■呪いノAV-エピローグ(1)
それから、数日が経った日。
経極組の組長、経極兵三郎の住まう屋敷――その客間で、東郷は正座して正面に座る人物を見据えていた。
「……以上が、今回の顛末です」
机を挟んで前に座っているのは、着物姿の白髪の老爺。彼こそがこの屋敷の主にして、東郷の親分に当たる人物――経極兵三郎。
彼は東郷の話を一通り聞き終えたところで、「ふぅむ」とあごひげを撫でながらしばし沈黙し――
「なるほど、分かった。……と、全部まるっと呑み込むのもなかなか難しい話ではあるが。たぁいえ……お前だけじゃなくリュウジまでも証人となると、与太話とも言えなそうだ」
東郷の後ろに座っているリュウジを一瞥して二、三度頷くと、その厳しい顔に苦笑めいたものを浮かべた。
「二十年前に死んだ木藤会のチンピラが、呪術で生き返ろうとして呪いのビデオとやらをばらまいて――そのせいで巡り巡ってうちの若衆がやられた、ね。本当に、お前らが言ってるんじゃなければヤクでもキめてんのかと疑うような話だ」
「ええ、俺も……そう思います」
「だが、嘘じゃねえんだろ」
兵三郎の言葉に、東郷はたしかに頷いて。
「ええ、組の代紋と背中の白虎に誓って、真実です」
「なら信じるさ。血こそ分けずとも、俺ぁお前の親父なんだからな」
そうあっさりと受け入れたところで、彼は卓上の茶をすする。
そんな彼の様子をじっと見つめながら、東郷はあの日のことを思い出していた。
――あれから数日。例の村を脱出した東郷たちはリュウジたちが乗ってきた車で急いで関東まで戻り、経極組が懇意にしている病院にすぐさま草壁を担ぎ込んだ。
運ぶのに時間がかかったこともあって危惧するところこそ多かったものの、幸いに見た目のわりに臓器や血管の損傷はなく、命に別状はなし。
東郷たち自身についても、ビデオを見てから3日が完全に経過しても誰一人死ぬこともなく――西行の呪詛はしっかり、あの場で絶つことができていたらしかった。
ただ……
「……親父殿、ひとつ、詫びを入れたいことが」
「あん?」
首を傾げる兵三郎に、東郷がリュウジに目配せして出させたのは……例の白鞘。
畳の上に差し出されたそれを兵三郎が引き抜くと、その刀身はあの時のまま、半ばからぽっきりと折れていた。
「こりゃあ、また……ずいぶん綺麗に折れたもんだな、おお」
「申し訳ありません。親父殿から譲り受けた白鞘を――こんなふうにしちまって」
そう言って深々と頭を下げる東郷の前で兵三郎はしげしげと折れた刀身を見回した後、それを鞘にしまい直して東郷に返し、小さく笑った。
「頭上げろ、兵坊。こいつぁてめぇに渡したもんだ、てめぇがどうしようが俺が口出すことでもない。それに――こいつが折れた代わりにてめぇが生きて帰ってこれたなら、安いもんだろ」
「……ありがとうございます、親父殿」
もう一度深く頭を下げる東郷に、からっとした笑みを返した後……「にしても」とあごひげを撫でながら兵三郎が続ける。
「木藤会、か。今は全滅して久しいとはいえ――そんな妙な真似してた連中だったとは。例の屋敷の件といい、どうにも薄気味悪いな。一度改めて、洗ってみるか」
「ですが親父殿、もう関係者はいなのでは?」
「まあそうなんだが。ただ――月無組に潜り込んでいたってぇそのチンピラみたいに、奴らはよその組に人を潜らせるのが得意な連中でな。ひょっとしたらその残党が今もどこかの組に――あるいはうちにも、紛れ込んでいるかもしれん。お前も気をつけろよ、兵坊」
「……肝に銘じておきます」
そう言って頷くと、東郷はもう一度深く頭を下げて、
「では、親父殿……これ以上お邪魔しても悪ぃですから俺はそろそろ、失礼します」
「おう。またいつでも顔見せろよな。……ああ、それと」
そう言って呼び止めると、兵三郎は東郷の握る白鞘を指差して、
「そいつのことだが。俺の知り合いに腕のいい鍛冶屋がいるんでな、今度紹介してやるから打ち直してもらうと良い」
「……ありがとうございます」
「なに、良いってことよ」
そう言って笑ってみせる兵三郎にもう一度頭を下げて、東郷とリュウジは屋敷を後にした。
――。
それから東郷が向かった先は、草壁が入院している病院だった。
外科病棟の一角にある、名札表示のない個室。丁度先日までコイカワが入っていた部屋である。
彼は勝手に病棟を抜け出すという不届きのせいで強制退院となったらしく、結果としてそこに入れ替わりで入る形で草壁が入院したわけだ。
「草壁、入るぞ」
ノックとともに扉を開けると、奥のベッドの上に草壁はいた。
入院着で腕には点滴のルートが繋がれた状態。上半身を起こし、机に置いたノートパソコンで何やら打ち込んでいるようだった。
入ってきた東郷に気付くと、草壁はいつもと変わらぬイヤそうな面で東郷をひと睨みする。
「……何の用ですか」
「見舞いに決まってんだろ」
「貴方の顔を見ると具合が悪くなります」
「……てめぇな」
舌打ちをこぼしながら、ベッド脇の椅子に腰掛けると、東郷は卓上のノートパソコンを一瞥してうんざりした顔をする。
「入院中にまで仕事なんざしてんじゃねえよ。部下に任せとけ」
「そうもいきません。……死んだ間垣たちの分もある、僕まで休んでいたら部下に示しが――」
「そういう時に上が休まねえと、それこそ舎弟どもが安心できねえだろ」
そう返す東郷に、草壁は不服げに沈黙した後……大人しくパソコンを畳んで、小さく息を吐いた。
「本当に、古臭いことばかりを言う」
「古臭い人間なのさ」
鼻を鳴らしてそう言った後、東郷はそれより、と続ける。
「傷の具合はどうなんだ」
「もうじき糸も抜けるだろうと、医者は言っていました」
「そりゃあ何よりだ。……随分な無茶をしてくれたからな、お前も」
そんな言葉に、草壁は肩をすくめて、
「もとより計算ずくです。死なないように、撃つ場所くらいは考えていましたから」
「へっ、そうかい。心配して損したぜ」
口を曲げてぼやく東郷に、それから草壁は少しの沈黙を挟んで――
「……ですが、礼は言っておきます」
「あん?」
「あいつを殺して……母の無念を晴らしてくれて、ありがとう。
じっと東郷を見つめてそう告げた草壁に、東郷は……憮然とした表情でわずかに視線を逸らした。
「自分の親父を殺した相手に、礼なんて言うもんじゃねえよ」
「……ふん、そうだな。だが言わずにおくのも寝覚めが悪い」
敬語を使うことをやめて、代わりに初めて草壁の顔にわずかな笑みのようなものが浮かんでいた。
「あの後。久々に、母の夢を見た」
「……」
「暗い、暗い場所に引っ張られていく僕を……母の手が引っ張ってくれて。それから『ありがとう』と。生きている頃には見たこともないような笑顔で、あの人はそう言ったんだ。馬鹿げた話だがな」
そう話した草壁に、東郷はしばしの沈黙の後――「そうか」とだけ返して。
「そういうことも、あるだろうさ」
そんな東郷の言葉に……草壁の方もそれ以上は何を言うでもなく、ただ窓の外、遠くを静かに見つめていた。
そんな彼をただ腕を組んで見つめながら……東郷はそれから、彼の右手に視線を移して口を開く。
「――ところでよ。その指は、そのままで良かったのか? 一応くっつけられるように、拾って持ってきてたはずだが」
そう東郷が指摘する通り、草壁の右手の小指……あの時東郷に斬られたそこには、今もまだ、指はなかった。
そんな手をちらりと見ながら、草壁は「ふん」と鼻を鳴らし、
「これは、僕なりのけじめだ。……あいつに踊らされて部下たちを犠牲にした、その落とし前だ」
「落とし前、ね」
お前もなかなか古臭い考え方をする、と言いかけて、けれど確実に不機嫌になるだろうからそれ以上は言わずに頷く東郷。
「もともとタイピングに小指は使わないたちだから、仕事でも特に障りはない」
「そりゃ別に訊いてねえが」
そんなやり取りの後、「まあいいや」と東郷は席を立つ。
「ともあれ、てめぇが元気そうで安心したぜ――そろそろ退散するとしよう。ああ、それとこいつも」
そう言って彼が床頭台に置いたのは、桃の缶詰だった。
「……何だ、これは」
「桃だよ。魔除けにもなる」
「何を言っているんだお前は」
怪訝な顔の草壁にそれ以上答えず、東郷は病室を後にした。
病院の建物を出て、日差しの照りつける外へ。その眩しさに目をくらませながら、東郷はなんの気なしに辺りを見回してみる。
だがもちろん、受診者たちが行ったり来たりしているくらいで――別に誰かが東郷のことを待ち受けているということもない。
いつもならこういう時、だいたいヤスの母がいきなり現れたりするのだが。
「……まあ、そういうこともあるか」
それだけ呟くと、東郷はそこでリュウジの待つ駐車場へと歩き出そうとして――そんな時だった。
携帯電話が着信のバイブレーションで震え、表示に視線を落とし……東郷はうんざりした顔で、応答する。
『どうもどうも。私のこと、待ってませんでした?』
「いや、待ってねえよ」
誰なのか、訊くまでもなく燐だった。
『今回はけっこう私も深入りしちゃいましたからね。バランスをとるために、今回はこういう形でお話することにしておこうと』
「……意味が分からねえが。それに別に、話すこともねえだろ」
『気になりませんか? あの村にあった屋敷が、どうして例の屋敷と全く同じ構造をしていたのかとか』
思わせぶりなその口調に、東郷は眉間のしわを深くする。
「どういう意味だ」
『これは私の見立てですが。あの屋敷にしろ、この街のそれにしろ……その一帯の霊脈、いわゆる土地自体が持っている超常的な力が集中している場所に建てられているんです。そしてあの構造は、その霊脈の力を吸い上げて屋敷の中に溜め込む、そういう造りになっている』
「……それで? だとしたら木藤会の連中はどうしてこの街にそんな屋敷を建てた? 西行の差し金か?」
『それならば、いいのですが』
いまいち意味のわかりかねる燐の言葉に、東郷は怪訝な顔で訊き返す。
「何が言いたい。はっきりと言え」
そんな詰問めいた東郷の問いかけに、燐はしばしの沈黙の後でこう続けた。
『木藤会という組について、調べられる範囲でこちらでも調べていたのですが――二十年前、木藤会に出入りしていた呪術師というのがいたらしく』
「そいつは西行じゃねえのか」
『ええ。どうやらそれは――
「……井境」
その名には聞き覚えがあった。井境……井境村。西行の生まれ故郷、呪術師集団の村。
だとすれば、燐の言わんとすることも見えてくる。つまりは――
「木藤会は、あの村と何か関係があったってことか」
『断定はできませんが』
そう神妙そうに答えた後、燐は一転して明るい声で『でも』と続けた。
『結局はもう、終わったことです。木藤会という例の組は、あの【ムクロイ】の呪術の失敗で壊滅したようですし――井境という人のことは懸念ですが、それは
「いや、そうもいかねぇだろ。そんな話を聞かされたら」
『いいえ、それでいいんです。以前にご忠告申し上げたこと、忘れましたか?』
そんな彼女の言葉に、以前彼女が「境界線が揺らぐ」とか「怪異に身を堕とすだとか」そんなことを言っていたことを思い出す。だが、
「別に今回だって、俺はなんともなってねぇ。気にしすぎだろ」
『自覚がないだけですよ。銃弾を刀で弾くとか、黄泉比良坂に呑まれかけて脱出してくるとか、そういうのはとっくに人間の範疇を超えた埒外の行為です。……あの刀が折れてくれたのは、貴方にとっては幸運でした。あんなものを握り続けていたら、いよいよもって
「こちら側?」
『……こほん。ともかくこういったことにはもう絶対に首を突っ込まないこと。そうでないと、
「あん? ちょっと待て、そりゃ一体どういう――」
それきり、燐は一方的に通話を切ってしまう。
通話終了の画面を閉じて、東郷は名残惜しげに携帯を見つめた後……己の手に視線を落とす。
あの闇の中に呑まれかけた時。「あちら側」に吸い込まれそうになっていた自分を引っ張り上げた、ふたつの手。
それは――
「……また墓参りにでも、行くとするかね」
それだけ呟くと、東郷は携帯電話をしまって歩き出す。
生きていることの実感を焼き付けるような日差しの暑さが、肌に沁みた。
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