■学校ノ怪談-エピローグI

 旧校舎での一件があってから、その翌日のことだ。

 歓楽街の端、雑居ビル内に居を構えた経極組の事務所――その扉を叩く音がどんどんと響いた後、鍵を開けて中に入ってきたのは美月だった。


「東郷さん!? ちょっと、東郷さん! いる!?」


 薄暗い、人気のない事務所の中。彼女の声だけが響き渡って――しかしやがて奥から、黒いスーツをぴしりと纏った巨漢が姿を見せる。リュウジだ。


「すみませんね、すぐに出られませんで……というか美月さん、この時間は学校では?」


「リュウジさん、よかった……。学校なら休校よ。昨日、旧校舎がいきなり崩れたとかで――っていうか東郷さんは? 学校が大変なことになってるの、どう考えても東郷さんたち何か知ってるでしょ!?」


 珍しく息を切らせてそうまくしたてる美月に、リュウジはサングラスのままながら、やや表情を固くして口をつぐんだ。


「……カシラは、その」


「え? 何、どうしたの? ……奥にはいないの? まだ寝てる?」


 口ごもるリュウジに、美月はやや不安げに問いを重ねて……けれどリュウジはそれ以上、答えようとしない。

 そんな彼の態度に、美月は顔色を青くしながら彼の腕を掴んで揺さぶる。


「リュウジさん、答えてよ! 東郷さんは!? あの人は今、どこにいるの!?」


 そんな彼女の必死な問いかけに、リュウジは長い沈黙の後、絞り出すようにこう……答えた。


「カシラは――遠いところに、行ってしまいました」


――。

 所変わって、東葦原……から隣県に位置する私立病院。

 入院病棟の一角に位置する広々とした個室で――東郷は静かに、横たわっていた。

 薄青の入院着を纏い、腕には点滴のルートが刺さっていて。

 まるで死んだように目を閉じている彼……その部屋の扉が、がらりと開いた。

 入ってきたのは、灰色がかった髪をした初老の男性――名を綾次錬三郎という、東郷から見て“叔父貴”に当たる系列組の組長だ。

 大股で病室に入ってきて、我が物顔でベッド脇の椅子を引っ張ってきて座ると、彼は腕を組んでこう告げた。


「おい東郷。死んでるのか?」


「……死んでるんで、寝かせて下さいよ」


「おう、元気そうだな。良かった良かった、安心したぜ」


 呵々大笑しながらそう告げると、面倒くさそうな顔をする東郷に構わず彼は脇に置いていた小包をテーブルに置いた。


「土産だ。お前がこの前取った寿司だぜ。病院食なんて食ってたら萎びちまうからよ、これでも食って栄養つけとけ」


「生物の差し入れは禁止です、叔父貴。あと医者から2,3日は絶食って言われてるんスよ」


「かてぇこと言うなぁ。だがまあお医者様の言うことじゃあ仕方ねえ、俺が食うわ」


 言いながらその場で鮨詰めを広げて食い始める錬三郎。相変わらず自由――しかもネタは全部ゲソだった。

 寿司を口に運びながら、身を起こした東郷に向かって錬三郎は問う。


「んで、冗談はこのくらいにして――どうなんだ、調子は」


「幸いにでかい血管や内臓は無事だったみたいですから、一週間くらいで退院できそうです。……ご心配お掛けして申し訳ねえ」


「馬鹿、謝んなよ。こちとらお前をこんなことに巻き込んじまって、兵三郎のやつに申し訳が立たねえくらいだ」


 そう言うと箸を置いて、錬三郎は真面目な表情で深々と東郷に頭を下げた。


「……すまん、とは言わん。だが――ありがとう。お前のおかげで、孫娘が助かった」


「頭を上げてくださいよ、叔父貴。貴方に頭を下げられたら、胃に穴が開きそうだ」


 そう返した東郷に、「そうか」と頭を上げながら錬三郎はかしこまった様子のまま続ける。


「孫娘の学校で妙な事件が起きてたかと思えば……お前の舎弟から聞いたぜ、学校の七不思議だのなんだのと」


「……トンデモ話で恐縮です。ですが――」


「分かってるよ。お前やお前の舎弟は余分な嘘をつくタマじゃねえからな。……もっとも、いきなり全部呑み込むには苦労する話でもあるが――だが、うちの孫娘もお前らと同じことを話してたからな。信じないわけにはいかんだろ」


 そう言って笑ってみせた後、「だがまあ」と錬三郎は肩をすくめながら付け加える。


「……昨日はびっくりしたぜ。いきなり兵三郎の奴から夜中に電話掛かってきてよ、お前が刺されたから俺の組の系列の病院貸してくれって頼まれて――しかもその一件が済んだと思ったら今度は、孫娘の学校で校舎が崩れて休校ときた」


 昨晩の顛末は、こうである。

 東郷が気絶した後、彼の治療先を探すべく奔走したリュウジ。だが暴力団員が刺されたなんて状況で近場の病院に運び込んだら、警察連中が探りを入れてこないとも限らない。

 そう頭を働かせたリュウジは迷わず組長である兵三郎に連絡し――そこから巡り巡って、隣県の綾次組が利用している病院まで足を伸ばして急遽運び込まれることとなったのだ。


「……ありがとうございます、叔父貴」


「いいっての。困った時は助け合い、それが任侠ってもんだからな」


 気さくにそう笑うと、彼はちらりと扉の方を一瞥しながら――肩をすくめて立ち上がった。


「じゃ、俺はそろそろ帰るとするぜ。さっさと治せよ、兵三郎の奴も心配してるだろうから」


「お言葉、ありがたく頂戴しやす」


 深々と頭を下げる東郷に後ろ手を振って立ち去っていく錬三郎。彼が病室を出ていって、東郷がほっと息を吐いたのもつかの間……ややあって扉の外から騒がしげな足音とともに、別の乱入者が訪れた。


「東郷さん!!」


 ツインテールが若干乱れ、走ってきたのか息が乱れているが……美月その人。東郷の姿を認めて形容しがたい表情を浮かべている彼女に、東郷は珍しく少しぽかんとした後、軽く手を掲げてみせた。


「おう、美月ちゃん。……元気そうだな」


「元気そうだな、じゃないわよ! リュウジさんが変なこと言うから、私、心配してっ――」


 そこまで言いかけたところではっとして、彼女は首をぶんぶん横に振った後で先ほど錬三郎が座っていた見舞客用の椅子に腰掛けた。


「……とっ、ともかく。その。私のせいで、こんなことになっちゃって……その。ごめんなさい」


「気にすんな。カタギの人間をしっかりと守るのも、俺らの仕事だよ」


 東郷の言に――走ってきたせいだろう。頬を少し赤くしながら無言で頷く美月。

 そんな彼女を苦笑混じりに見つめつつ、東郷がさらに続けた。


「ところで――ご友人たちも、大丈夫そうか?」


「あ、うん。今朝も連絡は取り合ってて……六花も水守も、大丈夫。二人して、変なことは言ってたけど」


「変なこと?」


「『夢の中で、鳥居をお参りした』って」


 そんな彼女の言に、東郷は眉間にしわを寄せる。

 鳥居。彼女から参考に聞いていた「七不思議会」の怪談の中で、確か「鳥居」についての話があった。

 鳥居の夢。旧校舎で東郷たちを襲ってきた七不思議たち。時を同じくして起きたこのふたつが、無関係とは思えないが――

 そんな東郷の思考を読んだように、美月もまた頷く。


「……でもね、ふたりとも、その夢で怖い思いをしたとかじゃなくて。むしろ――とっても安心感がある夢だったって、そう言ってた。鳥居の周りにたくさんのお花畑があって……包み込まれているような、守られてるような感じがしたって」


「守られてる感じ、か」


「ふたりとも、園芸部だったから――そのよしみで『鳥居』の七不思議が守ってくれたのかもって、六花は言ってたけど」


 苦笑混じりにそう言う美月に、「そうか」と東郷もまた肩をすくめる。

 実際のところがどうだったかは、知るよしもないが……そうだったならば、それでいい。

 七不思議とて、全部が全部――人に害をなすものばかりとも、限らないだろうから。


「……ねえ」


 そんな考え事をしていると、美月がやがてそう、声をかけてきて。東郷が言葉を待っていると、彼女はしばらく押し黙った後でこう続けた。


「早く、退院しなさいよ。その入院着、めちゃくちゃ似合わないから」


「……ああ。全くだな」


 そう言ってお互い、くすりと笑って。そうしていると病室の扉の奥から何か物音――というか気配が感じられて、東郷は半眼で声をかける。


「何してんだお前ら」


「いやァ、なんかイイ雰囲気だったんでよォ、邪魔しちゃ悪いかなと思って……」


「別に覗き見してたとかじゃないッスよ、断じて」


 そう言ってニヤニヤしながら入ってきたのは、東郷と同じく入院着姿のヤスとコイカワであった。

 入ってきた二人を見て、美月はびっくりした顔で硬直する。


「――なっ、なんで貴方たちまでいるのよ!?」


「俺らもだいぶボコボコにされたから、検査入院ッス」


「まあ俺もヤスも検査でなんともねェって言われたから、明日には退院だけどな!」


「俺はともかくコイカワさんは木刀であんだけぶっ叩かれてヒビひとつ入ってないとか、やっぱり人間じゃない疑惑があるッス……」


 なんて馬鹿話を繰り広げ始める二人を前にして、じわじわと顔を赤くする美月。


「……どこから、聞いてたのよ」


「いやぁ、そりゃもう最初から。丁度俺らがカシラの部屋に遊びに行こうとしてたら、向こう側から美月ちゃんが血相変えて走ってるのが見えたッスよ」


 ヤスの言葉に、うんうんと頷くコイカワ。


「ありゃあ凄かったなァ。泣きそうな顔してたから思わず声掛けずに見送っちまった」


 二人の言葉に、美月は耳まで真っ赤になったまま「何言ってるのよ!」と騒いでいたりして。そんな彼女らの様子を横目に、東郷は呆れ顔で肩をすくめた。


「……ったく、平和にもほどがあるぜ」


――。

 それからさらに一週間ほどが経ち、「化け物じみた治癒力ですね」と主治医のお墨付きをもらって退院した東郷。

 病室からの荷物の運び出しは舎弟たちに任せ、彼はいつもの白スーツ姿で玄関口を後にして――するとそんな彼を待ち受けていたのは、見知った……というわけではないものの、知らぬ相手ではない顔だった。


「……刑事さん。奇遇ですな、こんなところで」


「ああ、そうだろう。まさかお前がこんなところに入院しているとはな」


 グレーの覆面パトカーの前に立ってそう告げたのは、メガネを掛けたインテリ風の長身の男。

 東郷とは旧知の仲である、不動刑事だった。

 夏も近いというのに(東郷が言えた台詞ではないが)上下揃いのグレーのスーツで身を包んだ暑苦しい姿で、けれど汗一つかかずに彼は車を指差して言う。


「どうだ、立ち話も何だし、中で話そうじゃないか」


 そんな彼の提案に――東郷はしばし考えた後、無言で頷いてパトカーの後部座席に入る。

 冷房の効いた車内。運転席には、誰もいない。

 しばらく沈黙があった後、先に口を開いたのは不動刑事だった。


「先日の東芦原高校での事件。お前も話くらいは聞いているだろう」


「……ええ。旧校舎の一部が崩れて大騒ぎになっていたやつでしょう」


「それは、ただの事故・・だ。警察としても事故での死傷者はいなかったから、それほど重大には捉えていない。……だがな、私が言っているのは事件・・のことだ」


 そうこすってくる彼に、東郷は窓の外を眺めながら芝居がかった所作で肩をすくめる。


「事件? 何かあったんですかい?」


「……生徒が二人、瓦礫の中から他殺体で発見された。ついでに被疑者も旧校舎で気を失っていたところを発見されてな――本人は全身の複雑骨折で証言も難しい状況だったが、その場にたまたまいた目撃者の証言と、被疑者の持っていたナイフの鑑識結果ですぐに逮捕までこぎつけられた」


「そりゃあ素早いことだ。日本の警察も捨てたもんじゃありませんな」


「お褒めに与り光栄だよ、若頭」


 互いに視線は合わせぬまま、後部座席で隣り合って座り。けれどその沈黙が続いたのは、ほんの数秒のことだった。


「……お前を相手に腹芸をするのも時間の無駄だからな、本題に入ろう。東郷――お前、あの晩にあの旧校舎で何があったか、知っているんじゃないのか?」


「何を根拠にそんなことを?」


「被疑者の少年がな。今も治療中だが……うわ言のように、『ヤクザが! ヤクザが!』と繰り返しているそうだ」


 そんな彼の言葉に東郷は「ひゅう」と口笛を吹く。


「せん妄ってやつでしょう。大病していると妙なまぼろしが見えるらしいですぜ」


「……俺が疑っているのは、それだけが理由じゃない。今回のお前の入院――お前ほどの頑丈な男が、一体何だって一週間も入院していたんだ?」


 追及してくる不動刑事の視線を真っ向から受け止めながら、東郷は眉一つ動かさず、


「ちょいと寿司にあたって腹を壊しましてね。そりゃもう口から入るもん、全部ケツから出ていく始末で」


「お前なら泥水を飲んだって平気だろう」


「本当ですよ」


 そうはぐらかす東郷を、なおも疑いの目で睨む不動刑事。こういう時の彼の直感の冴えが

いかに恐ろしいかは、東郷としても長年の付き合いでよく知っていた。


「……被疑者がいて、証言もあって、証拠もあったんでしょう。なら刑事さんがこれ以上悩む必要もありますまいよ」


 そうはぐらかす東郷に、不動刑事はしかしなおも首を横に振る。


「ああ、そうだな。裁判にはそれだけで十分だ。だが――釈然としない」


 不服げな様子を隠そうともせず、彼はそのまま静かに続けた。


「被疑者の少年から聴取できた話も、めちゃくちゃでな。『学校の七不思議に指示されて、願いが叶うと聞いたからやった』と……訳の分からんことしか言わん。だが完全に支離滅裂かと言えば、そういうわけでもない。被疑者は数日前に事故で死んだ少女の件も言及していてな――『自分の告白を突っぱねて逃げた彼女を追いかけて、階段から突き落とした』と自白した」


 十束という、最初に死んだ女子生徒の件だろう。その詳細は、東郷も知らぬところだった。


「いいんですか、刑事さん。俺みてぇな奴にそんなに捜査情報をべらべらと」


「ただの独り言だ。勝手に聞いたお前が悪い」


「左様で」


 肩をすくめる東郷に、なおも彼は「独り言」を続けた。


「……少女は死ぬ前にも、しきりになにかに怯えていた様子だったと病院の関係者も証言している。周囲の生徒の聞き込みでも、宇津木が執拗に少女に付きまとっていたことがあったとも。……それほど多くを聴取できたわけではないが、被疑者の少年の証言に不整合はない。だからこそ、『七不思議』だの『ヤクザ』だの――それが単なる精神病性の幻覚妄想状態とも言い難いと俺は思っている」


 そう話し終えたところで、彼は横目に東郷をじろりと睨む。


「以前、ヤクザの住んでいた屋敷で大量の他殺体が発見された事件……あの時にも、屋敷の中からまだ新しい散弾が発見されていた。それに近隣の住人からも、お前たちが数日前にあの屋敷に出入りしていたという目撃情報も出ていた」


「そのことは、今回とは何も関係ないでしょう」


「ああ、そうだな。だが……あれも同様に、不可解な部分の多い事件だった。東郷、お前は一体――何をしている? あの屋敷でも、今回の学校でも。本当は一体、何があった・・・・・?」


 そう問う不動刑事の声音に、責めるような色はない。

 ただ真摯に、真実を突き詰めたい――ただそれだけ。刑事としてではなく一人の人間としての、それは問いかけであった。

 だから東郷は少し考えた後、小さく息を吐いて、こう返す。


「不動刑事……いや、不動。悪いがやっぱり、お前にゃ言えねえ」


「……何故だ」


「裏側だからさ。カタギの世界とは交わっちゃあいけねえ、この世の裏側―――石の裏にへばりついたダンゴムシみてぇな、不愉快な話だ。俺たちと同じ・・・・・・ようにな」


 それだけ言うと車のドアを開け、外に出て。ちらりと不動刑事を一瞥しながら別れを告げる不動。


「じゃあな、不動刑事。またな、とは言いたくねえが――縁がありゃあ、いずれ」


「……少なくとも、お前にお縄をかけるようなことはさせてくれるなよ」


「心得てますよ」


 最後にそう言い残して、東郷は後ろ手に手を振りながら、堂々とした大股で歩き去っていく。

 その背中を――不動刑事はいつまでも、じっと見つめていた。

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