■8//呪術師、井境(4)

「あーあ、ひどいな」


 そう呟くと、大仰に肩をすくめて井境は何事もなかったかのように懐から何かを取り出す。

 それは――般若の象られた能面。それを顔のあるべき場所に据えると、どういったからくりなのか能面はまるで顔にかぶさったかのように中空に浮く。


「……なんだよ、ありゃァ……」


 唖然として呟くコイカワの言葉に、井境は顔を動かすと軽い口調で続ける。


「二十年前だったかな。西行って奴、東郷さんたちも知ってるだろ? あいつと組んでた時にそこの宮前さんとか、他の霊能者とかとちょっとばかしやり合ったことがあってさ――その時に色々あって体を失うハメになったんだよね」


「んだと……?」


 西行。東郷の両親を殺した男であり、反魂法――この世とあの世とを繋ぐ呪術の成就を企んでいたヤクザである。

 奴と井境が、繋がっていた。西行も呪術師の村、井境村の出身であったことを考えれば、同じ名を持つこの男と関係していても不思議ではないが……


「なんも言わずに取引持ちかけるってのも悪いからさ、色々教えとくよ。東郷さんも知りたいだろ、俺がなんでこんな体で、こんな面倒なことしてるのか」


 彼が話に興じている間に斬りかかる手も考えたが、井境というこの男は相当の曲者である。下手なことをすれば、殺されるのはこちらであると――そう東郷は直感で理解していた。

 今は少しでも、彼に話させるままに話させる。井境という人物の目的について少なからず知る必要があるのも、確かなのだから。

 そんな東郷の胸中を知ってか知らずか、彼はそのまま話を続ける。


「二十年前、西行が色々やってたってことは東郷さんたちも知ってるだろ。あと、あいつの目的も」


「……不老不死。てめぇも、そんなアホみたいなことのたまうつもりじゃねえだろうな」


 ぶっきらぼうに返した東郷に、井境は「まさか」と小さく笑う。


「俺は別に、西行と違って生きてることに執着があるタイプじゃないんだよ。ただ、俺は俺がやるべきことをやりおおせたい。それだけなんだ」


「やるべきこと、だと?」


 怪訝そうに眉間のしわを深くした東郷に、井境は頷くと。


「俺の目的は、『神降ろし』。……井境村のご先祖様たちの、悲願の成就だ」


 声から笑みを消して、そんなことをのたまう。

 その言葉に、その場にいた誰もが言葉を失うほかなかった。


「……神、だぁ? イカれてんのかてめえ」


「まさか。大真面目にやってるんだぜ、これでも」


 東郷の言葉にそう反論すると、肩をすくめながら井境は続ける。


「うちの村、井境村のことは東郷さんたちもある程度知ってるだろ。大昔にやりたい放題やってた呪術師たちが追い立てられて、隠れ住んだ村……それがあの村で、ついでに言えば俺と西行の生まれ故郷。んでさ、あの村に住んでいた呪術師たちは皆、ある神様を信仰していたんだ」


 手先でくるくるとナイフを回しながら、彼は視線を移して燐を見る。


「東岳大帝。東郷さんたちは分からないだろうけど、宮前さんならピンと来るんじゃない?」


 その言葉の通り、確かに燐はその名を聞いた瞬間に顔色を変えた。


「……泰山府君。あの世を総べる神――」


「そそ、それ。うちの村ではその東岳大帝を信仰していてね、いつかこの世に東岳大帝を降臨させる――それを悲願としていたんだよ」


「馬鹿げています、神を降臨なんて……そんな、いるかどうかも分からないものを」


「それを言ったら呪いや幽霊だって、馬鹿げた存在だろ? なあ、東郷さん」


 そう話を振ってくる井境を無言で睨み返す東郷。そんな彼にまた肩をすくめると、井境は言葉を続けた。


「ま、ともあれさ。俺たち井境村の子供は皆、そういう話を聞かされて育ってきたわけよ。だけど生憎、俺らの代まで来るとそこの宮前さんみたいに、誰も神様の存在なんて信じちゃいない――だから当時まだ若くて意欲に燃えていた俺はさ、西行と一緒に村を出た。すっかり信仰の本質を忘れちまったジジババに、俺たちが目にもの見せてやろうってね」


「……それで、二十年前の事件を起こしたってのか」


 木藤会に潜り込み、彼らを操ってこの屋敷を作らせ、ムクロイの呪術を作り上げた井境。

 呪いのAVを作って、反魂法の呪術を成立させようとした西行。

 二人の行動は、すべて彼の言うところの「神降ろし」のためだったというのか。


「西行はあんまり信仰とかには興味はなかったから、単に不老不死目当てだったみたいだけどね。ま、あの世とこの世の境界をこじ開けるって意味ではやることは一緒だったから、お互い利用しあってたって感じかな。……結局あいつはトチって死んで、俺もめんどくさい人たち・・・・・・・・・から逃げるために肉体を捨てるハメになったんだけど」


「肉体を、捨てた?」


 思わず問うた東郷に、頷く井境。


「俺たちの動きを、そこにいる宮前さんとか、死んだ宮代さん――ああ、神主さんの方ね。その手の霊能者さんたちが嗅ぎつけちゃってさ。逃げるためには一回死んだフリをしなきゃいけなかったんだよね」


 井境はこの屋敷で他の木藤会の連中共々、ムクロイの呪法の反動を食らって死んだと――そういうことになっていたはず。

 だがそれは、あくまで偽装に過ぎなかったというわけだ。


「俺もこの体じゃ不便でさ。どうしたものかと思ってたんだけど――西行が最近また色々悪巧みしてたじゃん。それに相乗りしてまた色々準備を始めて、ようやくまたここまで来たってわけ」


「準備……例の行方不明事件も、てめえが噛んでるのか」


「ご明察。さすが東郷さん、勘がいいね」


 上機嫌にそう褒めてきた後、井境はこう続けた。


「門を開いて神様を降ろすために必要なのは、強い霊力を持つ人柱と、大勢の死者の魂。この街は霊脈の上にあるからか、人柱にできる子はけっこう簡単に見繕えたんだけど――死者の魂ってのが厄介でね。コレはホント、宮代くんが協力してくれなかったら集めるのに苦労したよ。本当は経極組と月無組をぶつけ合わせられれば、もっとたくさんの魂が集められたんだろうけどね」


「……そのために抗争させようとしたってわけかよ」


「東郷さんたちのせいで、ずいぶんと計算が狂っちゃったよ。いやぁ困った困った」


 本当にそう思っているのか分からないような軽い調子でそう言うと、「さて」と手を叩く井境。


「まあだいたいのあらましは、そんな感じでさ。後はその『戻丸』が揃えば完成なんだよね。それには二十年前に引っ張り出してきた東岳大帝の力の一部が封印されてるからさ、それを使えば今度こそ、境界を切り開いて神降ろしを成功させられる」


 そう言って手を差し出す彼を前に、燐が首を横に振る。


「ダメですよ、東郷さん。……万が一にもそんなことが成功すれば、西行の時なんかとは比べ物にならない――最悪、この世があの世に呑み込まれかねません」


「……元より渡す気もねえが、それを聞くとなおさらだな」


 唇の端を持ち上げてそう呻く東郷を見て、井境は困ったように頭をかく。


「うーん、参ったな。西行を殺せるような相手と一戦交えるのはイヤなんだけど――こうなったらもう、しょうがないか」


 ため息混じりにそう呟きながら、彼は手に握ったナイフを再び東郷に向けて。


「予定通り、殺して奪い取ることにするよ」


「やれるもんならやってみろ、クサレ外道が」


 呪術師のナイフと、ヤクザの白鞘。

 再びその双方が、ぶつかり合う。


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