■19-七不思議という七不思議-III

「……なんだよ、そりゃァ」


 そんなコイカワの呟きとほぼ同時。半ばまで沈みつつあった黒井の体が完全に、壁の中へと消えて……再び教室が振動を始める。

 その常軌を逸した状況に、さすがの東郷も直感的に危険を感じたらしかった。

 壁から白鞘を引き抜きながら床に倒れていた宇津木と投げ捨てた自分のジャケットを肩に担ぎ、機敏に踵を返して彼は叫ぶ。


「……おい、お前ら! ずらかるぞ!」


 ひたすら前に進み続ける男が放つ、撤退の号令。その意味が分からない舎弟どもではなかった。

 各々の得物を手にすぐさま教室を飛び出し、そのまま廊下を走り出す彼ら――その最中、どこからか聞こえたのは、


 きーん、こーん、かーん、こーん。


 ……ひび割れた音質の、学校のチャイム音。そしてその後にはノイズ混じりの音声で、


『ろう、  カ、   ヲ、     走る、ナ』


 ……その声に、従ったわけではない。だがそれが聞こえたと同時に背後から聞こえてきた凄まじいまでの轟音で、ヤスは走りながら後ろを振り返り、その場で立ち止まった。


「おいヤス、止まるな……って」


 ヤスへと振り向き怒鳴ったコイカワは、そこで彼の視線の先にあったものを見て、絶句する。


「……なんスか、あれ……」


 ヤスの視線の先――今まで走っていたはずの廊下、いままでいたはずの教室が、まるでえぐり取られたかのように消え失せ、まばゆい夕日が差し込んでいて。

 そしてその逆光の中、何もなくなったその廊下の端から……這い上がってくる何か・・があった。


 それを見たままに形容するならば、「手首」であった。

 五指の揃った、人間の右手首。形だけを見ればそうだがしかし、それを構成するのは教室の残骸である机や椅子、それに黒板や床の破片たちで。

 何よりそのサイズは……ひとつの教室ほどはあろうかと言うほどに、巨大だったのだ。


「……ボス戦、第二形態ってやつッスかね……」


「いやこれ、イベント戦闘だろ……?」


 あまりに現実離れしたその光景を前にして、乾いた笑いを浮かべるコイカワとヤス。そんな彼らの前で、東郷は床に宇津木を転がすと……リュウジに向かってこう告げる。


「おいリュウジ。まだ手榴弾残ってたよな――よこせ」


「……待って下さいカシラ。やるならここは俺が」


「バカ、何考えてやがる。何も自爆しに行くわけじゃねえよ」


 呆れたようにリュウジのスキンヘッドをぺちんと叩くと、東郷は半ば強引に最後の一個の手榴弾を奪い取り――廊下に這い上がってきた「片手」を見て不敵な笑みを浮かべる。


「黒井とかいう野郎を取り込んだんだ、アレがどう見ても敵の大将なのは間違いねえ。ならあの馬鹿デカい小指を叩ッ斬って、しっかりとケジメ、つけてもらおうじゃねえか――」


 そう言って白鞘を構え直した東郷を、「片手」もまた敵として認識したらしい。

 堂々と仁王立ちする東郷へと向かって、巨大な蟲のように這い寄る「片手」――その異形の威容を前にしながら東郷は白鞘を腰だめに構え、逃げるどころか一直線に疾駆した。

 伝統的ヤクザ・殺法。ただ相手への純粋な殺意のみを抱えて特攻する、二の太刀要らずの捨身技。

 だがそれが単なる捨て身でないことは、彼がこうして今も二本の足で走り続けていることが証明している――


「オラっ、タマ寄越せやコラァ!!」


 怒号とともに突っ走る東郷……「片手」もまさかこれだけの異形を前にして突っ込んでくる・・・・・・・命知らずだとは思っていなかったのか、その場で足……もとい五指を止めるとその体から、何かを飛ばし始めた。

 目にはおよそ見えない、けれどわずかに空気を切る音だけが聞こえて東郷は踏みとどまると、白鞘を前方に構えて闇雲に切り払う。

 感じたのは微弱な手応え――夕日を受けて煌めいたそれは、黒井が出していたのと同じピアノ線だ。


「こなくそ!」


 急遽方針を変えて、手に持っていた手榴弾のピンを抜くと「片手」へと投擲する東郷。その一撃は過たず「片手」の足元で爆発し……体を支える“小指”“部分が瓦解して、巨体はそこで足を止めた。

 その隙を、見逃す東郷ではない。

 動きを鈍らせた「片手」、その崩れた“小指”を構成していた机や椅子を足がかりに身軽によじ登ると、東郷は白鞘を大きく掲げ――


「死に、さらせやぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!」


 全身にまとわりつこうとするピアノ線にも構わず、ただ鋭く深く、「片手」の甲の部分へと刃を突き込む!

 すると、瞬間――


『――――――――!!!』


 声とも言えないような、形容しがたい音の振動が空気を震わせて。それと同時、ひときわ大きく廊下が……否、校舎全体が揺れ動いたかと思うと、


「うわ、うわわ、なんかやべーッス!?」


 夕日で赤く照らし出された校舎の壁が、床がぱらぱらと剥がれ落ちて、裏側から姿を表し始めたのは老朽化した、闇夜の旧校舎――

 そして、辺りの風景が完全に塗り替えられ、あるいは塗り替えられていたものが元の姿へと戻ったのと時を同じくして……東郷の足元で動きを止めていた「片手」、その巨体を構成する瓦礫の山ががらがらと崩れ始めた。


 ……完全に崩壊して、ただの大量の木くずと廃机の山へと化したその上から飛び降りて、東郷は白鞘の刀身を鞘へと収め直しながら辺りを見回す。

 あれだけの騒ぎが嘘のように、辺りはしんとした夜の静寂に包まれていて。

 けれど……今あったことが嘘でないことを示すように、旧校舎の三階、その半ばほどまでが原型を留めないほどに崩れ果て、頭上からは月の光が明るく降り注いでいた。


「……終わった、のかァ?」


「それ復活フラグッスけど……でも今度こそ、マジに終わったっぽいッス」


 口々に呟くヤスたちの前で、東郷もまた緊張をほぐすように肺に溜め込んでいた息を深く吐き出し――丁度その頃、当直の教師あたりが通報したのか遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。


「消防か、この騒ぎじゃサツも来そうだな。……おいお前ら、ずらかるぞ。証拠は残すなよ、俺のジャケットも拾ってけ」


「了解ッス!」


「こいつはどうするんで?」


 そう言ってコイカワが指し示したのは、足元で伸びたままの宇津木。すると丁度、東郷が口を開きかけたあたりで――彼らに向かって別の方から、呼びかける声があった。


「おっ、おいっ、あんたたち……! 何だよこれ、どうなってんだよぉ!? あっちには死体もあったし……っていうかそいつ、宇津木先輩――」


 どうやら東郷たちがゴタゴタしているうちに意識を取り戻していたらしい、廊下の向こうからよろよろと歩いてきたのは両前というあのピアノに憑かれていた男子生徒だった。

 そんな彼を見て、東郷それからリュウジに目配せ。するとリュウジが無言のまま彼を東郷の前まで引っ張ってきて――そんな両前の肩をぽんと叩くと、東郷は伸びている宇津木を指差してこう告げた。


「かいつまんで言う。こいつが七不思議を利用して、会の参加者を殺していたらしい。お前が見た死体もこいつの仕業で、ついでに十束って奴の件も、こいつが原因だ」


「はぁ!? 何言ってるんだよぉ、意味が分から――」


「分かるよな。これからサツも来る、俺たちはこういう身の上だからな、証言できるのはお前だけだ。……細かいことは、適当にでっちあげとけ。連続殺人犯のこいつをお前が殴り倒したとか、そんなんでもいいだろこの際」


「でも――」


「お父さんに宜しく」


 その一言が決め手だったようだ。びくん、と直立して無言でこくこく頷く両前の肩をぽんぽんと叩いて離れた後で、東郷はそばのリュウジの肩に寄りかかりながら耳打ちした。


「おい、リュウジ」


「はい?」


「後は任せた」


 そのまま電池が切れたように倒れようとする東郷。慌てて支えたリュウジがふと背中の包帯を見ると、そこには赤黒い染みが色濃く付着していた。


「……カシラ!? カシラ、しっかり! カシラぁあぁぁぁぁッ!!」


 声を荒げるリュウジに、東郷はただ固く目を閉じたまま。

 サイレンの音が大きくなる中、全てが終わった旧校舎の夜が更けていく――

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