■17//DAY3:悪夢、抗う者(1)

 血の滴る右手を抑えながら、驚愕の表情を浮かべて己の手を見つめる西行。

 口を動かし、何かを言いかけたその時――


「なん『……ふざ、け、る、なよ』だ、くそが」


 まるで一人で二人分の言葉を発しているかのような、奇妙にねじれ曲がった台詞。すると彼は自身の顔を血まみれの右手で抑えると、荒い息を吐きながら、


「『の体を、好き勝手に、操るなッ……』」


 そう告げた彼の言葉に、東郷ははっとして声をかける。


「草壁? 草壁なのか、おい!」


「あぁ、クソが、まだ意識が残ってやが――『黙れ、クソ野郎』ぐ、がッ……」


 体をデタラメに振り回しながら呻く西行……否、草壁。その様子を見て東郷は確信する、草壁は……まだそこに、いるのだ。

 東郷を一瞥しながら、彼は――草壁は不機嫌そうな表情で、脂汗を浮かべながら口を開く。


「『……お前が僕の小指を飛ばした瞬間、こいつの支配が、弱まった――礼など、言わないが』」


 そう一方的に東郷へと告げた後で、彼はさらにふらふらと体を揺らしながら、己自身に……そこにいる西行へと、語りかける。


「『お前の話は、全部聞こえていた……お前は、母さんを利用したな――こんなことのために、母さんをッ……』」


「あぁ、うっせぇな……てめぇは黙って、消えてやがれッ! 親のために死ぬのが、子供の役目だろうがっ……ぐ、あぁ……!」


 言葉こそ威勢がいいが、西行の方が圧されつつあるらしい。体の主導権はすでに草壁にあるのだろう、彼はゆっくりとした足取りで祭壇を降りると、そこで踵を返して己の背後にあるテレビと、その前に置かれた白骨を見上げ――


「『僕は……大馬鹿だ。お前みたいな男のために復讐なんて考えるなんてな。その結果が――これだ。自分の部下まで死なせ、僕自身も乗っ取られかけて。だから……東郷』」


 そう言うと彼は、その場に落ちていた拳銃を拾い上げて。

 そんな彼の行動に――東郷はその意図を察して、手を伸ばす。


「馬鹿野郎が、やめ――」


 ……東郷の言葉を遮るようにして、響いた銃声は、一発分だった。

 草壁の腹から血が弾けて、彼の体が崩れ落ちる。

 自ら腹に押し当てていた拳銃はするりとその手を滑り、土の上を跳ねた。



「草壁!」


 東郷が駆け寄って彼の体を抱き起こすと、草壁はまだ、息があるようだった。

 じっとりとした汗を吹き出しながら、わなわなと唇を震わせている草壁。銃創は、腹部。彼の白いワイシャツはすでに真っ赤に染め上げられていた。


「阿呆な真似しやがって、おい草壁、しっかりしやがれ!」


 声をかける東郷に、しかし彼は虚ろな目のままあさっての方を見て、荒い息とともに言葉を吐く。


「……勘違い、するなよ、東郷。僕は……僕なりの、けじめを、つけただけだ。任侠だとか、極道だとか、古臭い価値観と、一緒にするな……」


「喋るんじゃねえ、草壁! ……リュウジ、応急処置を!」


「はい……!」


 コイカワのリュックから救急キットを受け取り、リュウジは草壁の手当を始める。腹にきつく包帯を巻かれながら、そのまま草壁はおぼろげな目つきで祭壇を指差して――


「……東、郷。お前なんかに、頼むのは癪だが、頼む……。あいつを――僕の父親を、殺して、くれ……!」


 そう告げたっきり、ぱったりと意識を失う草壁。そんな彼に頷いて、東郷が祭壇を見返すと――そこで彼は表情を鋭くした。

 地に流れた草壁の血。おびただしい量のそれらが……いかな理由か、生き物のように祭壇の階段を上り、そこにある白骨へと集まっていたのだ。

 土色だったその骨は、みるみるうちに血を吸い上げてどす黒く染まり。やがて――


『――あぁクソ。なんて親不孝者だよ、まったく』


 瞬間響いた声に、東郷たちは一斉にそれを見る。

 かたかたと、まるで笑うようにして顎を動かしている――草壁の母の頭蓋骨を。


『やってくれたぜ。小指エンコ詰められたせいで、そいつとの縁まで切れちまった……おかげでこんな、カビ臭い入れ物に逃げ込む羽目になって。ああ、なんてカワイソウな俺!』


 芝居がかった口調で嘆く白骨――否、西行。

すると同時に、その後ろのテレビ画面に浮かんだあの「門」の印から「髪」が這い出してきて……みるみるうちにその白骨を包み始めた。


『……まあいいや。丁度、これだけ沢山候補・・はいるからな。てめぇらを殺して――今度こ   ソ    生き――――カエっ  て、 や、  ル』


 白骨にまとわりついた「髪」が、腐肉へと変わる。みるみるうちに肉付けされ、やがて西行は――髪の長い女の姿へと、変貌していく。

 もっともそれは本来の草壁母の外見とは程遠く醜悪な――腐乱死体のようなそれであったが。


『死ネ、や、東郷ォ――――』


 祭壇から駆け下りてくるや、「髪」を伸ばして東郷へと襲いかかる西行。だが、


「やらせるかよッ」


 リュウジの怒号とともに放たれた散弾が、西行の右半身を吹き飛ばし。体勢を立て直しながらもなお向かってくるそれを東郷は正面から睨み返して……そして、


 白鞘を握ったままの拳で、真正面からその鼻面を殴り飛ばした。


『へぶゥうゥっ……』


 腐肉と砕けた頬骨、鼻骨が飛び散り、きりもみ回転しながら吹っ飛ぶ西行。東郷は無言でそんな彼の元へと近づくと――黒手袋をはめ直しながら彼を見下ろし、


「てめぇみたいなクサレ外道をのさばらせてたら、地獄で閻魔様に顔向けできねぇ。……だからよ」


 白鞘を両手で握り直し、上段に大きく振り上げて――


「とっとと元いた場所に帰りやがれ、くたばり損ないがッ!!」


 振り下ろされた刃によって西行の体は……草壁の母の遺骨は真っ二つに、両断される。

 左右に分かたれて倒れた屍。まとわりついていた腐肉は再び「髪」へと戻って……東郷の見ている前でそれらは引っ張られるかのように、あのブラウン管テレビの画面へと戻っていこうとしていた。

 ……西行の入り込んだままの遺骨に、巻き付いたまま。


『なっ、やっ、やめろ……ッ! 何だ、クソが、てめぇ……このクソアマ・・・・、この俺を道連れにしやがる気か――』


 がんじがらめに遺骨に巻き付いた「髪」は、どんどんテレビに吸い込まれてゆき。

 そして――


『くそ、くそ、巫山戯るな、てめぇら……! 呪ってやる、絶対に、あの世から、呪い続け、テ――』


 そんな怨嗟の声を最後に、遺骨は一欠片も残ることなくテレビの中へと消えていった。


 その光景をただ一同は呆然と見守って。やがて広間に静寂が戻ったところで……ヤスがぽつりと、口を開く。


「終わった、ッスか?」


「終わった……ンじゃねェか?」


 おっかなびっくりあたりを見回しながらそう呟く二人。彼らの言う通り、いまや辺りにあの「髪」の気配もなければ、西行の気配も……あのひりつくような敵意も、消え失せている。

 沈黙したテレビを見て、東郷は物思いに耽る。西行を引きずっていった、あの「髪」。

 あれは――


「カシラ。……さっさと出ましょう。草壁を早く医者に連れて行かねえと……」


「ああ、そうだな」


 思考を振り払って、東郷が頷きながら踵を返したその矢先。

 不意に――あのテレビの画面が再び点滅して。砂嵐が流れたかと思うとそこにぼんやりと、あの「門」の印が浮かび上がる。


「なんだ……!?」


 東郷が辺りを見回すと、広間の天井からぱらぱらと土がこぼれ、地面が揺れ始めていた。

 本能的に危機感を覚え、東郷がブラウン管テレビを睨むと――その刹那。

テレビの画面から真っ黒な泥が、凄まじい勢いで吐き出されてきた。

 その勢いたるや、氾濫した河川もかくや。テレビ画面の小ささとはもはや無関係に、凄まじい量の泥濘が吹き上がり――一瞬のうちに祭壇が潰れ、辺りを泥が埋めてゆく。

 それを見て、東郷が下した決断は当然、ひとつだった。


「……逃げるぞ、お前ら!」


 その号令を待つまでもなく走り出す一同。広間を出て、再び暗い鍾乳洞へ。すると鍾乳洞の脇を流れている水脈もまた、どうしたことかすでにあの黒い泥で埋まり、それどころかすでに溢れ出してきている。


「なんなんッスか、これぇ!?」


「知るかよ、だが――この調子じゃ、逃げねえと泥に溺れて死ぬぞ!」


「一番イヤな死に方だぜェ!」


 泥で埋まりつつある洞窟を死ぬ気で走りながら泣きわめくヤスとコイカワ。そんな彼らのしんがりを守りながら、東郷は後ろを一瞥する。

 迫ってくるのは、今までに感じたことのないほどのおぞましいほどの敵意……否、それはもはや災害にも似た、「死」の体感そのもの。

 よくよく照らして見ると――なんということか。その黒い泥の波、そのひとつひとつがまるで人の顔……それも苦悶に歪んだそれのように見えるではないか。

 こんなものに溺れるなど、考えたくもない。そんな思いが原動力となってだろう、病み上がりのコイカワも今までにないくらいに必死で走り続けている。

 幸いに鍾乳洞の中は一本道、逃げる方角で迷うことはなく一同はそう掛からないうちに出口の梯子を発見した。


「あったッス!」


 梯子までの距離は、とはいえまだ数十メートルはある。

 濁流の勢いも凄まじく、もはや東郷たちの背後まで迫ってきていて。辿り着くのとそれに呑まれるの、どちらが早いかは自明であった。

 ……だから。


「――くそったれがァ!」


 東郷はその場で足を止めると、己の背の高さを遥かに超えて迫るその波を睨み据え、そこに白鞘を突き込む。

 何の根拠もない、全くの勘だ。だが――こうすれば何かが変わるかもしれないと、これまでの経験がそう告げていた。

 そして。


「……すげェ……」


 思わずコイカワが息を呑むのも無理はない。

 東郷の構えた白鞘の刃――それはまるで聖者の海割りの奇跡のように、迫る波を押し分けて退けていた。

 刃と波とが触れている部分からは何やら地鳴りのような、低く重い音が無数に響く。

 それは人の嘆きにも聞こえる、耳にするだけで死にたくなってくるようなおぞましい叫びの重奏――


「っ、ぐぉぉ……」


 巨大な黒の波を退ける刃、それを両腕だけでどうにか押さえつけて――しかし流石にそれも、長くは保たなかった。

 ぴしり、と甲高い音がして。見ると東郷の白鞘……その刀身に半ばから亀裂が入っていたのだ。

 やばい、と思った時にはもう遅かった。

 刀身はぽきりと折れて、押さえつけられていた波がどっと、東郷の全身を呑み込む。


 カシラ、と呼ぶ声が遠くに聞こえたのを最後に。

 東郷の意識は――深い深い闇へと沈んでいった。


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