第17話 心のままに (4)


この前とは違う店に入ると

「お話とは」

と美佐子が切り出した。今日入った店は、少し高そうだが、この前の様なことは無かった。

優一は、黙りながらコーヒーを口にすると


「植村さん」


とだけ言って、また美佐子の顔を見た。少しの間、時間が流れた。何も言わないまま目で会話するようにしていると


「三咲のことはどうするのですか」

いきなりの切り出しだったが、心の中に素直に入る言葉に


「まだ、なにも」

「三咲は、高校時代から私が大切にしてきた友達です。彼女を安易に裏切ることは出来ません」


優一に“心の覚悟を決めろ”と言わんばかりに別の言葉で言うと


「分かりました」


優一が答えると、更に優一の瞳の中を見抜くように視線を向けて


「葉月さん、考える時間はあります。急ぐ必要は無いと思いますが」


そう言って、優一の目を見ると少しだけほほ笑んだ。優一は心が“どきっ”とすると


「今日、夕食をいっしょにいかがですか」


“三咲の事を考えてと言っているのに。何を急ぐの”と思いながらも美佐子は、心の中で自分が今まで奥底にしまっていたものが、表面に浮き出して来たことを感じた。もう一度彼の顔を“じっ”と見ると


「分かりました。両親に連絡させて下さい」


優一の目の前でスマホを取りだすと


「お母様、今日夕食は外で食べます。うん、大丈夫遅くはなりません」


そう言って、“終了“のマークにタップした。その言葉に優一は、外を向くと顎を引いた。

美佐子は、“えっ”と思いながら優一の視線の先をみると、いつの間に止まっていたのか、黒塗りの大きな車の前にサングラスをかけ細いブルーのネクタイをした男が立っていた。

優一は、テーブルに座りながらボーイの方を向くと、ボーイがお辞儀をした。それを見た優一は、


「植村さん、行きましょうか」


と声を掛けた。

彼の態度に驚きながらも、立ち上がった彼の後を付いて行くと喫茶店の入口で車の後部座席のドアを開けてお辞儀しながら待っている男を見て

“何なの。これは、食事行くだけでしょ”一抹の不安を心に感じながらも、美佐子は言われるままに優一の後に続いて後部座席に乗った。


サングラスを掛けた男がドアを閉めると運転席側に回って車を走らせた。


「葉月さん、これは」

「植村さんと、せっかく食事が出来るのでレストランを予約しました」


“予約って。自分と話している間に予約している時間などなかったはずなのに”と思いながら、乗っていると紀尾井町のホテルに着いた。

三井の叔母様の系列のホテルだ。フロントに付くと運転していた“お付きの者”が下りて後部座席のドアを開けると優一が降りて、その後を美佐子が降りた。

ベルボーイは、四人いるが頭を下げたままにしている。周りの人が何だろうという顔をしながらベルボーイの隙間から中に入るのを見て美佐子は、“何これ”経験したこととのない雰囲気に少し体が震えた。

フロント玄関の中からマネージャらしき男が出てくると


「葉月様、お待ちしておりました。こちらへ」


そう言って優一の先を歩いた。


「ちょっと、葉月さん、これって」

「あっ、ごめん。お母さんの友達のホテルの最上階にあるレストランを借りたんだ。美佐子さんの為に」


さすがに美佐子は“えーっ”って声を出すと周りの人が自分を見た。少し恐縮な顔をしていると


「ここは、三井の叔母様の系列会社が経営するホテル。気にしなくていいよ」

「気にしなくてって言われても」


三八階にあるレストランの入り口は従業員が総出で出迎えていた。全員が頭を下げている。

“えーっ、ちょっと夕飯のつもりだったのに”そう思いながら、大学に来たいつものカジュアルな洋服を悔やんだ。良く見ると優一も結構ラフな格好だ。


中に入ると誰もいない。二人だけの貸し切りの様だ。ボーイに引かれた椅子に座ると


「葉月君、いつもこんなところで食事しているの」

「まさか」

「じゃあなぜ」


美佐子の顔を見ながらちょっとだけ黙った後、


「もし植村さんが今日の夕食をOKしてくれたら、来れるようにとお母さんにお願いしておいた。まだ僕では何もできない」


美佐子は“葉月家”の大きさが見えないまでも自分の父親の会社の比ではないことだけは分かった。


「美佐子さん、アルコール飲めます。あっ、それと嫌いなものは」


優一の目を見た後、


「アルコールは少し飲めます。嫌いなものはありません」


それを聞くと優一は、近くに立っていたボーイに目配せをした。

“どういうつもりなんだろう”そう思いながら“ここまで来たんだからはっきりしたほうがいい”と思って


「葉月君、ここまで連れてきた理由を教えて。ちょっと学生同士が夕食を食べるという雰囲気じゃないわよね。これ」


美佐子は素直に自分の気持ちを出した。優一は美佐子の瞳を“じっ”と見た。そして、この前、リビングでお母さんと一緒に話したことを美佐子に話した。


「母は、自分の気持ちに素直になれといいました。素直に言います。心の底に美佐子さんがずっといます。安西さんは素敵な方です。僕は安西さんと会っていて、楽しくないと思ったことは一度も有りません。安西さんは、人を引き付ける魅力があります。でも、いつも心の底に有るあなたが、自分自身を一歩踏み出せないようにさせていました。今日は自分自身があなたと直接二人で会うことによって、心の底に有るものが何か知りたいと思いました」


話しているうちに瞳の奥に強い意志を持っているものを感じた。“母親のあの瞳”間違いなかった。


“この人はあの女性の子供”


優一の言葉にだんだん自分が下を向いて行くのが分かった。


美佐子は自分自身、“心の底にある何か”は分かっていた。だから“こいつ”と離れた。“でもなぜ今になって”そう思うと“やってられない”と思った。


自分の気持ちの奥に忘れるように仕舞っていた“それ”を浮き出させる言葉だった。前だったら立ち去ったかも知れない。


でも今はその気持ちが無かった。ただ素直にそのまま受け入れることは、“あるもの”が邪魔をしていた。“三咲”それだけは、譲れない大切なものだ。

 ずっと静かな時間が流れた。ボーイが食事を持って来ても、ただ口に入れるだけ。

目に前に座る“あいつ”は、何も言わない。そして自分も何も言わなかった。いや言う言葉が無かった。

 やがて、デザートが出てきた時、美佐子は有るものを確かめたかった。デザートのフォークは、手に持たず、“あいつ”の目を見て言った。


「葉月君、私に責任を持てますか」


何も言わず優一は、頷いた。美佐子は、優一の目を離さず


「分かりました」


「少し、時間をいただけますか」


と言うとバッグからスマホだけを持って、レストランの入り口に行くと何か話していた。そして戻って来ると何も言わずに頷いた。


時間の中で、緩やかに体に走る初めての感覚だけが有った。初めてのショック(痛み)は、仕方ないと思った。後は、身を任せるだけだった。


「優一」


それだけ言うと彼にすべてをゆだねた。


突然にそれが来ると“あいつ”は自分の体に覆いかぶさってきた。初めてだからか、あまり感傷は無かった。ただ、自分の体の上で“あいつ”がほほ笑むと自分もほほ笑んだ。


少しの間、“あいつ”の腕の中で余韻に浸りながらいると唇を重ねていた。受け止めるようにしていると歯に舌が当たった。口を緩めると勝手に入ってきた。後は任せるだけだった。

そして、また、“あいつ”は、私の体を別の感覚の世界に連れて行った。


いつの間に眠ったんだろう。気がつくと“あいつ”が横で可愛い顔をして眠っていた。

何気なく自分の大事なところに手を当てると明らかに自分とは別のものが漂っていた。


“しちゃった。三咲ごめん”そう言うとあいつの額にキスをした。ずっと見ているとやがて目を覚ました。


「あっ」


それだけ言うと顔を赤くして


「美佐子さん」


とだけ言った。“もう、もうちょっと何かまともなこと言えないの”そう思いながら顔を見ていると、何を勘違いしたのか急に自分のブランケットに潜り込んだ。


“えっ、うそ”、思い切り自分の手で押さえたが、後の祭りだった。また、自分の感傷は、何処かに持って行かれた。自分の声だけが漏れているような気がした。やがて、あいつが入ってくるとたまらない感情が体に走った。“うそでしょう。初めてなのに”そう思いながら、めくるめく心地よさに体をゆだねた。


「美佐子さん、自分の心の中に有るものがはっきりわかりました。母が言ったことは正しかった。“自分の心に素直になれ”と。改めていいます。お付き合いして下さい。昨日の美佐子さんに言った言葉、嘘ではありません」


美佐子は、すでに心の中に優一が大きくなっていた。“でも”と思うとはっきりしなければいけないことを口にした。


「葉月君。私も心の底に有るものがはっきりわかりました。でもそれを素直にするためには、三咲のことをはっきりして下さい」


美佐子の心の揺れが分かった。高校時代から続いた友達関係を壊すことは、目に見えていた。その責任を自分が取れと。


「分かりました」


それだけ言うとまだ横にいる美佐子の唇に自分の唇を当てた。柔らかかった。三咲の様にマシュマロの様な柔らかさではない。唇をしっかりと触れていたい柔らかさだ。


カーテンの隙間からまだ、昇る前の太陽の光が射していた。優一は、家の車で美佐子を家に送り届けると自分の家に戻った。


父親の優は、仕事に出かけていた。花音はまだ起きていない。もう大学二年になっている。玄関に入ると母親のカリンが出てきた。息子の顔を“じっ”と見てほほ笑むと


「優一、素敵な一夜の翌朝はコーヒー、紅茶どちらにします」


ほとんど目元が緩みそうな笑顔で言うと優一は


「コーヒーにします。着替えてきます」

そう言って二階に上がった。


“選んだのは、植村美佐子さん。良かった。あの子なら”そう思うとカリンは、早く会いたくなった。


「優一、もう隠すことないでしょう。昨夜の素敵なお嬢様。お母さんも早く会わせて」


そう言ってほほ笑むと


「分かりました」

そう言ってまじめな顔をすると


「やっぱり、少しだけ、お父様と優の血を引いているのね。お母さん、安心したわ」

そう言って、思い切り嬉しそうな顔をした。かつて夫の優が、自分にそうしたように。

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