なぜか素直になれる。そして自然と心が近付いた。
自分の心の中を整理する必要があると感じていた。それは、間違いなく三咲のあの時の姿、優一自身のだらしなさを何も言わずただ一言“美佐子を大切にして”と言って身を引いた。自分自身で判断できず時間だけを頼りに先延ばしした“つけ”だった。
それだけに、今、美奈に心を惹かれている自分を許せないでいた。美佐子は、自分と結婚することが当たり前と思っているだろう。父や母の態度を見てもそう考えるのが自然だ。
だが、そんな状況の中で美奈に惹かれた。これでは美佐子を三咲と同じ事にしてしまう。自分自身で結論を出す事が必要だと強く感じていた。
次の日、出社するとPCを立ち上げてすぐに美奈にメールした。“大切な話がある。今日時間とれる”それだけ送り、周りをちらりと見た。
すぐにリプライがあった。“わかった”。言葉の少なさから、緊張が感じられた。
会社が入っているビルの入り口を出ると広い通りに出る。左側に歩いて五分ほどで地下鉄の入り口がある。そこを通りすぎて大きく左に回ると美奈が待っていた。
優一は、美奈の顔を見ると
「待った」
「ううん、今来たところ」
メールのせいか、いつもと違う返答に優一は微笑むと
「渋谷に行こう」
そう言って地下鉄の入り口に戻った。
「葉月君、どうしたの」
「話さないのはいつもと同じだけど、何かちょっと違う」
今日は、お店に入る訳でもなく、陽が長くなった公園通りを歩いていた。まだ人が多く歩いている。
「石原さん」
歩みを止めて美奈の顔を見た。美奈は、“なに”という顔をすると
「一緒にならないか。今まで家族の事を何も話さなかったのはごめん。これから説明する。でも、美奈がいつもそばにいてほしい」
美奈は、頭の中が真っ白だった。なんとなくとは思っていたが、まだ、早い気もした。知り合って二年半。
「葉月君」
そのあとの言葉が、出なかった。何も言えないままに優一の顔を見ていると、周りの人が“なにをしているんだろう”という顔をして通り過ぎていく。
「歩こっ」
そう言って美奈は、公園通りをNHKの方へ歩き始めた。やがて登りきると
「ひとつだけ聞きたいことがある」
間を置くと
「私のほかに付き合っている人いるでしょう。その人とはどうするの」
“えっ、なぜ分かるの”理解できないままに美奈の顔を見ると
「ふふっ、葉月君ってほんとすぐに顔に出るのね。一緒になっても浮気してらすぐにばれるわね」
“えーっ、美奈も僕の心の中が見えるの。妹の花音や母親のカリンに心の中を見透かされるのはなれているけど、まさか美奈も同じとは”そう思うと何とも言えない気持ちに、少しほほが緩んだ。
「なに笑っているの」
「いやっ、妹やお母さんと同じような事を言うから」
“なんでこの子にはこんなことまで簡単に話してしまうんだろう”
美奈に対して心の壁がないことに驚きながらも自分がプロポーズする理由がここにあるのだろうと思っていた。
「そうなの。葉月君のお嫁さんになるって大変ね。やっぱり無理かも」
「いや、そんなことない。美奈だったらなにも問題なくできる」
「なんで、そんなことが分かるの」
「なんとなく」
答えにならない言葉を言って、つい視線をそらした優一に
「今度、ご両親に会えるわよね。それからの返事でもいい」
すぐに答えをもらえるとは思っていなかったので、美奈の言葉に
「もちろんいいよ」
と答えると美奈の手を握った。
「お腹すいた。食事行こう」
「うん」
優一の言葉に少しだけほっとしながら、自分もお腹がすいているのが分かると
微笑みながら返事をした。
優一は、家に帰ると
「お母さん、お父さんは」
いつも見ている息子の目に違うものを感じると
「執務室にいます」
「話したい事があるのですが」
拒絶を許さない視線にカリンは一瞬、たじろんだ。初めて見る息子の目に
「分かりました。今声をかけてきます」
何も言わないままに、優一はリビングに行くと両親が来るのを待った。
会社から戻ったばかりの姿に少し申し訳ない感じもあったが、少しの後、父が母を後ろに従えて入ってきた。ゆっくりソファに腰を下ろすと何も言わずに自分の顔を見た。
下手に言葉を発すれば全てが終わると思った優一は、慎重に言葉を選び、
「お父さん、お母さん、会って頂きたい女性がいます」
いきなりの言葉に父と母の目に一瞬、驚きの光が宿ると
「いかがしたのですか」
「カリン、待ちなさい。優一が話そうとしている」
妻の言葉を遮ると、息子に何も言わず相手から話すタイミングを待っている父に
「お父さん、妻として迎えたい人がいます」
母親のカリンは動揺を隠せなかった。今のいままで息子の優一は、植村美佐子を妻に取るとばかり思っていた。だが、明らかに別の女性を言葉に表している。
時間が流れた。父親は、息子が言葉を出すことを更に待っていると
「お父さん、会って下さい」
カリンは“えっ”と思った。息子の父に対する目が、初めて見るものだった。“自分の息子にこんな目があるなんて”そう思いながら二人の会話を聞いていると
「わかった。いつ来られる」
「お父さんの都合に合わせます」
「待って、優一。その人に会う前に美佐子さんのとのことをはっきりしなさい」
一度言葉を切ると
「あなたはすでに三咲さんという女性につらい思いをさせています。今度は自分からしっかりと美佐子さんに説明しなさい」
カリンは、美佐子のことが気に入っていた。ゆえに優一の判断は、決して意に沿うものではない。“もし、美佐子さん以下ならば、どうすれば”という思いもある。
母親の言葉に
「分かりました。自分ではっきり植村さんに話します」
「確かなのね」
「はい」
「優一、話は終わったか」
「はい」
父親は、それだけ聞くと何も言わないままリビングを出た。母が後ろについて行く。優一は、自分も二階に上がり自分の部屋に入ると窓を開け、月明かりだけがある暗い空の下に見える美佐子の家の方角を見た。それは三咲の家の方角でもあった。
「あなた」
カリンは夫の顔見ながら何も言わずにいると
「優一が判断したことだ」
かつて自分が犯した過ちをすべて呑み込んでくれた妻の顔を見ながら遠い過去が少し甦ると
「昔の事を思い出しているのですか」
「いや」
「ふふっ。昔から変わりませんね。顔に書いてあります」
笑顔を見せながら、自分自身も頭の中に少しだけ甦るものがあった。ただ、優一はそこまで行っていないことを考えると“息子の言葉を信じするしかない”と自分自身に言い聞かせた。
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