■1//墓参り

 よく晴れた初夏の日。日差しがじりじりと照りつける集合墓地の片隅で――一人の男が、墓石の前で手を合わせていた。

 この暑いのに白スーツを着込んだ、背の高いがっしりとした男だ。日差しが強いために目元はサングラスで隠しているが、それでも隠しきれない厳つい面構え、そして何より額に刻み込まれた古い傷跡が、彼がカタギの人間でないことを表しているようだった。

 それもそのとおり、彼の名は東郷兵市。指定暴力団「経極組きょうごくぐみ」の若頭を務め、「経極の白虎」の異名で恐れられる歴戦のヤクザ者である。

 そんな彼が、一体誰の墓に手を合わせているのかと言えば――それは意外にも、組とは縁もゆかりもないただの一般家庭の墓であった。

 墓碑に刻まれたのは、「黒井家」の文字。

 ……そこに眠っているのは以前、彼が関わったとある騒動で対峙したモノ。

 怨念からこの世ならざるものへと堕ち、とある高校で「学校の七不思議」と成り果てて長年に渡り人々を呪い続けていた――一人の少年が、眠っている。


 静かに目を閉じ、手を合わせる彼。

 墓地には他に誰もいないため、ただただ静寂だけが辺りを包む。

 そんな静けさの中――しかし東郷は不意に、背後に僅かな足音を感じて顔を上げた。


「奇遇ですね、東郷さん。こんなところで」


「……あんたは」


 彼の後ろ、墓地の階段を下った段の下にいたのは、中高生くらいにしか見えない着物姿の少女だった。

 艷やかな黒髪を後ろでまとめた、日傘を差して立つ少女。だが東郷は、彼女が「少女」ではないことを知っている。

 東郷の舎弟、ヤスの母親――「宮前燐」と、以前そう名乗っていた。


「なんだって、こんなところに」


「こんなところってことはないでしょう。私もお墓参りでして……たまたま東郷さんのお姿をお見かけしたので、ご挨拶しておこうと。いつも愚息がお世話になっております」


 そう言ってぺこりと頭を下げた後。彼女は段の上の東郷をじっと見つめながら、その後ろにある墓碑を見てわずかに目を細めた。


「それで東郷さんは、そのお墓にどんなご用事で? 見たところ、東郷さんとはご縁がなさそうですけれど」


「墓参りがてら、ついでの野暮用だよ。気にしないでくれ」


「……ああ、東芦原高校の案件の。息子から話は聞きました、その節はご苦労さまです」


 どちらにせよ知っていたのだろう。そう言ってうっすら笑うと、彼女は東郷の腹の辺りを見つめて続けた。


「それで、お怪我の方はもう大丈夫なんですか?」


「まあな。幸い大した怪我でもなかった……って、なんであんたがそのことまで知ってんだよ」


「息子も入院させて頂きましたから。その時に少しばかり小耳に挟みまして――いえ、しかし、これに関しては本当に、私たちとしてもご迷惑をお掛けしました」


 そう言って珍しく本当に申し訳無さそうな顔でもう一度頭を下げた燐に、東郷は怪訝な顔をする。


「なんだってあんたが謝る」


「あの学校の件は、本来なら私たちみたいな稼業の者がしっかり解決すべきことでしたから。……あなた方みたいな普通の人が巻き込まれてしまうまで後手に回ったのは、ひたすら私たちの不手際です」


「普通の人、ね。新鮮な響きだ」


 ヤスの両親は、除霊師だか霊能力者だかを営んでいるらしい。彼女の口ぶりからすると、そちらの業界にも色々とあるのだろう。

 肩をすくめながら、東郷は段を降りると燐の肩をぽんと叩く。


「まあ、いいってことよ。あんたらからしてみりゃあ普通の人・・・・だろうが、俺らも俺らで裏稼業だ――ヤクザ相手に斬り合うのも、化け物相手に殴り合うのも大差ねえ」


「そう言って頂けると、ありがたいところです」


 少ししゅんとしながらも笑みを浮かべる燐に頷くと、彼女は東郷を見つめたまま「でも」と続けた。


「私がこんなことを言うのもなんですが、なるべくならあまり、こういったことにはこれ以上首を突っ込まない方が良いかとは思います」


「それは、『忠告』かい」


「ええ、まあ。今回のお礼代わり……といったところでしょうか」


 そう呟くと、彼女は顔から笑みを消してさらに言葉を重ねる。


「『あちら側』に関わりすぎると、『縁』が生じてしまいます。すでに貴方はあの館の事件、あの呪われた白鞘……そこに加えて今回の学校の事件と、少々関わりすぎてしまいました」


「……実害は、あるのか?」


 そんな東郷の問いに、燐はこくりと頷いて。


「『あちら側』と縁が生まれるということは、境界線が揺らぐということ――つまりこのままいけば、貴方そのものが一種の『怪異』に身を堕とすことになるやもしれません。『あちら側』に関わりすぎたが故にそうなった人間というのを、同業者でも何度も見てきましたから」


 冗談だろ、と言おうとしたところで、東郷は彼女の目を見て口をつぐむ。その表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには思えなかったのだ。

 だから東郷はしばらく沈黙した後――肩をすくめて燐に向かって頷く。


「ま、気をつけるとするよ。俺だって何も、ワケの分からんことに巻き込まれたいわけじゃあねえからな」


「ええ。もしもの時は、是非ともこちらにご連絡を。何かお手伝いできることがあるかもしれませんから」


 そう言って彼女が懐から取り出したのは、名刺だった。

 受け取って眺めると――そこに書いてあったのは「ゴーストバスター 宮前燐」という胡散臭い印字と電話番号、そして添えるように書かれた下手くそな猫のイラストだった。


「………独創的なイラストだな」


「私の手書きです。かわいいでしょう」


 本音を言わなくてよかった、と思いながら東郷は続けて名刺をめくると、裏にもなにか書いてある。


「『息子にはヒミツでお願いします』……なんでまた」


「少しばかり、複雑な家庭の事情といいますか。まあそういうわけなので、すみませんが私とこうしてやり取りしていることはご内密にして頂けますと」


「ふーん……まあ、分かったよ。ありがたくもらっておくぜ」


あまり気にせずそう返し、東郷はそれを無造作に懐にしまうと彼女に踵を返して墓を後にする。


「なにかあったら絶対に連絡してくださいね。絶対、絶対にご自身たちだけで解決しようとはされぬよう――」


 そんな燐の声に、東郷は背を向けたままで手を振って返した。

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