■1//世は並べてこともなし(1)
「いやぁ、暇ッスねー」
穏やかな日差しがブラインド越しに差し込む、経極組事務所。
応接用のソファにもたれかかって昼時のワイドショーをぼんやり眺めつつ、だらしなくそう呟いたのは――まだらに染めた金髪と安っぽいスカジャンが目印の若衆、ヤスだった。
いかにも気の抜けた顔をしながら彼はあくびを噛み殺し、ふと向かいに座っているもう一人……いかにもチンピラ感の漂うパンチパーマが特徴的なアロハシャツのヤクザ、コイカワを観る。
すると彼は何やら一心不乱に自分のスマホを操作しているようだった。
「なにしてるんスか、コイカワさん。見たことないくらい真剣な顔ッス」
「うるせェ、今季節イベントの終盤戦なんだよ……ここで粘らねえとランキングが! 報酬が!」
そんなやり取りの中。舌打ち混じりに事務所の奥の机から二人を睨む男が一人。
「てめぇら、一応業務時間中だってこと忘れてんじゃねえだろうな」
彼こそがこの経極組の若頭、百人斬りの「経極の白虎」と異名を取る男――東郷兵市である。
「そんなに暇ならちょうどいい仕事があるぜ。最近どうも拳がなまってる気がしてな、久々にしっかり人でもぶん殴りてえ気分なんだ」
こめかみにいかにもな傷跡が残る強面を苛立たしげに歪める彼に、ヤスとコイカワは表情筋を固くしてぎこちない愛想笑いを浮かべる。
「いやぁ、そういうのならコイカワさんが適職だと思うッス。耐久力おかしいッスから」
「いやいやいやァ、ヤスの方が殴ってスカッとするようなムカつく顔してますぜェ」
お互いに指さし合う舎弟どもの醜い有様を見つめて東郷がため息をついていると、奥の台所からもう一人――制服姿にエプロンを巻いた少女が姿を表す。
「まあまあ、暇ならいいじゃない。最近東郷さんたち、いろいろ大変だったみたいだし――この前はうちのお父さんのことも、お世話になっちゃったし」
八幡美月。故あって時々この事務所に来ては、飯炊きや掃除、洗濯などを手伝ってくれている女子高生である。
一応ヤクザであるところの東郷たちにまるで物怖じもせずにそう割って入った彼女に、東郷は「まあな」と不承不承頷いた。
呪いのAV事件。あの一件では舎弟どももだいぶ怪我を負ったし、それ以外にも色々と面倒事の後始末もあった。
そういった事情がようやく一段落したのが、例の事件からひと月ほどが経った今時分である。そういう意味では彼女の言う通り、今くらいは暇を持て余していてもいいのかもしれないが。
皿を運んできて昼食の炒飯を東郷たちによそい分けながら、美月は東郷に訊ねる。
「そういえばリュウジさんは? 最近見ないけど」
「あいつも草壁の入院中はだいぶ色々と駆けずり回ってくれたからな。今はしばらく休暇中さ」
「へぇ、ヤクザなのに福利厚生しっかりしてるんだ」
「ヤクザがブラック企業やってたら、そりゃもう誰にも言い訳つかねえだろ」
そんなことを言いながら、美月の作ってくれた炒飯を口に運ぶ。米はぱらりとよく解けていて、味付けも濃すぎず薄すぎず。東郷も自分で作ることがないわけでもなかったが、それとは別格の出来栄えだった。
密かに舌鼓を打っていると、美月がお盆を抱きかかえながら覗き込んでくる。
「どう? 美味しい? ホントはもうちょっと手間掛けたかったんだけど、材料の買い出し忘れちゃってたから……」
「心配すんな、旨いよ。これならいつでも嫁に行けるさ」
何気なくそう返したところ、美月が目を白黒させて頬を赤くしていた。……マズったな、と内心で舌打ちする東郷。セクハラとも取られかねない発言だったと後悔しつつ、何かフォローを入れようと考えていると――
「あ、カシラ。これこの辺の話じゃないっスか?」
ワイドショーを眺めていたヤスがそんなことを言うので、それに乗じて東郷はその話題に乗り換えることにした。
「……連続行方不明事件? 穏やかじゃねえな」
ワイドショーで取り沙汰されていたのは、東郷たちの住む市を中心として複数件の行方不明事件が起こっているという内容だった。
いなくなっているのはどれも若い女性。学生からOLまで、現時点で四人が行方不明になっているという。
被害者たちに接点はなく、足取りからも共通点は見当たらないとのこと。なんともロクでもない予感しかしない事件である。
眉間にしわを寄せながら、東郷は美月に向き直って告げる。
「美月ちゃんも、気をつけろよ。妙なことに巻き込まれそうになったら、すぐに俺たちに連絡入れたって構わねえから」
「え、あ、うん……分かった。ありがと……」
おずおずと頷く彼女。とその時――不意に事務所の扉が開く音がした。
誰かと思って一同が視線を向けると、そこにいたのは……
「どうも、カシラ。休みの件、お気遣いありがとうございました」
噂をすれば影というやつか。まさに先ほど話題に出た若頭補佐にして東郷の腹心、リュウジその人であった。
「いや、何してんだお前。まだ一応休暇残ってたはずだろ。っていうかモロに休み真っ最中な格好じゃねえかよ」
そう突っ込んだ東郷の言葉通り。スキンヘッドに真っ黒なサングラスといういで立ちは相変わらず、だが服装はというと普段の黒スーツではなく、派手な色のアロハシャツである。
「俺とキャラ被っちまいますよォ、リュウジさん!」
「間違ってもお前の愉快な頭とは見間違えねえから安心しろコイカワ」
冷静にそう告げつつリュウジへと向き直る東郷。するとリュウジの方から言葉を切り出してきた。
「実は……その、休暇中も仕事のこと気にしてたせいで嫁からカミナリ食らっちまって。落ち着かないんだったらいっそ職場に顔でも出してこいと言われまして」
「なるほど……」
ほとんど話題になることはないが、リュウジは地味に恐妻家であり愛妻家でもある。当の妻からそう言われれば彼の場合何も言い返せまい。
「それで、ちょいとやり残した用事もあったので親父殿のところに顔を出したりもしていたんですが……その時にカシラに言伝も頼まれてまして」
「言伝? ……直接言ってくれりゃあ良いのに」
「親父殿、電話は苦手ですからね。……カシラに伝えてほしいってのは、例の長ドスの件です」
そう言って彼が一瞥したのは、事務所の壁際に飾られている白鞘の長刀だった。
東郷が組長から譲り受けた、無銘の一振り。彼が百人斬りの異名をとるきっかけとなった抗争では大勢のヤクザの血を吸い、それからも人の道を外れた魑魅魍魎を斬り伏せて――けれど度重なる埒外の騒動の中で、ついにはへし折れてしまっていた。
こいつを直せる鍛冶師にアテがあると言ったきり、しばらく音沙汰がなかったのだが……
「アテができたのか、こいつを直せる鍛冶師の」
「ええ。少し遠いですが、XX県の山奥に、親父殿の知り合いの鍛冶師が住んでいるとかで……話はもうついているから、暇な時にでも行ってくれと」
「XX県か。隣だな……そんなに時間も掛からなそうだし、今日のうちに行っても良さそうだ。こいつをこのままにしておくのも、寝覚めが悪いしな」
そう呟いて東郷もまた、白鞘をちらりと見る。
普段、道具にそこまで思い入れを持つタイプではないが――とはいえこの白鞘は親父殿から託された信頼の証。それでなくとも、幾多の修羅場を共にしてきた相棒のような存在でもある。直せるアテがあるなら、早く直してやりたかった。
「昼飯が済んだら、すぐに出発する。……リュウジ、悪いが頼めるか」
そんな東郷の言葉に頷くと、リュウジは服装とは裏腹に真面目な口調で続ける。
「無論です。車を回しておきますので、カシラはご準備できましたら声掛けて下さい」
そんな二人のやり取りを聞きながら、コイカワとヤスがおずおずと手を挙げた。
「あのー、もしかしなくても俺らも行くっスか?」
「当たり前だろ。お前らこそ暇してたみてぇじゃねえか」
リュウジの言葉に、「分かったッス……」と頷くヤスとコイカワ。そんな二人を横目に見ながら東郷は美月へと向き直った。
「ってわけだから、すまん、美月ちゃん。飯食い終わったらすぐに留守にするからよ、君は先に帰っててくれ」
「え、でも後片付けとかもあるし、留守番くらいしててあげるけど……」
「バカ言うな。ヤクザの事務所で女子高生に留守番させるとか、親御さんに顔向けできねぇよ。それに――例のニュースの事件もあるし、何かと物騒だ。早く帰った方がいい」
そんな東郷の言葉に、美月は意外とそれ以上粘ることはなく頷いて、
「うん……分かった。でも洗い物はしっかりしといてよね、今の時期、すぐカビちゃうんだから」
「わかったわかった。……ああそうだ、美月ちゃん。これ持ってけ」
そこで東郷はなにやら思い出したように引き出しを探ると、ひょいと美月に向かって何かを投げ渡す。
美月が手元を確認すると、それは「交通安全」と書かれたよくある御守りだった。
「どうしたの、これ?」
「二宮が修行の一環で作ったっていう御守りだ」
二宮というのは、少し前に出会ったインチキ霊媒師――もとい、霊力だけは高いと評判のポンコツ霊能者である。
今はヤスの祖父の神社で霊力のコントロールのため修行の日々に明け暮れているのだが、その彼がこの御守りを作って送りつけてきていたのだ。
彼にいい思い出のない美月はというと、渋い顔をして手元の御守りを見る。
「大丈夫なの、これ?」
「ヤスの爺さんのお墨付きだ。厄除けくらいにはなるみてぇだからよ、持っといてくれ」
「東郷さんはいいの?」
「俺はそんなもんなくても自力でどうにかするさ」
そう東郷が返すと、美月は再び御守りを見つめた後、こくりと頷いて学生鞄にくくりつけた。
「……お言葉に甘えて、貰ってくわ。ありがとね、東郷さん」
「おう。気をつけて帰れよ」
そんなやり取りを最後に、そそくさと事務所から出ていく美月。その彼女の背中を見送りながら――
「なんだか実家のお袋を思い出すなァ……」
なんて一人黄昏れていたコイカワはさておき、東郷は「よし」と一同を見回して告げる。
「そうなると、まずはアレを決めねえとな」
「アレって、なんスか」
「そりゃ決まってるだろ。誰が食器の片付けやるかだよ」
――結局、ジャンケンでストレート負けしたヤスがやる羽目になった。
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