第15話 心のままに (2)


優一が何か叫んだが聞えなかった。分からずに門を出ると走った。どこを走ったかわからなかった。


気がつくと大きな道路に出ていた。訳が分からずしゃがみ込むと涙があふれ出てきた。ただ泣いた。理由が分からなかった。


“ただ、ただ初めての気持ちを大切にしたかったのに”そう思うと、いきなり現実を見せ付けられたことにショックを感じていた。


膝を抱えながら下を向いていると誰かが隣に座った。思い切り泣きべその顔をしながら見ると優一だった。一瞬立って逃げようとした時、いきなりつかまれて抱き寄せられ、強く、強く抱かれながら優一は一言


「ごめん」

そして

「はじめて言う。三咲、僕のそばにいて」


時間が流れた。


ゆっくり顔を上げると彼の顔を見て

「いやっ」


「えーっ」

と言うと涙をいっぱい流した顔を笑顔にして彼の腕の中で


「“えっ”って言わないって約束してくれたら許してあげる」

そう言って思い切り微笑んだ。優一もつい微笑んだ。目を見つめながら唇を合わせた。今度はしっかりと。


「優一、私を離さないで」

「分かった。ずっと離さない」

その時だった。背中に凄い衝撃が走って、意識が闇の中ら持って行かれた。


「優一、起きなさい。大学に行く時間ですよ」


深い海の底にいる体が、母親の声にゆっくりと覚め始めると段々、体が浮いてきた。やがて海面から出るように目が開くと


「えっ、今日何曜日」

「何を言っているのです。今日は月曜日です」

「土曜日に帰ってきたら、“いきなり疲れた”と言って今まで寝ていたんですよ。お医者様に来て頂いても、“本人が夢の中から覚めようとしない”と言うし」

「早く顔を洗って着替えて食事しなさい。あなた丸一日食べていませんよ」


優一は、分からなかった。“そんな、あれは夢じゃない。ついさっきまで三咲が”そう思っても、今自分はベッドの上で横になっていた。

顔を洗い着替えて階下に下りていくと


「お母様、三咲と植村さんは」

不思議そう顔をして


「何を言っているのです。そのような方のお名前、お母さんは知りません」

いつもの優しい目で微笑むと


「コーヒーと紅茶、どちらにするの」

妹の花音が何か嬉しそうな顔をしながら口にバターロールを挟んでいる。


分からないままに渋谷の宮益坂に行くと三咲が微笑みながら待っていた。

「優一、遅い五分遅刻、早く行こう」

そう言うと自分の左腕をつかんだ。優一は、何かが心の中で変わっていた。


「三咲、今日の一限目はなに」

驚いた顔をしながら嬉しそうな顔をして“数学原論”というと

「あっ、僕と同じだ。一緒にいれるね」

左に歩く三咲を見て微笑んだ。三咲も本当にうれしそうな顔をして、


「どうしたの優一。いつもと違う。ううん、いけないとかじゃなくて、とってもいい意味で」

そう言うと思い切り幸せそうな顔をした。


“あれは、何だったんだろう。夢、いや違う。でも誰も知らない。でも僕の気持ちは、はっきり分かった”そう思うと秋の空が透き通るように輝いていた。


「三咲、一限終わったら、図書館行くけど一緒に来る」

不思議そうな顔をしながら


「いいよ」

「優一、休みの間に何かあったの」

「えっ、あっ、いや、なにも」

“ふふふっ”と微笑みながら嬉しそうな顔をした。


二人で図書館の方へ歩いて行くと前から植村美佐子が歩いてきた。

「あっ、美佐子。こちらこの前話していた優一」

目の前の女性が“にこっ”と笑うと


「始めまして、葉月さん。植村美佐子です」


“えーっ。嘘だろう。だってー”完全に頭がパニックになった優一は、

「植村さん、前に一度お会いしませんでした」

三咲と美佐子が不思議そうな顔をして


「優一、無理よ。美佐子、お父様の関係で海外に行っていて、大学に出てきてまだ一週間だもの」

“えーっ”と思って分からないままに体が“すーっ”と流れた。



「優一、優一」


“なんだろう、最初は分からなかった。ゆっくりと何度も”その言葉を聞いていると意識が奥の底から、だんだん表に出てきた。

分からないままに意識がはっきりし始めると少し頭が痛かった。左後頭部を触ると包帯が巻いてあった。


「えっ、どうしたの」

やっと目を開けながら自分自身で驚いているとベッドの上だということが分かった。


「えっ、覚えてないの」

「優一が私を抱いていた時、後ろから来た自転車にぶつかって、倒れた時から、そのまま気を失って。今、優一の家の病院」


記憶が途中で切れた自分に意識がはっきりしてくると目の前に母親のカリン、妹の花音、父親の優、そして三咲がいた。


「カリン、優一の意識が戻った。私は、医院長に会った後、会社に戻る」

そう言って、優一の父親は、病室を後にした。


「お兄様。良かったですわ」

目を優しく微笑みながら母親の顔を見た後、三咲の目を見て

「私も帰ります。安西様、後はよろしく」

そう言って病室を出て行った。最後に母親のカリンが、


「優一、みんな心配したのよ。三咲さんが、すぐに救急車を呼んだ後、私に連絡してくれたの」

そう言って少し心配そう顔をしながら、そして微笑むと三咲の手を取って


「三咲さん。優一のことよろしくお願いします」

そう言って、母親も出て行った。


三咲は、“えっ、どうして、どういうこと”

病室と言っても一五畳はある自分の家のリビング並みの大きな個室だ。


「優一、ここは」

分からない顔をしながら言うと


「三咲」

と言って耳元で囁いた。


三咲は、“じーっ”と優一の顔を見た。目を離さずに彼を見ていると彼も“じーっ”と自分を見ている。


三咲は優一の顔を再度しっかり見るようにすると頷いてから、恥ずかしそうな顔をして少しだけ躊躇すると優一に背中を向けた。


何も言わずにゆっくりと自分のブラウスの胸元のボタンを外す。そしてブラウスを脱いで、一瞬躊躇した後スカートも脱ぐと、ブラとパンティになった姿で後ろ向きのまま優一のベッドに入った。そして優一に背を向けたまま、


「初めてだから」

そう言って目をつむった。


“ここは、お母さんが生まれたところ。そしてここから見える景色がなかったら僕も花音も生まれてなかった大切な部屋”それだけが三咲の心に残った。

三咲は、母親のカリンの言った意味を自分なりに理解した。


二時間後、三咲を連れて家に戻った。妹はいなかったが、母親のカリンが、

「お帰りなさい」

とだけ言うと自分たちの部屋に戻った。


「三咲、上がって。僕の部屋に行こう」

そう言って手を取ると二人でそのまま上がった。二人が上がった玄関にカリンが来ると二人の靴を見ながら、少し難しそうな顔をして“一から教えないと”と思って自分が初めて葉月家に来た時を思い出した。


初めて優一に体を許してから、もう半年が経ち二人とも二年になっていた。二人ですっかり慣れた大学に行く坂道を一緒に歩きながら


「優一、今度、私の両親に会って」

あの後、時(とき)を改めて両親にも正式に紹介し、心に塀(へい)がなくなっていた優一は、


「うん、いいよ」

と言うとうれしそう顔をして


「じゃあ、両親の都合聞いてみる」

「えっ、まだ聞いてないの」

「だって、優一の都合聞いてからと思って」

嬉しそうに話す三咲に頷くと“僕も三咲も変わったな”と思って少し前のことを思い出していた。

 もう、三咲に話す時、先に考えることはなかった。もちろんすぐに口には出さなかったけど。空を見上げるとこれから来るさわやかな季節を映し出していた。優一は、三咲の顔をもう一度見ながら微笑んだ。

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