■8//霊能者・二宮雲海VS呪いの部屋(2)

 体重を乗せた一撃。手応えは、あった。

 例えるなら粘土の塊でも殴りつけたような、独特の粘性を持った感触――しかしそれは「影」にダメージを与えるには至らなかったらしい。

 「影」は東郷を一瞥するや、その腕を無造作に振って東郷の顎を狙う。

すんでのところで回避し、続けてもう一打を空いた「影」の胴体部分へと打ち込むが……今度は拳の先がめり込んだかと思うと、そのままコンクリ詰めされたみたいにその部分が固まって動かせなくなる。

 ――東郷を捕らえるための、罠だ。


「クソがッ……」


 拳をそのままに「影」を蹴りつけるが、びくともしない。動きを止められた東郷を、いつの間にか頭2つ分ほども背丈を伸ばした「影」が見下ろして――


「カシラから離れるッス!」


 しかしその時、ヤスが投げつけた塩(もはや常に持ち歩いているらしい、いつもの清めの塩である)が「影」に直撃。すると「影」の拘束がわずかに緩み、その隙を逃さず東郷は腕を引き抜くと後ろに飛び退って距離を取る。


「でかした、ヤス!」


「ッス! やっぱり塩は万能ッス!」


「オラオラ、悪霊退散だァ!」


 言いながらさらに追い塩を投げつけるヤスとコイカワ。だが……やがてすぐ、調子に乗っていた二人の顔色が青ざめる。

 投げつけた塩が……「影」にぶつかる前に、黄色い炎を上げて燃え上がったのだ。


「塩が効かないッス!? もうダメッス!」


「諦めが早ェよ馬鹿!」


 万策尽きた顔で頭を抱えるヤスに、ビビりながら怒鳴るコイカワ。そんな二人を一瞥しつつ、東郷は辺りを見回す。

素手で殴ろうものならまた捕まる。なにか武器になるものを探さなければ――そう思っていると、電灯の明滅に照らされてきらりと光るものが床に落ちていた。

 見るとそれは、ペーパーナイフだろうか。恐らくは二宮がさっき投げつけていたもののうちのひとつだろう。


「……この際!」


 とっさにそれを拾い上げると、東郷は二宮たちへと近づこうとしている「影」に向かってそれを全力で投擲。ペーパーナイフの刃先は「影」の首筋に突き刺さり、するとその瞬間――「影」は初めてその動きをびくりと止め、怯んだように数歩後退した。


「効いたッス……?」


「さっきは効かなかったのに……」


 口々に呟くヤスと二宮。投げつけた東郷にとってもそれはいささか驚きであったが、ともあれすぐに思考を切り替える。これが効くなら――


「おい雲海先生、除霊グッズはまだ残ってるか!?」


「へ、あ、はぁ……いや、さっき全部投げてしまったから――あ、いや」


 状況についていけず気の抜けたような声を上げながら、そこで二宮は何か思い出した様子で自分の手首に巻いていた安っぽい数珠を東郷に投げ渡す。


「あとは、それだけだ……!」


「は、むしろ文房具よりは使いやすい――」


 東郷は小さく笑うと、その数珠を右手指の半ばまで通して、メリケンサックのように握り込む。

 準備は万端、体勢を立て直しつつあった「影」が再び動き出そうとしていたところに先制して飛び込むと――


「とっとと、出てけや!」


 怒号とともに、数珠を巻いた拳で「影」の顔面に右ストレートを繰り出して。

 それが命中した瞬間……今度はさっきのようにはならず、「影」の頭はその衝撃をもろに食らって弾け飛んだ。

 飛び散った「影」の破片はそのまま闇に溶けるように消え失せて、東郷の目の前には頭を喪った胴体だけがよろよろと立ちすくむ。

だがまだ東郷の追撃は終わらない。さらにその胴体に右拳を何度も繰り出して――立て続けの衝撃に「影」はさらに後退。

頭がないながら、「影」の挙動から滲んで見えたのはかすかな怯え。

 目の前にいる人間にしこたま殴りつけられて――それは明らかに、恐れを抱いているように後ずさり、ついには窓枠まで追い詰められる。


「どうした、さっきの威勢はよ。悪霊のくせして何ビビってやがるんだ、えぇ?」


 攻守は完全に交代。狩るものと狩られるものは逆転し、東郷は獣めいた凶悪な眼光でもって「影」を睨みつけながら、拳をこきりと鳴らすと――


「ビビるくらいなら、とっとと出ていきやがれッ!」


 吠える東郷、放たれた渾身の一撃。

 「影」は窓の外に殴り飛ばされて――瞬間、夜の闇の中に霧散して消失した。


 まだ腹の虫が収まりきっていない東郷は窓の外に身を乗り出して辺りを見回すが、もう何もいない。

 事務所内に張り詰めていた存在感、あるいは敵意の類も……あの「影」が外に出たと同時に感じられなくなっていた。


 明滅していた灯りももとに戻り、静穏を取り戻す事務所の中。腰を抜かしたままの二宮は辺りを見回すと……青い顔のまま、東郷を見る。


「……ミスターヤクザ、終わった、のか……?」


 その言葉に頷くと、東郷は肩をすくめて返す。


「ああ、多分な」


 そう呟いた後、東郷は二宮を見下ろしながら手に巻いた数珠を外そうとする。

 すると――数珠のゴムはあっさりと切れて、玉がばらばらになって床に落ちてしまった。


「あっ、三万円の除霊数珠が……」


「あぁ?」


「いやその、なんでもないのである……」


 睨みを効かせた東郷に言葉を失う二宮。そんな彼と、床に転がった数珠の玉を見比べて――東郷は思案げに目をぎらつかせると、二宮を再び見て呟いた。


「おい、雲海先生よ」


「ひっ、す、すいません! もう二度とこんな商売はしないっ、しないから許してッ……」


「ああ、いいぜ」


「命だけ、命だけは……って、え?」


 ぽかんとする二宮に向かって、東郷はさらにこう続ける。


「だがてめえには、いくつか付き合ってもらう。てめえ自身の後始末と――これから・・・・のためにな」


 その言葉に、東郷を除く三人は、揃って不思議そうに首を傾げていた。


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