家を出て10分、俺は事故の現場に着いた。


 腕を失ってから、精神の不安定な俺は、事故の記憶を取り戻し、精神を壊してしまう可能性があったため、ここへ来ることは医者から禁止されていた。とはいえ、その景色を見ても俺の記憶が元に戻って来ることは無かったのだが、右腕が震えている。


「事故の記憶は無くても、あの日の絶望はまだ消えていないってことだな。」


 それを乗り越えるために俺は今ここに立っているのかもしれない。


「おい里香ー、中央公園ってこっちであってるのかー?」


「あの信号を右に曲がって真っすぐいったらある言ってんじゃん!何回も聞かないでよ。」


「でも、お前、方向音痴じゃんかー。」


 俺の後ろの方から、自転車に乗った小学生くらいの男子と女子がこちらに向かった来ていた。あの、里香って呼ばれていた子が、俺が助けた子かもしれない。だとしたらこの道を通らせるわけにはいかない。


「あ、君たち!中央公園はこっちじゃないよ!」


「ほんとに?」

「ほら、言ったじゃん!」


 2人は俺の呼びかけに、反応しブレーキをかけて停止した。


「公園は、来た道を戻って一個目の信号を左に曲がったら図書館があるから、その裏だよ。」


「だってさ。ありがとう兄ちゃん!行くぞ里香。」


 男の子が、そういい自転車をUターンさせ出発しようとしていた。だがしかし、女の子は動こうとしない。


「嘘だ!絶対こっちだもん!嘘つくなんてサイテー。」


「なに言ってんだよ。お前に付き合って遠回りするのはもう嫌だぞー。」


「なに?私より、この変な人の言うことを聞くの?サイアク…。」


「まあまあ。だまされたと思って、俺の言う通り行ってみなよ。」


 この子には悪いことをした。俺の教えた道は只の出まかせで、まったくの出鱈目だ。だがしかし、この子の言う道も間違ってるので、おあいこということにして欲しい。それで、命が助かるなら、むしろ俺の勝ちと言っていいだろう。


 女の子の方は、納得していない様子だったが、なんとか男の子がなだめて連れて行ってくれた。


「よし、これで…。」


 テーンテーテーテ~♪


 帰ろうとしたとき、夕方の合図が鳴り出した。


 それと同時に、頭の奥底から、あの日の記憶が流れ込み、頭痛と乗り物酔いのような感覚が、俺にまだ終わっていないということを知らせてきた。


 思い出した。事故の直前、俺はこのチャイムを聞いている。


 キーーー!!!!


 急ブレーキのタイヤと道路が擦れる音が、鳴り響く。


 音の方を見ると、バイクの運転手が転倒し、バイクが中に浮いていた。


 その先には、一人の少女が立ち竦し、飛んでくるバイクをただ眺めている。


 俺はこの光景を見たことがある。頭の奥底から甦る記憶に苛まれながら、どんどんスローになっていく世界で俺だけが動いていた。


 このまま、少女を助けるために飛び込めば、俺はまたあの絶望を味わうことになるのだろうか。しかし、この場所に来ることを決めていた時点で、この子を助けるということは決めていたのだろう。


 俺は、躊躇うことなく片腕を少女に捧げた…。






―――――――――――――――――――――――


「お疲れ様です、鴻上さん。」


「来野茨先生?俺は…。」


「まだ起き上がらないでください。気分はどうですか?」


 俺はベットの上で目覚めた。なんだ、そういうことか。俺は只夢を見ていただけなのか…。


「最悪の気分だよ。」


「その割には、何で笑顔なんですか?」


 ドクターの悪そうな顔少しウザったいが、今はどうだっていい。方法はどうあれ俺は過去と向き合うことができた。

 腕を失った俺は、少女を助けたことを後悔するという、今考えれば最低な考えを持っていた。だが、そんな俺が、腕を失うと分かっていても、少女を助けるという道を選ぶことができたのだ。


「ありがとうな、先生。腕はダメになっちゃったけど、前に進めそうだ。」


「なにがダメって言いました?」


 今の正直な気持ちを伝えたつもりが、先生は小首を傾げ、両手の平を上に向けている。予想外の反応に俺はピンの来なかったが、今の清々しい気持ちに浸っていたい。

 と思ったのだが、その気持ちは一掃されてしまった。無意識に、失った腕の肩先に手を当てると不思議な感触があり、視線を送ると、そこから小さな手が生えてきていたのだ!


「なんだ、これ!!!?」


「それが超再生技術ですよ。直にその腕は元の大きさまで大きくなりますよ。」



 その瞬間は、驚きのあまり何も考えることができなかったが、今は先生に感謝しかない。


 先生曰く、病は気から。欠損のような大きな怪我であっても、精神と身体は強くリンクしており、俺のように過去を乗り越え、治したいという強い意志があれば、彼の技術で治すことができるらしい。


 だが、この治療は精神崩壊と隣り合わせの危険な治療で、成功したのはある意味、軌跡の産物なのだ。


 俺はその軌跡をつかみ取り、今こうしてリングの上に立っている。


 カーン!!


 ゴングの鐘が鳴る。

 俺はこの軌跡の拳を握りしめた。



           完

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拳のないボクサー 尾樫  @3R_yosssssshy

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