■3//死んだヤクザは語らない

 連絡を受けてすぐ、不動刑事から言い渡された事件現場のアパートに向かった東郷たち。

 おんぼろの、2階建てのアパートの2階。駆けつけてみるとすでに廊下を遮るようにして規制線が張られ、警官たちが狭い空間でひしめいていた。

 現れた東郷たちを見て露骨に警戒心を顕にする警官たち。「不動刑事に呼ばれて来た」と言うと、一人が奥へ行って……程なくして戻ってくると「どうぞ」と道を開けた。

 規制線をくぐって、部屋の扉の中へ。表札には、「間垣まがき」という名があった。


「間垣……聞いたことない人ッス」


「うちの組も裾野が広いからな。珍しいことでもねえさ。それに――間垣は草壁くさかべの部下だからな。俺んとこにはあんまり顔を出さねえ奴だった」


 草壁というのは、リュウジと同じく若頭補佐を務めている男である。昔気質の義理人情を重んじる経極組では珍しく、利益と結果を重視して場合によっては仲間であっても切り捨てる――そんな性格ゆえに、東郷などとはあまりソリが合わず、独自に舎弟を囲って動くことが多いのだ。

 そんなことを話した後、部屋へと足を踏み入れる東郷。中はいかにも一人暮らしの男の部屋とでもいうような雑然とした様子で――窓にはなぜか一面にびっしりとアルミホイルが張られている。

そして奥には、メガネを掛けた鋭い顔つきの男性……不動刑事が立っていた。


「どうも、刑事さん」


「来たか、東郷」


 お互いににらみ合うようにして眼光を交錯させる二人。その圧にヤスやコイカワ、周囲の警官たちがすくみ上がる中――東郷から先に言葉を続けた。


「死んだのは、間垣なんですか」


「ああ。遺体はすでに検死に回しているが、恐らくは本人……だろう」


 どこか歯切れの悪い言い方に眉根を寄せながらも、東郷はさらに質問を重ねる。


「死に方は」


「頸動脈まで到達する首の切創があった。現場の状況からして致命傷は、それだろうが……いささか奇妙でな」


「奇妙?」


 東郷の問いに、不動刑事はしばしの間沈黙した後、どこか迷いを滲ませながらこう続けた。


「全身が、ミイラのように乾燥していたんだ。数日程度じゃない、何年も水が与えられず、日晒しにされていたような――そんな状況だった」


「……なんだよ、そりゃあ」


 怪訝な顔になる東郷に肩をすくめて返しつつ、不動刑事はさらに壁のブルーシートを一瞥しながら言葉を継ぐ。


「ついでに、奇妙なのはもう一点。……おい、そこのシートをめくって見せてくれ」


 彼の言葉に警官が二人がかりでブルーシートの両端を持ち上げて……するとそこにあったものに、東郷たちは言葉を失う。

 ブルーシートで隠されていた壁一面、そこには黒く変色した血液で、大きな文様が描かれていたのだ。

 形容するなら「井」の字を大量に組み合わせたような、奇怪な四角形。人一人がすっぽりと収まりそうな大きさで描かれたその文様、その塗料として使われたのは恐らく……死んだ間垣の血だろう。


「……ひでぇことするッス」


「ンだよ、こりゃァ……」


 口元を抑えながら呟くコイカワと、ヤス。そんな二人の前でじっと無言で文様を見つめ続ける東郷に、不動刑事から言葉が投げかけられる。


「今日お前を呼んだのは、事情聴取も兼ねてだ。……こんな真似をする相手に、心当たりは」


「皆目見当もつきませんよ。刑事さんもご存知でしょうが、うちは最近は大人しくしてましてね。抗争だの何だのとは無縁なもんで」


「ふん、そいつはどうだかな」


 そう呟きつつも疑うつもりはそれほどないらしく、不動刑事もまた壁の文様を睨みながら舌打ちをする。


「この前の不動産屋の殺しといい、お前らが関わると妙な事件にばかり首を突っ込む羽目になる」


「俺も遠慮したいとは思ってるんですがね。……なあ不動刑事、この妙ちきりんな落書きは一体何なんです?」


「さてな。木っ端とはいえヤクザ相手に押し入りで殺しをやるような相手だ、単なる頭のおかしい奴か、あるいは――お前らが知らんところで恨みを買ったか、そんなところだろう」


「ぞっとしない話です」


 そう言って肩をすくめる東郷。その言葉は、つくづく本心であった。

 とはいえ――相手が何であれ、こんな状況を見過ごすわけにいかないのも事実。そう顔を合わせていない奴とはいえ、組の舎弟であることに変わりはない。

 人の道こそ踏み外せど、任侠としての道は外れていないつもりだ。舎弟が殺されて「はいそうですか」と黙っていられるはずもない――


「刑事さん。他に何か手がかりは掴んでるんで?」


 問い詰める東郷に、しかし不動刑事は首を横に振り、


「さあな。知っていても、これ以上は捜査上の秘密に当たる。……ましてや報復行為に出かねんヤクザ相手にそんな情報を流せるものか」


「……んなことしませんよ」


「信用ならんな」


 東郷の言葉を冷たく突っぱねると、不動刑事は彼らを手でしっしと払う。


「捜査へのご協力、感謝する。……さっさと帰って、大人しくしていろヤクザども」


 その怜悧な態度に、後ろで黙って聞いていたヤスとコイカワがむっとして何か言い返そうとするが――東郷は手でそれを制すると、


「……分かりました。それじゃあ、また何かありましたら」


 と、それだけ言って踵を返して部屋を出ていく。

 そんな彼に舎弟たちも続いて、警官たちの怪訝な視線を背中に受けながらアパートを後にしたところで――コイカワが耐えきれずに口を開いた。


「カシラぁ! いいんですかい、こんなアッサリ引き下がっちまって! 警察サツにいいように利用されただけじゃねェですか」


「仕方ねえだろ、サツと揉めて良いことなんざ一つもねえよ」


「そりゃそうですけンどぉ……」


 なおも不満げなコイカワに、東郷は「それに」と付け加える。


「わざわざこうして現場まで見せたんだ、実質『勝手に動け』って言ってるようなもんだ」


「そういうもんスかね……?」


「そうじゃなかったとして、何にせよやることは変わらねえだろ?」


 ぼやくヤスに、にやりと口角を上げて笑いながら東郷は言う。


「どこのどいつかは知らねえが、うちの舎弟に手ェ出すってのがどういうことか――きっちりと思い知らせてやろうじゃねえか」


 そんな彼の凶相にヤスとコイカワは揃ってすくみ上がりつつ、上ずった声でヤスが問う。


「でも、どうするッス? 手がかりはあの部屋の状況くらいしか……」


 ヤスのその言葉に、東郷はしばし顎に手を当てて考えると、


「そうだな。まずは地道だが、ここ最近の間垣の動向を追うところからだろうな。……あんまり気は進まねえが」


「……それって、もしかして」


 訊き返したコイカワに、東郷は珍しく、気の進まない様子で頷いて。


「草壁を呼べ。直接の兄貴分であるあいつなら、間垣のことをよく知ってるはずだからな」


 ……と、そう告げるのであった。


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