■13//DAY2:井境村

 少し遠出になる、という草壁の言の通り。草壁の運転する車に乗って、すでに数時間が経過しようとしていた。

 窓の外を見ると、空にはいつの間にやら雨雲が厚く立ち込めており、水滴が窓をぱらぱらと打ち付けている。

 携帯のGPSで確認すると、どうやらずっと北上し、東北の内陸部へと向かいつつあるらしい。最低限しか聞かされずにこんな場所まで車で運ばれるなど、普段の東郷であれば考えられないことだったが……相手が草壁であるという負い目、そして何より時間も手がかりもない現状への焦りから、東郷はこの博打に乗ることにしたのだ。

 とはいえ、気になるのは目的地についてだけでもない。東郷は鞄に入れて持参したもの――例の呪いのアダルトビデオに視線を落とす。

 今回出発するにあたって、草壁がこれを持っていくようにと言ったのだ。

 それがどういう意図かはわからない。訊いても「着いたら説明する」の一点張りでどうにもならず、結局こうして持ってはきたが……とはいえいい加減、この状況にも少し苛立ちの方が募り始める。

そろそろ目的地について問いただそうかと東郷が思い始めたそんな矢先――先に口を開いたのは草壁だった。


「母の墓の件で、墓の管理人から連絡があった。……墓の中にあったはずの母の遺骨がなくなっていたのは、お前らのせいか?」


「……まさか。そいつぁ天地神明と組の代紋に誓って違うぜ」


 そんな東郷の答えに「ふん」と鼻を鳴らした後、草壁はさらに続ける。


「どちらでもいいが。ともあれ……墓にあったあの妙な印。例のビデオにも貼ってあったあの印を――昔にも見たことがあったのを、思い出した」


「なんだと?」


 東北の呪術師たちの間で伝わっていたという、反魂の印。それをなぜ草壁が知っているのか……そんな東郷の疑問に答えるように、彼は言葉を継ぐ。


「俺の母が昔に、同じ印が入った紙を持っていたんだ。……その時は母の生まれた村で伝わるお守りだと聞いていたんだが――今回の件に、無関係というわけではないんだろう?」


「ああ。……すると、まさか」


 東郷が呟くと、草壁はゆっくりと頷いて。


「今から向かうのは、俺の母の生まれ故郷の村だ」


 そう答えながらさらに、ハンドルを切る。

高速道路を下りてしばらくすると、車はやがて山道へと入り込んでいき――ついには辺りからまるで人家の気配が失われ、灯火もない夜闇の真っ只中へと変わってゆく。

 およそ通る人が途絶えているのか、舗装のある道も半ばで途切れて砂利の敷かれただけの狭い道が続く。

 通り慣れている人間でもなければ、およそ侵入しようと思わないような場所だ。


「前にも、来たことはあるのか?」


「……子供の頃にな。母に連れられて一度だけ」


 それだけぶっきらぼうに答えると、さらに車は山道を進んでゆき――やがていよいよ道と呼べるものがなくなった辺りで停車。

 ちょうど彼が車を停めたあたり、そこには鉄条網で封鎖が為されており、掲げられた看板にはこうあった。


「これより、イキョウ……?」


井境いさか村だ」


それだけ言うと草壁は「立入禁止」と書かれたその看板にも構わず鉄条網の隙間を躊躇なくくぐって分け入り……東郷もまた、事務所から持ってきた白鞘と懐中電灯を片手にその後をついていく。

 時計を見ると、すでに夜の10時も過ぎ。明かりの類もない山道の中、頼りになるのは細い懐中電灯の明かりだけ。

 雨足もまた強まって、ジャケットはぐっしょりと濡れて重みを増す。足元の土もぬかるんでいて足取りは最悪極まりない。

 そんな不快極まりない状況の中――さすがに東郷もしびれを切らし、前を進む彼の背中に声を投げかけた。


「おい、本当にこんなところなのか。お前のお袋さんの故郷ってのは」


「ああ。……信じられないと言うなら、今からでも帰ってもいい。俺だって、貴重な時間をお前なんかのために使いたくはないからな」


 そう言われては反論のしようもない。確かに伊達や酔狂で、わざわざ人をこんな山奥まで連れてはこないだろう。

 あるいは、ここで東郷を殺して埋めるとかそんな算段でもしているのかもしれないが――それも東郷としては織り込み済みだ。

 何であれ、手がかりとなる可能性があるならば今は彼に賭けるしかない。そう思って白鞘を握り直しながら、東郷は山道をさらに進み……そうして十数分ほど歩いたところ。


「……そろそろ、見えてくるはずだ」


 そんな草壁の言葉の通り。鬱蒼と茂る木々が不意に拓けて、月の明かりが辺りを照らし出し――目の前に現れたのは、一軒の木造家屋だった。

 簡素な木の板とトタン屋根で組まれただけの、あばら家だ。窓もまた板が打ち付けられて閉じられていて、恐らくもう人が住んではいないと分かる。

 よくよく見れば先にも何軒か同じような廃屋が連なっていて、なるほど何かしらの集落であったらしいことは見て取れた。

 そんな廃屋のそばを進みながら、草壁はぽつりと口を開く。


「井境村。俺が昔に来たのが、二十年近く前だった。……その少し後には最後の住民も死んで廃村になり、今では電力会社の保有地になっているらしい」


「廃村、ね」


 ここが燐が言っていたところの、「東北の呪術師の村」なのだろうか。であればここを調べれば、例の「印」や今回の呪いについても何か手がかりはあるかもしれない。

 だが――近くの廃屋へと向かおうとして東郷を、草壁は呼び止めた。


「そんなところを調べても時間のムダだ。……母が言っていた、村には代々呪術師を営む家があったと」


「じゃあ、そこなら何かあるってわけか」


「可能性は、あるだろうな」


 そう頷いて歩を進める草壁の後を追って、東郷も進んでゆく。

 草壁の言う通り、廃村になってもう長いのだろう。辺りは雑草が生い茂っていて、立ち並ぶ廃屋群も劣化がひどく、屋根まで崩れてしまっているものまである。

 そんな中を歩いて、集落のさらに奥まで向かうと――進行方向にあったものを見て、東郷はいささか驚きの表情を浮かべた。


「これは……」


「ここが、呪術師の一門が使っていた屋敷だ」


 集落内のやや低地側、そこにあったのは大きな屋敷であった。

 平屋の古風な日本家屋といった外観で、もともとの造りがしっかりしているからか、ここだけは他の廃屋と比べても荒れ果てた様子はない。

 雑草が生い茂り、開け放たれたままの門扉をくぐって進む草壁。その後について門をくぐったところで、東郷はふと何か……奇妙な感覚を覚えた。

 ひとつは、何者かの刺すような敵意。

そしてもうひとつは――初めて来たはずなのに以前にも訪れたことがあるような、不可解な既視感だった。


 足を止める東郷に構わず、己の家のように勝手知ったる足取りで進んでゆく草壁。


「おい、待てよ――」


 足早に追って玄関口から足を踏み入れていくと、そこで東郷は既視感の正体を理解する。

 ……ああ、そうだ。この屋敷には確かに、来たことがある・・・・・・・


 否、正確には同じ間取りの屋敷に。


「……あの屋敷と、同じだ」


 怪訝な表情になりながらも草壁の後をさらに追う東郷。破れた襖など、経年での劣化こそあるものの……無限に続くと錯覚するような代わり映えのない廊下の構造もまた、美月が住んでいた例の「死霊の館」と全く同じ。

 だが、何故? 何故東北の山奥に、あの屋敷と全く同じものが存在しているのか。

 あるいは――と、そんな思考をしかしそこで中断しながら、東郷は足を止めた。


「……あいつ、どこまで入っていく気だ?」


 草壁が踏み入っていった場所。そこは――あの屋敷において仏間があった場所だった。

 辺りの壁面には恐らくはこの家の人間だろう、無数の肖像写真が壁に掛けられたままになっていて。そしてその中央にはぽっかりと、あの屋敷と同じように地下へと続く階段が口を開けている。

 例の館での一件を思い出し、自然と警戒心を強める東郷。そうでなくても、この屋敷に入ってずっと……あの時と同じかそれ以上の敵意を感じ続けているのだ。

 草壁の意図はもはや、分からない。だが少なくともこの場所には何かがある――東郷の直感はそう告げていた。


 白鞘はベルトに差していつでも片手で抜ける構えのまま。懐中電灯で慎重に奥を照らしながら木で組まれた階段を軋ませて降りてゆくと……しかしすぐ、それは不要なものとなる。

 というのも。地下の空間は一転して、電灯によって煌々と照らされていたからだ。


「……ここは」


 周囲を見回して、東郷は白鞘に手をかけながら呟く。

 あの「死霊の館」にあった地下空間とはまるで違う、ひたすらに真っ白な空間。

そしてさらに、奥の壁に描かれた反魂の印を見て東郷はすぐに理解する。

この場所は……例のビデオの撮影場所とよく似ていると。

 だが――ただ一点、違う点があるとすれば。

 それは部屋の隅に背をもたれかけるようにして座った姿勢で息絶えた、干からびた遺体の存在だろう。


「……んだ、こりゃあ」


服は一切纏っておらず、男性らしいということは見て取れる。

 さらに近づいて観察してみると……東郷はその遺体についていくつか奇妙なことに気付く。

 干からびきっていて見て取るのがやや難しいが、遺体の腹部にはよくよく見ると刺し傷のような痕跡があったのだ。

 法医学的知識には疎いものの経験則で理解する。それは、ナイフによる刺傷だろう。

 そしてもう一点、それは遺体の腕に彫り込まれていた……刺青のような痕跡。


「まさか――」


 東郷がその遺体の正体について閃きを得た、まさにその時だ。


 ぱちん、ぱちん、と。


 指を鳴らすような乾いた音が室内に響くとともに。返ってきた答えは、背後からだった。


「俺だよ、東郷」


 その言葉と重なるようにして弾ける銃声。直感で飛び退った足元に弾痕が穿たれるのを一瞥しながら、東郷はそこに立っていた人物を睨み返す。


「草壁ぇ……!」


 片手で手癖のように指を鳴らしながら、拳銃の銃口を向ける男。

 それは――ここまで東郷を案内した、草壁その人であった。


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