第16話 心のままに (3)
「優一、もうすぐ卒業だね」
「うん」
「優一は、お父様の会社に行くの」
「いや、関連会社の社員として少し外にいる。勉強の為に」
「勉強の為」
分からない顔をする三咲に
「うん、いきなりお父さんの仕事を継ぐのは無理だ。あれだけの巨大企業になると、やはり前準備というものが必要だ。お父さんもそうしたらしい」
「ふーん」
三咲に両親と妹を紹介した。もう二年も前の話だ。その後も何回か、家に連れては来たが、ほとんど外で会っている
もっとも海外に出かけていると事を除けば。大学ではほとんど一緒だ。合わない講義以外は。体を合わせたのもあれきりだ。
三咲は初め少し不安を感じたが、彼は“自分を大切にしているんだ”と思って考えないようにした。
「三咲は、前に話していた薬品メーカに行くの」
「うん、この前内定の通知が来た」
「そうか、良かったね」
三咲が優一の顔を見ながら寂しそうな顔をすると
「優一、会社に入ったら、今まで様に毎日会えなくなる。寂しくないの」
「そんなことない。でも必要な時間じゃないかな。大学に入って以来、“ずっ”と一緒だったから」
ますます不安な顔になった三咲は、
「本当にそう思っているの」
下を向きながら言うと
「私は、一日でも優一のそばにいれないのがいや」
“えっ、そんな無理だよ。会社入ったら”そう思いながら彼女の顔を見ていると
「優一の入る会社に一緒に入れない」
“えーっ”
「僕だって、三咲と毎日いたい。でも社会人としての考え方を持つ必要がある。三咲も同じだよ」
「でもー」
「三咲、社会人にしっかりならないと」
そう言ってほほ笑むと優一は、あれからの母親の態度を思い出した。
「優一、三咲さんを葉月家に嫁がせるならきちんと伝えておいて。お母様は、私にとても厳しかったわ」
カリンは、そう言って食事後に久しぶりにリビングで夫の母親と一緒に紅茶を飲みながら、母親の顔見て笑って言うと
「そうですよ。花梨さんが、我が家に初めて来たときは、厳しい目で見ましたよ。優の妻、そして“葉月家の女”としての資格を持つ人かと」
今になっては、すでに“葉月家の女”の代も母であるカリンに譲ってからは、肩の荷を下ろしたように素直な優一のお婆様になっていた。
「えーっ、でもまだそこまでは」
「いいえ、あのお部屋に入った以上、“葉月家の人間”になってもらいます。初めてだったんでしょう。あのお嬢様」
その言葉に“まっかな顔”になりながら下を向くと優一のお婆様が
「花梨さんも優が初めてだったから」
「お母様」
そう言うとカリンも顔を赤くした。若い日の優と自分を思い出したかのように。
「どうしたの、急に黙ったと思ったら今度は、急に笑ったりして。少しいやらしい笑いのような気がするけど」
彼女の顔を見ながら笑い顔は絶やさずに
「気のせい、気のせい」
というともう一度彼女の顔を見た。
「そう言えば、植村さんは。最近会っていないけど」
「うーん、私も会っていないけど、確かお父様の会社に営業として入るとか聞いた」
「そう」
あれ以来、ギリシャ語の講義も終わってからは、すっかり会わなかった。三咲と一緒にお酒を飲みに行くとき以外は。
植村美佐子の顔がもう遠くに有った。あの時の様な“心の揺れ“はもうない。ただ、三咲のことを考えると自分自身も分からないところもあった。
“これが運命なのかな。でも本当に僕は三咲のこと・・”今更ながら自分でも分からない部分が有った。
キスもする。あの時だけだが、体も合わせた。両親にも紹介し、三咲の両親にも挨拶した。でも何かが踏み切れなかった。三咲に対して。
あれ以来、三咲が心配して誘われた時も有った。でも結局自分自身で心が整理できないまま、断っていると三咲は“いいように”解釈したらしくそれ以来、誘うようなことは無かった。
「優一、ねえ」
“うんっ”という顔をすると
「二人で旅行行かない。卒業旅行ってやつ。友達は色々企画しているみたいだけど私はあまりそういうの興味ない。いくなら優一と二人がいい」
“えーっ”と思いながら“卒業旅行”。頭に全くなかった。大学はあくまでも勉強の場でしか考えていなかった。男友達もいたが、普段話す程度だった。それだけに三咲の提案に迷っていると
「優一」
と言って目を少し怖いふりをした。とても可愛かった。普通の男ならこれでダウンだろう位可愛かった。
「わかった、分かった」
「えっ、じゃあいいの。やったあー。お母さんに了解取らなきゃ」
“えーっ、三咲の両親公認”一瞬めまいがしそうなほどに感じると
「優一もきちんと両親には承諾貰ってね。内緒で行くの、いやだから」
“うそだろう。そんなこと言ったら・・”優一は、さっきまで思い出していた、母親のカリンの言葉が浮かんだ。
“優一、三咲さんを葉月家に嫁がせるならきちんと伝えておいて”
暗に母親は、普段の行いを律して二人の仲をきちんとするようにと言っているのだ。
“二人だけの旅行”なんて言ったらどんなことになるのか。
そう思いながら
「ちょっと聞いてみる」
と言いながら“なんでこんな言葉が出てくるの”と自虐的になりながら苦笑いになった。
その日の夜、食事が終わり片づけもあらかた済んだところで
「お母さん、少しお話が有るのですが」
「なに」
「できればリビングで」
「分かったわ。先に行って。紅茶を入れてあげるわ」
そう言うとなぜか嬉しそうな顔をして棚から紅茶を入れてあるパッケージを取った。
母親のカリンが、リビング入ってくると優一は、瞳を見た。生まれて初めて見た時から変わらない優しい瞳。自分自身を包んでくれる瞳だった。
優しく柔らかい香りのするティーポットをトレイからテーブルに置くとティーカップに紅茶を注いだ。優一は、香りを楽しみながら一口付けると目元を緩めながら
「お母さんの入れる紅茶は、最高です」
そう言って、もう一口付けた。カリンはほほ笑みながら
「同じ紅茶を入れることのできるお嬢様を妻に迎えたら」
自分の瞳の奥に有る何かを見抜くように見つめるとティーカップをソーサーに置いた。
何も言えないままに優一は、ティーカップの淵を見ていると
「三咲さんのことね」
息子の手元を見ながら言うと
「お母さん、僕は・・分からないんです。三咲のことを本当に好きなのか」
そう言って優一の心に重さが有ることを見抜くと少し時間をおいた。
「優一、自分の心に素直になりなさい。心に残るものが有れば、それが自分にとって何かをはっきりする必要があります。三咲さんの為にも」
優一は、三咲が大学に来ない日を選んで正門で植村美佐子が来るのを待った。門のそばで二〇分位すると運よく美佐子が現れた。友達と話しながら歩いてくる。優一が一心に顔を見ていると気付いたのか。少し頭を下げた。
門の前まで来た時
「植村さん」
そう言って美佐子の瞳を見た。“なに”という顔をして立ち止まると
「少しお話が有るのですが」
それ以外言わない優一を黙って見ていると美佐子の隣にいる子が、察したように
「美佐子、じゃあね。先に帰る」
そう言って足早に二人の前から消えた。
「葉月さん、何か御用でしょうか」
久々に見た美佐子の姿に優一は心が揺れた。
「できれば、二人で話せるところに」
「分かりました」
優一のいつもと違う雰囲気に了解の意志を示すと
「では」
と言って歩き出した。
美佐子は少しだけ下がって隣に付くように歩くと優一の歩くままに付いて行った。
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