第18話 心のままに (5)
いつものように三咲が待っている宮益坂の信号に行くと嬉しそうな顔をして手を挙げた。
「優一」
三咲は自然に優一の右手を握る。
“いつの頃からだろう。こうして三咲に手を握られてこの坂を歩くようになったのは”そう思いながら左側に歩く彼女を見ていると
「優一、ご両親に話してくれた」
“えっなにを”という顔をすると、心が見透かされたように
「この前、約束したでしょう。箱根に二人で卒業旅行に行くって」
“えーっ、約束した。あれは、だって”
三咲は一度口にしたらそれが決まった様に言う、ちょっとわがままな可愛い女の子だ。
「ごめん、まだ話していない。今日言う」
“うーっ、なんでこんなこと言ってしまうのだろう”そう思いながら、なぜか断れない自分自身にちょっと驚いていた。
やがて、正門の近くに来ると、地下鉄から来たのだろう美佐子が、正面から歩いて来た。
“うわーっ、なんて最低な一日の始まりだ。今日の朝早くまで美佐子と一緒だったのに”
そう思うと、自分が相当にまずい顔をしたのか、美佐子の理性が有るのか、美佐子が笑顔になって
「もう、いつもお熱いのね。三咲」
「ふふっ、そうだよ」
三咲の言葉に滑りそうになりながら、
「じゃあ、優一、今日のお昼は学食ね」
嬉しそうに言うと五号館へ小走りに行った。美佐子は優一の顔を見ながら、今日の朝初めて会うような顔をしながら優一の耳元に顔を持ってくると小声で
「まだあなたがあそこにいるみたい」
“ふふっ”とほほ笑むと三号館に歩いて行った。自分の心臓の鼓動が人に聞こえるんじゃないかと思うくらい高鳴っている。
これからの決着を自分でしないといけないと思うと頭の中が真っ白だった。
結局、うまい理由も浮かばないまま、優一は母親に話すと
「どういうつもりなの。まだ学生の身分で両方の両親公認で旅行に行くなんて。婚約したならまだしも」
母親は、自分自身は夫の優と婚約した後も二人で旅行に行くなど“以ての外”と思っていたので息子の言葉に驚いていた。
「三咲さんから言われたの。優一が自分から行くとは思えないし」
母親の目を見ながら頷くと
「優一、お母さんは、認めません。お父さんと話しなさい」
許可されなかったが、その日の内に会社から戻った父親と話すと
「いいんじゃないか。しかし、向こうの両親も了解となると少し重いな」
優一の父親は、暗に向こうの両親から“娘を預けている。これからの事も責任を持ってくれ”と言われているような思いを感じた。
「あなたが、お認めになるなら、かおるに依頼して、葉月家としてホテルを手配します。よろしいですね」
カリンは、夫と息子にはっきりした有無を言わさない目で言った。
結局、三咲の方は、何も問題ないということで、三咲と箱根へ行くことにした。箱根近辺の主要なホテルは、三井と葉月傘下の系列しかない。
すでに三咲は、自分のことを知っていると思うとあえて隠そうとせず、三井の系列のホテルを選んだというより母親の親友の系列下のホテルになった。
三咲の家には、珍しく自分で車を出した。“どんな車で来るの”と聞かれたが、
“たぶん、目立つから行けばすぐわかるよ”とだけ言っておいた。
一人の時だけしか乗らないスポーツカーだ。国産メーカの“スポーティカー”ではない。決して新しくないが、昔からお気に入りでディーラーに今回の為に入念にメンテナンスをしてもらった。
三咲の家に前に付くと近くで歩いている人が、“なにこれ”という顔をしている。ドアを開いて、インターホンを鳴らすと三咲とお母さんが出てきた。
すでに一度挨拶には来ているが、車を見て少し驚いている様子だった。今風のエコカーではない。
三咲が「すごーい」と言った後、手に持つ大きなバッグを
「優一、これどこに入れるの」
「よこして」
そう言うとボンネットを開けてタイヤハウスの横に入れた。自分のバッグも入っている。ちょっときつかったが、“まあいいか“と思うとそのまま閉めた。大体、旅行に行く車ではない。
三咲の母親に頭を下げると
「宜しくお願いします」
と言って、母親が頭を下げた。“娘を宜しく”そう言われている感じがして、少し照れた感じで顔を赤くしていると
「優一、行こう」
そう言って、三咲が助手席に回った。ドアを開けようとノブを引いたが開かない。
「ちょっと待って」
と言って、キーのアンロックを押すと“ガシャッ”という音で開いた。優一がドアを開いて少し舞台風な仕草をすると嬉しそうな顔をしている。
三咲が座ろうとすると思ったよりシートが低く、ゆっくり足を入れたつもりが、ストンとお尻が落ちて、“ヤンッ”と声を出して顔を赤くすると、優一が少しだけほほ笑んで
「大丈夫」
「ふふっ、大丈夫」
と嬉しそうな顔をすると優一はドアを閉めた。
二人のやり取りにほほ笑みながら見ている三咲のお母さんにもう一度あたまを下げると、優一はドライバーズシートに腰を落とした。
キーを少し右に捻るとすでに電子制御になったとはいえ、心地よいエンジン音が聞こえてくる。タコメータがアイドリング九〇〇回転を指して“ピタッ”と止まる。乗用車より高めだ。
サイドブレーキを外してクラッチをスパンと入れると背中を押すようにダッシュする。いまの車ではこうはできない。
だが、この車は、下手に“ハンクラ”など使ったら簡単にクラッチが削れる。新車の時からすでに四年も乗っている大好きな愛車だ。
最初、三咲はなぜか不安顔をしていたが、東名高速に乗るとだんだん安心した顔になった。
「優一が車持っているなんて知らなかった。どうして教えてくれなかったの」
もう“えっ”と言うと返って来る言葉が決まっていたので
「うーん、勉強に車必要ないし。一人の時だけ乗っていた。今日は、三咲の為にと思って使うことにした」
“三咲の為に”という言葉に素直に反応すると
「嬉しい、優一。でもこの車、ちょっと今風じゃないよね。ペッタンコだし、なんか乗用車って感じじゃないし。なんて言うの」
運転しながら滑りそうになるのをこらえて
「ロータスエスプリエスイー。ちょっとゴーカート風に走れるライトウエイトスポーツカー。フェラーリやポルシェ見たいなヘビー級もいいけど、僕はこのハンドルにそのままロードホールディングを感じるこの車が好きなんだ」
初めて聞く単語を耳にしながら“優一、この車好きなんだ”そう思うと自分も好きになれそうな気がした。御殿場手前三〇キロ辺りから二車線に分かれたコーナーが続く道になる。
「じゃあ、ちょっとだけ楽しむね」
そう言うと優一は、思いっきりアクセルを踏込んだ。強烈に体がシートに押しつけられる。
今まで巡航一一〇を指していたメータがいきなり一六〇まで跳ね上がった。四本のタイヤの接地面から来るホールディングノイズと遊びがほとんどないハンドルの重さが最高だ。
優一はスピードを緩めずカーブにそのまま入ると、顔を“真っ青”にしている三咲を横目に緩やかな二車線の片方をフルに使いながら“アウトインアウト”で先行する車を抜き去った。シートの後ろに置かれているエンジンから心地よいサウンドが聞こえてくる。
やがてコーナーが多い場所も終わり合流地点でスピードを巡航速度に戻した。右側の助手席に座る三咲を横目で見ると下を向きながら少し涙目になっていた。
「あっ、ごめん。怖かった」
何も言わずただ、頭を下げて“うんうん”言っていると姿を見ると
「ごめんもうしないから」
そう言って右手で三咲の頭をなでるといきなり手を掴まれ噛みつかれた。
「いたーっ」
「もう怖かったんだから」
そう言ってほほ笑むと優一の手を自分の頬に添えた。御殿場インターを降りて右側に行き箱根のワインディングも楽しみたかったが、優一は諦めて普通の運転でホテルに向かった。
ホテルのフロントに車を付けるとボーイが近寄ってきた。普段、車は自分たちで駐車場に持っていくボーイたちも車を見ると少し迷ったような顔をしたので
「いいよ、自分で駐車場に入れる」
「三咲、荷物を持ってフロントで待っていて」
「うん」
ボンネットから荷物を取りだすと三咲に渡して、駐車場にクルマを入れフロントに戻った。
「優一、ここに泊るの」
「そうだけど」
三咲は、普通の学生がバイトで貯めたお金で、ちょっと無理をして泊る旅館やホテルを想像していた。それだけにフロントの大きさに目をやった。
「葉月様、フロントへ」
ボーイが荷物をすでにキャリアに積んでいる。
フロントに行くと
「葉月様、お待ちしておりました。こちらにお着きになられたサインを」
そう言って、頭を下げると優一はサインだけした。
三咲は、目を丸くしながら見ているとフロントマネージャが、ボーイに部屋のカードキーを二枚渡した。
「葉月様、こちらへ」
ボーイが、キャリアを押しながらエレベータに向かった。
三咲は少しだけ違和感があった。自分が想像していた卒業旅行は、優一と電車に乗り、バスに乗って普通の温泉宿に泊ることだった。
そしてできれば優一に体を委ねられればそれでいいと思った。だから両親の許しも得て来た。
すでに“自分の体は優一のもの“と思っている三咲は、そのちょっとプチリッチな旅行を想像していた。
少し、迷っている顔をしている三咲に
「三咲、どうしたの、あまり楽しくなさそう」
広いスイートの部屋でソファに座りながら外を見ていると優一が声をかけてきた。
「ううん、ちょっと驚いているの。優一はいつもこんなところに泊っているの」
「まさか、三咲が卒業旅行と言っていたので、お母さんにお願いして、三井の叔母様に声をかけてもらった」
三井の総帥、三井かおるは優一が生まれた時、誰よりも喜んだ。そして、あおいが生まれるまでは、まるで自分の子供のように大事に接した。
カリンからの優一の頼みであれば、喜んで頼みをいつも聞いてくれた。美佐子の食事の時も、客をすべて他のレストランに回したぐらいだ。
「そう」
三咲は、自分が初めて葉月の家に行った時の様な違和感が有った。それでもせっかく優一と来たのだからと思うと
「優一、温泉行こう」
「えーっ」
「なにその目、エッチな顔している。混浴はなしよ。まだお預け」
またまた、「えーっ」と言うと意味を完全に取り違えた三咲は、顔を赤くして
「優一、大丈夫だから今日は。でも順番あるでしょ」
そう言うと優一、笑うしかなかった。“だめだ、完全に誤解されている”
温泉はとても気持ち良かった。食事も最初は、二人だけの個室と思ったが、先程の三咲の顔を見て、あえて普通にレストランで食べることにした。ただ景色のいい、窓際の席に座って夜景を見ながらの食事に三咲はとても喜んだ。
部屋に戻ると
「三咲、何か飲む」
「優一と同じもの」
「じゃあこれ」
ダッシュボードからヘネシーVSOPのミニボトルを取って
「これを水で1:1にして氷を入れるとおいしいよ」
と言って、片方のグラスを三咲に渡すと
「三咲、楽しい卒業旅行に」
そう言って、グラスを合わせた。
“えっ”、少しだけ口にすると飲みやすかった。もう一口飲むと“おいしい”という顔を彼に向けた。
着替えた浴衣の胸がはだけている。淡いピンクのブラが、ほとんど見えている。優一の視線がそこに行くと
「今日は、いいよね」
そう言って、寄り添ってきた。
「私、心配していたの。あの病院で優一に体を許してから・・」
「男の人は、一度体を許せばもっと要求するのかと覚悟していたの。でも優一は、全然だった。初め、不安になった。こんな体嫌いなのかな。と思って。でも優一を見て、そうじゃないと思うようにした。優一は優しいから私のことを思っているからって」
そこまで言った後、少し下を向いた後、優一の目をしっかり見つめて
「お願い・・・」
そう言って、体を寄り添ってきた。
優一は、三咲とあれ以来体を合わせなかったのは、美佐子の事もあったが、自分に自信が持てなかった。
体だけを思うような人間にはなりたくない。そう思うと三咲を抱けなかった。決して三咲が嫌いなわけではない。あの病院で三咲を抱いた時、不思議なほどに幸せな気持ちだった。自分が初めてだったということも、あの病室だったことも、そして三咲の体は新鮮だった。
優一は、
「うん」
と言うと三咲を引き寄せた。
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