■9//拓かれし境目(3)

「何だァ!?」


 叫びながら手すりに掴まったのは、コイカワ。他の面々も同様に、手近な手すりを握りしめてどうにか倒れないようこらえる。

 大地震でもあったかのようなとんでもない揺れ。のみならず、窓の外を見て東郷は変化に気づく。

 先ほどまで青空であった空が、今や黒雲に覆い尽くされていたのである。


「何だ、何が起きてる――」


『東岳大帝。冥府の神様が、今まさにこの境界を渡ろうとしているんだ』


 ずしん、ずしんと断続的な振動が続く中。東郷はその井境の言葉と、そして窓の外の光景をもって理解する。

 一面の雪原に生じている、無数の巨大な窪み。……歩いているのだ、何か途方もなく、巨大なモノが。

 見上げたところで、姿かたちはない。ただそこにある何かが一歩を踏みしめると同時、雪原に一歩一歩、足跡と言う名の大穴が穿たれていく。

 そしてその進む先は、東郷たちの乗る列車が走った線路の戻り方向。

 すなわち――現世である。


『二十年前は途中で邪魔が入ったせいで、ほんの指先くらいしか呼べなかったけど――今度は違う。あれがそのまま、現世に行くんだ』


「……井境ぁ」


 苛立ち混じりに白鞘を彼に向かって突き刺すと、刃はあっさりとその黒靄を貫き、散らしていく。


『……あぁ、本当に残念だ。アレが現世に降臨するところを、見られないのは』


 そんな言葉だけを最後に黒靄は完全にかき消えて、井境の気配もまた車内からは失せていた。


「……恐らく、アレに吸われたのでしょう。彼を依り代にして顕現しつつあるのですから」


 そう呟くと、燐は窓から不可視の巨人を見上げ続ける。

 そんな彼女の隣で同じように空を見上げながら、東郷は彼女に問うた。


「おい、どうすりゃいいんだ。いくらなんでも、アレをあのままにしといたらマズいってのは分かるぞ」


 ヤスやコイカワ、リュウジもまた、同じく唖然としながら口々に呟く。


「エ◯ァとか実際にいたら、このくらいのデカさなんスかね……」


「それを言うならウルトラ◯ンだろォがよ」


「……この足跡のデカさじゃ、戦車くらい用意しねえとどうにもなりませんぜ」


 そんな彼らの思い思いの感想はさておいて、燐は難しい顔で続けた。


「……正直、打つ手がありません。あれはれっきとした神です、私程度の力ではどうにも――」


「見てるしかねえってのかよ。……クソ、ふざけるなよ」


 そう言って舌打ちすると、東郷は何を思ったかドアまで向かうと、走行中だというのにそれを両手でこじ開けようとする。

 それを見て、さすがに燐も慌てたようだった。


「なにするつもりですか!?」


「アレを止めるんだよ。こいつで斬りつければ、ちったあビビるだろ」


「タンスに小指ぶつけたらめちゃくちゃイテェですからね、納得ですぜカシラァ!」


「そんなことでアレが止まるわけないじゃないですか! 踏み潰されておしまいですし、そもそもこの列車から無理やり降りたりしたら……彼世にも現世にも戻れないまま彷徨うことになりかねませんよ!」


 そう言って制止しようとする燐に、東郷は「そうかい」と呟いて。けれどその手は、扉にかかったままだった。


「だがよ、アレをあのままにしておいたら舎弟どもや親父殿、それに美月ちゃんだって……誰も彼も、死んじまうんだろう。んで、止められるのは俺たちだけ――とくりゃあ、ここで見過ごすのは任侠の名折れだ」


 大真面目にそう言ってのける東郷に、燐は額を押さえながら深いため息をつく。


「最近けっこう頭使ってらっしゃったから忘れてましたけど、東郷さんも脳みそ筋肉なお方だったんですよね……」


「褒めるなよ」


「一ミリも褒めてはいないですが。……ああもう」


 ぶんぶんと首を横に振ると、燐はそこで覚悟を決めたように顔を両手ではたき、着物の袖をまくり上げた。


「確かに、このままじゃヤスくんを無事に帰してあげられませんからね。……いいでしょう、乗ってあげます」


「ありがたい。じゃあ、行くか――」


「お待ちを」


 いよいよドアをこじ開けて外に飛び出そうとした東郷のジャケットの裾を掴んで止めると、燐は続けた。


「そのままで行っても単なる無謀でしかありません。やるなら少しでも、勝算のある賭けをしましょう」


「……その言いっぷりってこたぁ、何か手があんだな」


「ええ。ですが――東郷さんだけでなく、舎弟の皆さんのご協力も必要になってきますが」


 そう言って他の3人を見回した燐に、一同は何のためらいもなく頷いてみせた。


「俺はやるッスよ、カシラ、かーちゃん! ちょうど番組改編期で観たい新アニメがあるんス」


「俺もよォ、せっかく最近運動始めて血圧に気ィ使ったりしてんのに、こんなところで死にたくはねェからなァ。任侠オトコ見せますぜ」


「俺はカシラの右腕ですから。地獄の底までお付き合いしますよ」


「……ふふ、訊くまでもなかったようですね」


 そう言って小さく笑うと、燐は東郷へと向き直ってみせた。


「で、賭けってのはなんだ」


 東郷のそんな問いに、彼女はこくりと頷いて。


「簡単に言うと、皆さんを合体させます」


「……はぁ? なんて?」


「ですから、合体です。英語で言うと、どっきんぐ・ごー」


 どちらにせよ意味が分からなかった。

 一転して怪訝な顔をする一同に、燐は至って真面目な顔で続ける。


「この場所では、私たちの存在は物質に縛られず、魂のありよう――いわば存在の本質に従って形作られます。だから今だって、皆さん体に怪我もないでしょう」


 確かに。もしも現実での状態がそのまま反映されているなら、今マトモに話せるのは東郷とリュウジくらいのものだ。


「ですからこの場の特性を利用して、皆さんの体をアレと張り合える形にイメージし直して、再構築するんです。普通の人間であればそうは言っても限界があるでしょうけれど、皆さんはもうすでにちょっとした都市伝説みたいなものになりかけてますから――存在の拡張性もかなり広いかと。多分」


「多分、って……大丈夫なのかァ?」


 疑わしげに口を挟むコイカワに、燐は唇を尖らせる。


「だって、こんなことするの初めてなんですよ? 太鼓判なんて押せません。そもそもいくらここが現世でないからといって、そんな滅茶苦茶なことをして皆さんが無事に済むかも分かりませんし……最悪、魂がくっついたまま離れなくなっちゃうかも」


「……わざわざ合体させる意味は」


「そりゃあ、いくらなんでも人間一人分の魂だけでは神様と殴り合うには足りませんもの。でも、4人分合わせれば――あるいは」


 無茶苦茶な話であった。だが――東郷はわずかな沈黙の後で小さく笑と、


「……一人じゃあ足りなくても、頭数揃えりゃってわけか。なるほど、分かりやすいぜ」


 そう言って、舎弟たちを見回してさらに続けた。


「やるぞ、てめぇら。俺に命預けろ」


「問答無用で預けろ、なあたりがさすがカシラッス……」


「何か言ったかよ、ヤス」


「気のせいッス」


「どうせ合体すんなら可愛マブい美少女と合体してェなァ……」


「お前も何か言ったかコイカワ」


「聞き間違いですぜェ!」


 そんなやり取りをしていると、再び大きな揺れが車両を振動させた。それを感知して、燐が緊張感に満ちた顔をする。


「どうやら、いよいよもって時間がないようです。アレの存在の密度が、どんどん高まってきている――これ以上大きくなってはいよいよもう、手がつけられません」


「……分かった。なら、覚悟は決めるぜ――燐さん、頼む」


「では皆さん、お手をお出し下さい」


 そんな燐の言葉に頷いて、一同は円陣になって手を差し出す。そこに最後に燐が手を添えると、そのまま目を閉じてこう続けた。


「――大事なのは、イメージです。皆さんの考える、とにかく強くて大きなものの姿を強く思い描いて下さい」


「「「強くて、大きな……」」」


 すると東郷たちの体が淡く光り始めて、やがて車両の中をまばゆい輝きが満たしてゆく。


「さあ、始まりますよ。……とにかく信じて下さい、貴方たちの暴力を――どんなものにも縛られず、何もかもをなぎ倒すような理不尽を!」


 その光に包まれながら、東郷たちの意識はそこで一旦途切れて――


 ――次に気付いた時に、最初に見えたのは空だった。

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