■19-七不思議という七不思議-II
最初に「手首」が飛びかかっていったのは、ヤスの方だった。
群れの中で一番弱そうな奴を狙おうとでも思ったのか、それらは五本の指を虫の足のように動かしながら、個々にして群体のようにヤスの方へと襲い来る。
「こっ、こっち来るなッス!」
振り回した木刀が「手首」にヒットすると、瞬間、水風船でも叩いたように真っ赤な血飛沫をぶちまけて爆散。イヤそうにそれを見つめているヤスに、さらに「手首」が迫ろうとする中――轟音とともにその一群たちが文字通りに、まとめて弾け飛んだ。
リュウジの放った散弾が、「手首」どもに直撃したのだ。
「リュウジさん! 助かったッス……」
「ビビってんじゃねえぞヤス。こんなもん、ちょっとデカい虫か何かだと思っとけ」
「虫でもイヤッスけど……うぅ、分かったッス!」
言いながら、リュウジの散弾が撃ち漏らした分を木刀で叩き潰していくヤス。そんな彼を横目で見ながらコイカワも楽しげにバットを握り直して、
「ヤスにゃあ負けてらんねえなァ! オラ、散れ散れ、こちとら『ハエ叩きのコイカワ』とまで言われた男だぜェ!」
そう名乗りを上げながら意気揚々と「手首」を潰していくコイカワ。そしてそんな三人が蹴散らし拓いた花道を……白鞘を握った東郷が、一歩一歩踏みしめながら前へと進んでいく。
時折飛びかかってくる「手首」を黒手袋の手で握り、そのままぐちゃりと握りつぶして放り投げ。あるいは白鞘で斬り捨てて。けれど彼は、そんな「手首」たちを一瞥すらしない。
彼がその目で見据えるのは、ただ正面の一人――黒井という名であった亡霊のみだ。
『手首 ヲ か、 エ せ』
あちこちが崩れかかった教室の中、反響する声。脳を直接揺さぶるようなその響きとともに、再び教室が震えて……途端、窓がいきなり全て割れ飛んだかと思うと、外側から凄まじいまでの暴風が吹き込んでくる。
東郷にとっては向かい風。床に捨てていた血まみれのジャケットを拾い上げてガラス片を防ぎながら、けれど一切怯むことなく東郷はそのまま黒井に向かって駆ける。
距離にしてほぼ数歩、一瞬で黒井の目前まで迫りながら彼はジャケットを投げ捨て、白鞘を振りかぶり――するとその刹那、彼はなにかに気付いて後ろに跳ぶ。
一拍遅れて、今しがたまで彼の首があったあたりを通り過ぎたのは……倒れていたはずの宇津木、彼が下から突き出してきたナイフの刃先だった。
「こんの野郎、まだやるか」
忌々しげに呟いて宇津木を睨む東郷だったが、しかしすぐ、様子がおかしいことに気付く。
ナイフを握って起き上がった宇津木はいまだ白目を剥いたままで――その動きも、まるで糸で吊られているかのように奇怪なものだったのだ。
……そんな宇津木の様子に気を取られていたこともあって、一瞬反応が遅れた東郷。
次の瞬間、白鞘を握っていない方の左腕が何か凄まじい力を感じて――いかな現象によるものか、彼の体が左腕を掲げた格好で宙に浮き上がった。
「っ……んだ、こりゃあ!」
「カシラ!」
「手首」たちの相手を続けながら、驚いて見上げる舎弟たち。東郷もまた己の左腕を注視して……そこでわずかに赤い血の筋が表皮に浮いているのを見て、即座に気付く。
己の左腕にいつの間にか巻き付き、体を引きずり上げていた……極細のピアノ線の存在に。
「しゃらっ、くせぇ!」
気付いてしまえば何ということもない。自由な腕で白鞘を振るうと、左腕を拘束するピアノ線がぷつんと切れて東郷は床に落ちる。
しかしその動きは黒井も読んでいたようで、丁度着地したところを襲うようにして……黒井の体から飛び出した無数のピアノ線が、夕日を受けて煌めきながら東郷へと向かってくる。
とはいえその狙いはあくまで直線的で、東郷からしてみれば避けるのもまたそう難しいことではなかった。
前方に転がってピアノ線の集中砲火を避けながら黒井の方へと走る――すると立ちはだかるのはやはり操られたままの宇津木。
「――――!!」
「邪魔だっつってんだよ!」
白目のまま、全身の関節の可動域を無視するような奇怪な動きでナイフを振りかざしてくるその顔面に、しかし東郷は一切の躊躇もなく二度目の鉄拳を叩き込む。
カタギでなければ、遠慮はなし。糸吊りになっていて倒れることもできず、ぐるりとその場で一回転する宇津木の体――そこに繋がっているピアノ線を切り払うと、べちょりと地に落ちた彼の体を踏みつけながら東郷は黒井に向かって白鞘の刃を突き込む。
『――ァ!!』
今度の一撃は、過たずにその体の中央へと吸い込まれて。
そのまま東郷は止まらず、窓際まで走り抜けながら――白鞘で貫かれたままの黒井の体を壁に押し付ける!
「てめぇの復讐がッ、済んだならよォ――」
『がっ、ぎ、ぎぎぃいぃぃぃ――』
あらん限りの声で叫びながら、さらに白鞘の刃が深く、黒井の胸へと沈み込み。
「とっとと、安らかにッ、眠っとけやぁぁぁ!」
『ガ、がが、あが、がァぁぁあああぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁ――』
刺し貫かれた黒井の体がじたばたと痙攣して。それと同期するように、教室全体の振動もより一層強くなる。
やがては立っていられないほどの強さになって、舎弟たちがこらえきれず膝をつき始めた頃……不意にその振動が、ぴたりと止んだ。
それに合わせて周りを見回すと、先ほどまでヤスたちを襲っていた「手首」たちもぴたりと活動を止めて、床の上で静止している。
「やった、のかァ?」
バットを支えに呟いたのはコイカワ。そんな彼の発言に、「あっ」という顔をしたのはヤスだ。
「コイカワさん、そういうこと言うと大体終わんないやつッス」
「バカお前、そんなコテコテの展開があるワケ……」
そう言いかけたコイカワは、そこで東郷と黒井の方を見遣って、言葉を失う。
視線の先――東郷の白鞘が貫いた、黒井の体は。
まるで沼に沈み込むように。あるいは捕食されているかのように、木造の壁の中に沈みつつあったのだ。
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