第4話 初めての時 (4)


三咲は、自分を助けてくれた人を見て驚いた。

「優一」

急に体が震えるようにして三咲は優一にしがみつくと

「怖かった」

そう言って優一の胸に顔を埋めた。仕方なく少しの間そうしていると、回りの目が“何してんだ”という風に見えてきた優一は、

「安西さん、こんな夜遅く、女の子が一人じゃ危ないよ。改札まで送るから帰りなさい」

「やだ」

「えっ」

「“やだ”って言われても。僕も家に帰るところだし。安西さん。井の頭線から京王でしょ。方向違うし」

自分の胸に埋めていた顔を上げると

「送って」

「えーっ。無理だよ」

「私が、また悪い男に声掛けられてもいいの」

「いや、良くないけど」

「じゃあ、送って、駅までいい」

「えーっ、駅までって、京王多摩センターでしょう」


安西さんの目が真剣であることが分ると頭の中で行きと帰りの時間を考えて“最悪タクシーで帰ればいいか”そう思うと

「分った。送って行ってあげる。駅までだよ」

「うん」

急に嬉しそうな顔になった三咲は、今度は優一の左腕にしがみつく形で井の頭線の方へ引っ張るように歩き出した。


優一は、仕方なく連れて歩きながら

「安西さん、ちょっと歩きづらくない」

と言うと

「ううん、全然」


どう見ても優一にしがみつきながら歩く三咲は歩きづらそうにしか見えなかった。

井の頭線は混んでいた。“三咲はわざとではないと思うが”と思うくらい優一にくっ付いている。

回りの男が“じろじろ”見ている。“まいったな”と思いながらがまんしていると明大前駅に着いたので、

「乗り換え」

と言って体を離すと三咲も仕方なさそうに体を離した。


“ふふっ、優一と、ずーっとくっ付いていれた”そう思うと三咲は、自然に顔がほころんだ。“どうしたんだろう”という顔を優一がすると、また”ふふっ“と笑った。京王線に乗りながら

「優一は、“何故あの時間に渋谷にいた”とか聞かないの」

「えっ」

三咲は優一の顔を見ると

「また、“えっ”なの」

「えっ、いや、でも色々都合あるだろうし」

“じーっ”と相手の顔を見ると

「優一は何故、あの時間にあそこにいたの」

“父親と行きつけのてんぷらやで食事をして、別々に帰るなんて言えないし”と思いつつ

「ちょっと、知り合いと食事をしていた」

「知り合いって」

「いや、知り合い」

「女性」

「違う、違う。年配の男性。ほら親戚の人とか。そう親戚の人」


何故、“父親と食事をしていた”と言えない自分に疑問を持ちながら、言い訳をすると

「ふーん、親戚ねえ。まあ信用してあげる」

“なんでこうなるの。さっきまで泣きべそかいていたくせに”そう思いながら変わり身の早さに関心していた。


やがて、電車が京王多摩センターに着くと二人は、ホームに降りた。三咲が動かないので“どうしたのかな”と思うと人が“まばら”になったところで階段を降りて行った。


優一もホームを変えるには階段を下りる必要があるので一緒に降りると三咲は、改札と反対の方に優一の手をいきなり引っ張った。


「優一、ありがとう」

そう言って、少し下を向くと顔を上げて

「優一」

そう言って顔を近づけて目をつむった。


“えーっ、なんなの”そう思いながら躊躇していると三咲は一度目を開けて真剣な眼差しで見つめるともう一度目をつむった。とても可愛い、愛らしい顔をしていた。


優一もなんとなく顔を近づけると三咲の唇に触れた。柔らかかった。マシュマロのように柔らかかった。少しだけ三咲が強く唇を付けるとゆっくりと離した。目を開けてしっかりと優一の目を見ると

「優一が始めての人」

そう言って下を向いた。


なにも出来ずしばらくそうしていると

「もう大丈夫。ここからは近いから。それにお父さんに迎えに来てもらえるから」

そう言って笑顔になるともう一度、優一の唇に自分の唇を付けた。

「月曜日にまた宮益坂歩いて大学に行く」

寄り添うような声で言うと

「うん」

と言ってしまった。

「九時に駅でもいい」

「うん」

「優一、今日はありがとう。じゃあ」

そう言って今度は小走りに改札に向う三咲の後姿を見ながら、返事をしてしまった自分自身が分らなかった。

 反対ホームに歩きながら、“理解できない時間”を過した自分自身を理解できないでいた。


静かに玄関を上がると

「優一、遅かったわね。心配したわ。電話くらい入れなさい」

母親の声に“起きていたのか”と思うと

「ごめん、急に用事が出来て」

と言った。パジャマ姿にナイトガウンをまとった母親のカリンが

「お風呂は」

と聞くと

「うん、これから入る」

息子の言葉を聞きながら顔を見ると少し一点を“じっ”見て“にこっ”とすると

「そう。じゃあ、お休みなさい」

と言って寝室に戻った。


自分と分かれた後、直ぐに戻ると思っていた息子が今帰ってきたと知ると

「優一は、今帰って来たのか」

そう言う夫の優の言葉に

「ええ、口元に口紅が少し着いていました」

そう言って微笑むと夫の寝ているベッドに入った。


優一は、二階の自分の部屋に入ると、“どういうことだろう”そう思いながら、先程の三咲との事を思い出した。


タオルと着替えの下着を持って階下に降りて、バスルームの前の洗面所に入るとワイシャツに手を掛けながら“マシュマロのような柔らかい感触。女性はあんなに柔らかいのだろうか”思い出しながら鏡を見ると唇の端に何か付いている。


自分の唇を触ると“ぬるっ”とした感触が口の端に付いていた。指先を目の前に持ってくると

「えーっ」

つい大きな声を出して“やばい、お母さんに気付かれたかな”そう思いながらワイシャツを脱ぐと胸元に三咲の付けているオーデコロンのにおいが付いていた。

“参ったな”と思いながら“もう遅いか”と思うと自分の心を整理しきれないまま、バスルームに入った。


三咲は、歩いて家に帰ると

「ただいま」

「三咲、遅かったわね。お母さん、心配したのよ」

「ごめんなさい。ちょっと美央のことで話が盛上がって」

寝室からの母親の声に申し訳ないと思いながら返事をしていると

「お風呂は」

と言って母親が寝室から出てきた。


娘の顔を見て一瞬感じるものがあった。何となく“触れ合う心のひだ”を娘の顔から感じた母親は、

「三咲」

と言うと娘に近づいて顔を“じっ”と見ると

「少し疲れた顔をしているわ。早く寝なさい」

と言って、また寝室に戻って行った。


母親の後ろ姿を見ながら心に何か感じた三咲は、声に出さずに“お母さん”と言うと二階にある自分の部屋に入った。

机の前の椅子に座る気にならず、ドアに寄りかかり、左手がさっき始めて触れ合った自分の唇に指を持っていった。


 感触を確かめながら確かに“したんだ”と思うと心の中で大きく揺れるものがあった。“どうしたんだろう私”と思いながら、そっと右手を胸に当てると何となく鼓動が早い気がした。


そして、彼の顔が浮んで来た。ずっと、目の前に浮ぶ“あいつ“のことを、頭を振って消そうとしても消えない。どうしても消えない。


“あいつの事好きになったのかな”自分で自問しながらまだ“その感覚”が分らないまま下を向いていると何となく、本当に何となく涙が出てきた。何故なのか分らない感情に心が耐え切れずに流れた“心の雫”だった。

右腕と左腕で自分の体を覆うように掴むとそのまま下を向いた。涙が止まらなかった。


いつの間にか上のまぶたと下のまぶた自然と触れ合った。そしていつの間にか睡魔のとりこになっていた。

「三咲、起きなさい。いつまで寝ているの。もう一一時になりますよ」

海の底の中に聞こえる声に段々意識が水面に近づくように戻るとやがて頭が現実に戻ってきた。


“はっ”とすると自分の体を触って“あっ、昨日帰って・・ベッドに座ってそのまま眠ったんだ”そう思って起き上がるとベッドの前にある等身大の鏡が、“泣いたまま眠った顔“を映し出していた。


“やっばーい”心の中でそう思った三咲は、二階にもある洗面台に水を張り顔を冷やすと大分元に戻って来た。

三咲は肌の綺麗さと顔の可愛さでほとんど一八になっても化粧をした事がない。“起き上がり”で大学に行く為に出かけるなど当たり前だった。

でも泣き顔だけは母親に見せたくなく、必死で顔をマッサージすると大分普段の顔に戻ってきた。髪の毛をブラッシングしている間にいつもの自分に戻った三咲は、階下におりてダイニングに行くと母親がキッチンで自分の朝食のパンを温めていた。


「おはようございます」

と母親に言うと

「おはよう。三咲眠れた」

「えっ」

と言いながら

「うん、眠れたけど」

と“何を聞いているの”という言い方をすると

「ふふっ、昨日は顔に書いてあったわよ。“私どうしよう”って」

「えーっ」

つい大きな声を出してしまった三咲は、一瞬で“語るに落ちた”、母親の“術中にはまった”事が分ると

「かなわないな。お母さんには」

と言って微笑んだ。他愛無い会話の中で彼の事を言うと

「お母さん、会って見たいな」

と言ったので、またまた

「えーっ」

と言うと

「別に無理してと言うわけではないのよ」

そう言って娘の顔をみると

「そう、時間を大切にしなさい」

そう言って微笑んだ。


“キャリアだな”と思うと

「うん、時間が来たら」

と言った自分に“ふっ”とどこかで聞いた言葉のような気がした。

“そう、もっとゆっくりじゃ、だめ”心の中に残っていた言葉を見つけると

“そうだよね”と思って自然と顔に微笑が広がった。そんな娘の顔を見ながら

「パン、温まったわよ。紅茶とコーヒーは、もう入っているから好きな方にしなさい。果物は必ず食べるように」

そう言うと母親はダイニングを出て行った。


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