■9//拓かれし境目(1)

 単純な力量においては、東郷の方がやや上回っていた。

 だがナイフ片手にのらりくらりとかわしながら一撃を狙ってくる、そんな井境の戦い方とはいささか相性が悪いというのも事実であった。


「っ、ちょこまかと!」


 雲霞のようにあいまいな動きで東郷と付かず離れずの距離を保ち、かと思うと急に懐に踏み込んできたナイフが身を掠める。

 暴れ牛をいなす闘牛士のようなそのやり口に舌打ちしながら、しかし東郷は懲りもせず狙い続ける。


「とっとと、当たれや!」


「冗談っ、そんな危ないモノに当たれないなぁ!」


 ナイフで白鞘の一撃を受け止めながら、井境はあくまで軽い口調のまま続ける。


「その白鞘、西行を殺したやつだろ。人への殺意がギトギトにこびりついた、呪いの原形――そんなもので斬られたら俺みたいなのじゃひとたまりもない」


「そいつはいいことを、ベラベラ喋るもんだな!」


 咆哮とともに東郷がナイフを弾き返したところで、すかさずリュウジの散弾銃が井境を狙う。

 実体のない彼に対しては殺傷力こそないが――しかしその一撃は手に握られていたナイフを弾き飛ばした。


「おっと……」


 わずかに生まれた隙を見逃さず、東郷は突進しながら井境に白鞘を突き込もうとする。だがその間際、彼が懐から何かを取り出そうとするのに気付いてとっさに横へ転がった。

 結果として、その判断は正しかったと言えるだろう。井境が取り出したのは一丁の拳銃――銃声が響いて、一瞬前まで東郷がいた辺りの土を抉っていたのだ。

 拳銃を前にすれば、東郷といえども一瞬警戒を強めざるを得ない。そんな彼の反応を見透かしていたかのように彼が銃口を向けたのは……東郷ではなく、リュウジの方だった。


「ぐっ!」


「リュウジ!」


 銃声と同時に膝をつくリュウジ。右肩を撃ち抜かれ、散弾銃を取り落として呻いている。

 

「頭狙ったんだけどな、ヤクザってみんな銃弾避けたりするもんなの?」


 若干呆れたようにそうぼやく彼に、二射目は撃たせまいと斬りかかる東郷。だがその瞬間、東郷はぴたりと足を止めた。

 いや、止めさせられたのだ――東郷のまさに足元に張り付いていた、井境の呪符によって。


「ひっかかってくれたね、東郷さん」


「野郎ッ……」


 ぎりりと歯噛みする東郷の眉間に、照準が合わされて。

 引き金が引かれようとしたまさにその時――しかし響いたのは銃声ではなく、井境の呻き声だった。というのも。


「させ、ない、ッスよ……!」


 ちょうど彼の立ち位置は、倒れていたヤスの目の前。すでに動けないとたかをくくっていたはずのヤスが荒い息で身を起こし、を井境にぶつけたのだ。


「こっ、のっ……! 何をっ……」


「へへ、やっぱりこの手の相手には塩ッス……!」


 脂汗を浮かべて笑った後、そのまま気絶するヤス。東郷たちの後方にいた燐が「ヤスくん!」と悲鳴を上げるが、それよりもまず、東郷はわずかに動く右手で白鞘を地面に突き立てる。

 自由になった体で井境目がけて突っ込む東郷。ヤスの撒いた塩は効果てきめんであったようで、動きを止めて呻き続けている井境――その頭上から東郷は白鞘を振り下ろそうとする。

 だがしかし、すんでのところで彼の手が動いて、狙いも定めないままに発砲。その一撃は運良くと言うべきか悪くと言うべきか白鞘に当たり、その衝撃で東郷は白鞘を取り落としてしまう。


「よくもやってくれたね……東郷さんっ……」


 苦しげにそう呟きながら拳銃を構え直す井境。対する東郷は徒手空拳、だが――


「往生、しやがれッ!」


 そんなことなどまるで気にもせず、東郷は井境の拳銃を殴り飛ばすとそのまま彼の般若面をぐいと掴む。

 その手に巻かれていたのは安っぽいビーズの数珠。ただし霊能者・二宮の霊力がたんまり込められた一品――その効能ゆえか、彼の拳は掴めないはずの霊体すらがっしりとホールドしていた。


「カシラ!」


 リュウジが拾って投げた白鞘を振り返りもせずキャッチして、東郷はそのまま井境めがけて振り下ろす。

刹那――確かに実体を斬り裂いた感触とともに、井境の絶叫が空洞内に響き渡った。


「がああぁあぁっっ、あぁっ、ぐぁっ……このっ、なんてっ、ことをッ……」


 全身から黒い煙のようなものが吹き出して、たまらず吹き飛ばされる東郷。

 起き上がって白鞘を掴んで構え直すと、東郷は「それ」を認めて舌打ちした。


「ちっ、浅かったか――」


 白鞘の一撃は確かに井境に食い込んだものの、すぐに飛ばされてしまったせいで彼に致命打を与えるには至らなかったらしい。

 斬り裂いた傷口から煙のように黒靄を吹き上げ続けて――井境は何を思ったか、勢いよく駆け出した。


「野郎ッ」


 彼の目指す先は、「戻丸」を持ったコイカワ。東郷たちなどまるで眼中にないようにがむしゃらに突進する彼を後ろから斬りつける東郷だったが、しかしなおも止まらない。

 コイカワが金属バットを構えて応戦しようとした、その時だった。

 不意に井境の全身に金色の糸のようなものが絡みついて、彼の動きを止める。

 その出処は――コイカワの後ろで座り込んでいた、燐だった。


「私のこと、忘れてもらっては困るんですよね……」


 ぎりぎりと、彼女の指から伸びた無数の金糸が黒靄を締め上げて。


「――破ぁ!」


 気合とともに彼女がその手を握りしめたのと同時、絡め取られていた黒靄は霧散して辺りに溶け消えた。


「……やった、のかァ?」


 おっかなびっくり呟くコイカワの隣で、息を深く吐いて再びうなだれる燐。慌ててコイカワが支えると、彼女は弱々しく呟いた。


「奴は、祓えたはずです……。それよりヤスくんを……」


「お、おう!」


 頷いて、ぐったり倒れ伏しているヤスの方へと駆け寄っていくコイカワ。それを横目で見つつ、東郷もリュウジへと手を差し伸べに行く。


「大丈夫か、肩は」


「かすり傷ですよ、この程度は。……不覚を取りました、情けない」


「気にすんな。結果オーライ――」


 と、東郷が言い掛けたその時。

 コイカワの悲鳴が響いて、一同が一斉に彼とヤスの方を注視する。すると……血まみれのヤスが、なぜかコイカワの持っていた「戻丸」を握りしめて立っていた。

 出血が続いたせいもあるだろう、やや青白くなったその顔に浮かんでいるのは、笑み。

 そして――彼の口から出た声は、彼のものではなかった。


『ああ、あぶな……本当にヤバいな、その白鞘。俺としたことが、マジで消えるところだった』


「……てめえ、井境ッ……!?」


『大当たり。さすが東郷さん、勘がいい』


 ヤスの顔でそう呟くと同時、その全身から黒い靄がぬるりと出てきて、取り残されたヤスの肉体は再び糸の切れた人形みたいに崩れ落ちる。


「ヤスくんっ……」


『霊体の一部だけをこの体に逃がしておいて大正解だったな。おかげで東郷さんたち皆、油断してくれたから』


 戻丸を携えて、黒い影は肩を揺らす。恐らくは笑っているのだ。

 そんな彼を睨んで、燐が指で刀印を作るが――その表情が辛そうに歪んで、彼女は地に両手を突く。

 見ると、彼女の体はうっすらと透けて、向こう側の景色が見えていた。


『俺とやり合って、さんざんダメージ受けて、いい加減宮前さんも限界でしょ。まあそこで見てなよ、最期に面白いものを見せてあげられると思うから』


「てめぇ、調子こいてんじゃねェぞッ……」


 後ろから殴りかかったコイカワだったが、彼の持っていた金属バットは戻丸によってあっさりと真っ二つに。のみならず、握っていたコイカワの体も袈裟懸けに斬りつけられていた。


「ぐォ……ッ」


「コイカワ! てめぇっ……」


 斬りかかった東郷の一撃を戻丸で受け止め、そのまま押し返す井境。先ほどまでとは比べ物にならないほどのその剣圧は、戻丸の妖刀としての力ゆえか。

 だが井境はそれ以上東郷に攻撃するわけでもなく――何を思ったか戻丸を逆手に持ち替えると、


『ホントはこんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……まあ、神降ろしが成就するならこれでもいいか』


 そんなことを呟いた次の瞬間、なんと己の体にその刃を深々と突き立てる――


「なっ……」


 予想外のことに瞠目する東郷。すると刹那、井境の体を形作る黒靄が急速に膨れ上がり、弾ける。

 そこに現れたのは――井境ではなく、虚空にぽっかりと開いたひび割れのような裂け目。

 そしてそれが何であるかに思いを馳せる前に、裂け目から溢れ出してきた漆黒色の濁流が東郷たちともども地下空洞を埋め尽くした。


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