■3//窓辺から睨むもの(2)

 ソノベから依頼された廃ラブホテルは、東郷たちが事務所を構える場所からそう遠くない場所にあった。

 繁華街エリアを端まで行ったあたり、日中は静か極まりないホテル街。問題のホテルは、見てすぐに分かった。

 外観上は、このあたりにある他のラブホテルと較べてもなかなか立派で大きな造り。だが……


「こりゃあだいぶボロボロだな」


 ――そう。東郷が呟いた通り、他の建物とは明らかに老朽化具合が違うのだ。

 人の手が入らなくなった建物というのはこうも傷みが早いものかと思いつつ、東郷は車から出てきたヤスに振り向く。


「準備はできてるか」


「大丈夫ッス。いつものセットに加えて二宮さんの除霊グッズも持ってきてるッス。ボールペンと三角定規とホチキスと下敷き、どれがいいッス?」


「なんでオフィス用具ばっかなんだよ」


 突っ込みつつ、とりあえずその中でなら一番殺傷力の高そうなボールペン(除霊グッズ)だけ受け取っておく。

 ちなみに今回の同行はヤスのみ。まずは下見が目的である……というのが理由のひとつ、そしてもうひとつは、彼らには例の神主殺しの件で動いてもらう必要があったからだ。

 あちらの案件で何か新しい情報が入った時、すぐに動ける人間を待機させておく必要がある。そういうこともあってリュウジとコイカワには事務所で電話番をさせていた。


 すでにライトつきのヘルメットを被って突入体制になりながら、ヤスはホテル周辺を見回して呟く。


「静かッスね。半グレの溜まり場って話だったッスけど」


「いくら半グレっつっても日中から表で騒ぎ起こしてるほど暇でもねえだろ。とりあえず入ってみるぞ」


 そう言って二人が廃ホテルの入り口へと接近すると……割れて開けっ放しになった正面のガラス扉の中、かつてロビーであった場所に早速人影が見えた。

 と言っても霊ではない、頭をパステルカラーに染めた人相の悪い若者が二人――恐らくは件の半グレであろう。

 広々としたロビーの片隅でパイプ椅子に座っていた彼らは、接近してきた東郷とヤスをじろりと睨みつけてくる。


「なんだ、テメェら。ここが『竜宮城』の縄張りだって分かってんのか、あぁ?」


「竜宮城? なんだそりゃ」


 眉間にしわを寄せて呟く東郷に、半グレ二人は舌打ちまじりに続ける。


「俺らはな、この辺りの裏社会を取り仕切ってる――いわゆる『闇の組織』って奴なんだよ、おっさん」


「そうそう。だから近寄らないほうがいいぜ? キレると俺たち意識なくなってさ、死ぬまでボコっちゃうかもしんねぇから」


 いかにも調子に乗った様子でそう言う彼らを前に、ヤスが小声で東郷に耳打ちする。


「あんなイキり口上、久々に聞いたッス……数年前のSNSみたいッス」


「おいそこのモヤシ野郎、なんか言ったかぁ?」


「なんも言ってないッス!」


 耳ざとく釘を差しに来た彼らに慌てて否定するヤス。一方でまったく動じる様子のない東郷を見て、二人は剣呑な様子を漂わせた。


「……オッサンさぁ、なんか態度でかくない? そういうのイラつくんだけど」


「そうそう。勝手に俺らのシマに入ってきといてさ、腕組んで見下ろしてるとか態度悪くねマジで」


「ってかさ、ガラ悪いよねおっさん。なんなの、俺らに文句でもあるわけ? 俺パンチングマシーンで100とか普通に出すんだけど」


 一触即発の空気。ヤスが「はわわ」と怯えまじりに東郷を見ると、彼は小さく肩をすくめて両手を上げてみせた。


「ああ、悪かったな。そんなとんでもないところだとは知らねえで、つい覗いちまっただけだ。俺たちは退散するよ」


 意外にもそんなあっさりとした引き際を見せる東郷。だがしかし、半グレ二人はというとむしろ増長した様子でメンチを切ってくる。


「悪かったで済むと思ってるわけ? フホーシンニューってやつでしょ、そういうの」


「謝るんならさ、誠意見せてくんないとよぉ。痛い目見ることになるよ、おっさん」


 完全に調子に乗ってそう言いながら――なんと片割れの方が東郷に向かって拳を繰り出してきた。

 だがその一撃は完全に空を切り。右手を突き出した半グレの懐に潜り込むようにして、東郷は彼の首筋に何かを……除霊ボールペンを軽く当てながら、口の端を歪める。


「ちゃんと謝ったんだ。お前らも見逃してくれよ、な?」


「あ……」


 芯の出ていないボールペンの先をちょうど頸動脈の走行する直上に当てながら、凄惨な笑顔を浮かべて告げる東郷。

 物わかりの悪い半グレでも彼の放つ殺気を前にようやく、自分たちが手を出してはいけないものに手を出していたことに勘付いたらしい。


「……っ、と、特別に見逃してやらぁ! さっさと出てけ、クソ!」


 そんな捨て台詞とともに後退りする二人に「サンキュー」と返し、東郷はヤスとともに踵を返してロビーを出た。

 外周をぐるりと回って反対側まで行ったところで、ヤスが深いため息を吐いた。


「は~~~~~~~~~怖かったッス……」


「んだよ、クソガキ相手にビビったのかお前」


 呆れたように呟く東郷に、しかしヤスは首を横に振り、


「カシラがあいつら半殺しにするんじゃないかと思って心臓止まりそうだったッス……」


 そう言ってもう一度ため息をついてみせた。


「……でも、なんなんスかねあいつら。カシラの顔も知らないで裏社会がどうとか。途中で笑いそうになっちゃったッス。なんか妙にキャラも濃かったですし」


「ガキの火遊びだろうよ。その程度の浅さなら、逆にケツモチもいねえ不良の集まり程度ってこった――面倒が少なくていい」


 言いながら懐から煙草を取り出して一服する東郷。それを横で見つつ、ヤスが「あの」と口を開く。


「でもどうするッス? これじゃ中の調査できないッスけど」


「出直しだな。連中が手薄な頃合いを見計らって、今度はリュウジたちも連れてこよう」


「カチコミっスね!」


 テンションを上げてそう声を上げたヤスに、東郷は肩をすくめながら首を横に振る。


「穏便に済ますさ。ガキどもが余計なことしなきゃな」


 そうして紫煙を吐き出すと、廃ラブホテルを見上げる東郷。ちょうど日陰側で、まだ日も高いのに妙に薄暗く、かすかな寒気すら感じられる。

 老朽化したその外観を、並んだ窓をじいっと眺めると、東郷はヤスに向かって口を開いた。


「せっかくだし、外だけでも撮っていくか。ちったぁ何かの足しになるかもしれん」


「えー、変なもん写りそうで怖いッス……」


「写ったら大当たりだろ。いいから撮れ、あのへんの窓の辺りとか」


 そう言って東郷が上階の窓のひとつを指さした、その時だった。

 窓の方にカメラを向けていたヤスが、「うひゃあ!」と大きな悲鳴を上げたのだ。


「どうした、ヤス」


「今、窓、窓にっ、女がっ……!」


 弾かれるように東郷もその先に視線を遣るが、ただ闇をたたえた窓が並ぶばかりで注目すべきものはない。

 見間違いかと思う一方で、東郷はヤスの言葉を否定しきれなかった。

というのも……わずかながらであるが、こちらを見つめる冷ややかな視線――そんな気配を感じたからだ。


「貸せ」


 そう言ってヤスの持っていたデジタルカメラをひったくって窓のあたりを2,3枚撮ると、東郷はデータを確認する。

 すると――


「……こいつぁ、当たりみてぇだな」


 肉眼ではただ、割れた窓ばかりが見える場所。だが写真として映し出されたその場所には……ヤスの言う通り、真っ黒で長い髪をした女のような人影が、たしかに写り込んでいたのである。

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