■18-手負いの白虎に気をつけろ

 異変に気付いたのは、リュウジとコイカワ、ヤスまでもがほぼ同時であった。

 崩れ落ちる東郷を見て、ヤスがまず駆け寄って。少し遅れてコイカワとリュウジとが、下手人の宇津木に掴みかかろうとして――しかしその手が届こうとした瞬間、宇津木の姿は忽然と消える。

 コイカワが見回すと、いつの間にか彼は教室奥の窓際に立っていて……その隣には「氷室」――本名を黒井というあの男が立っていた。


「野郎、てめぇ!」


 珍しく感情をあらわにして銃口を向けるリュウジを、しかし手で制したのは東郷だった。


「やめとけ。カタギにそんなもん、向けんな」


「ですがッ……!」


「喋らないで下さいッス! いますぐ手当するッス……!」


 脂汗を浮かべながら再び膝をつく東郷に、珍しく真剣な面持ちでリュックから包帯やらを取り出し始めるヤス。

 ヤスの手当を受けながら、東郷は脂汗を浮かべながら宇津木を睨みつけた。


「おい、坊主……何のマネだ。何だって、こんな……あの二人も、てめぇが殺ったのか」


 そんな東郷に、血まみれのナイフを手で弄びながら宇津木は大きく頷く。


「ああそうだ。生贄が多ければ多いほど、『七不思議』の力は膨れ上がる――そうすればどんな願いも叶う。そうだろう、氷室?」


 隣にいる黒井に向かって満面の凶笑を浮かべながらそう問う彼に、黒井は薄ら笑いを浮かべながら頷いた。


「ええ、その通りです。『七不思議によって人が死んだ』。そう認識されることそれ自体が、僕たちの力になりますからね。しかし――ここまでやってくれるとは、思ってもみませんでした。十束さんに田村さん、鴻上くん、そしてあのヤクザまで……。大した人間ですよ、君というのは」


 そんな黒井の言葉に、コイカワが驚愕の顔のまま訊き返す。


「おい、ちょっと待てや! だとしたらアレか、この七不思議の呪いとやらで死んだ奴らは……全員、てめェが殺したのか!?」


「殺した、なんて人聞きが悪いな。それに十束は、仕方のないことだったのだ」


 不愉快そうに顔を歪めながら、宇津木はゆっくりと首を横に振って……やがて急にその顔を怒りに歪め、拳をわなわなと震わせながら呟く。


「あの女は、俺の気持ちを踏みにじった。この俺が女にしてやろうとしたのに、あいつは俺を拒絶して、逃げて――だから、事故だった・・・・・・・・・! 俺が突き落としたんじゃあないんだ!」


 喉が張り裂けそうなほどの勢いでそう叫ぶと、彼はすとん、となにかが抜け落ちたように静かになり、力なく肩を震わせて笑った。


「……俺は、死んだ十束を蘇らせる。蘇らせて、今度こそ、俺のものにしてやる。それが俺の願いだ、氷室――さあ! あのヤクザの命も喰らって、俺の願いを叶えてくれ!」


 そう告げた宇津木に。

 隣の黒井はただ氷のような無表情を浮かべたまま――静かに東郷を指差し、告げる。


「いいでしょう。では、あのヤクザにとどめを刺して下さい」


「っ、てめぇ! ンなことさせるとでも――うおぉ!?」


 怒りの形相で殴りかかろうとしたコイカワだったが、しかし彼が一歩動くよりも先に、その体が周りの机とともに冗談みたいな勢いで吹き飛ばされる。

 同時に動いていたリュウジも同じ。彼もまた、見えない何かの力によって吹き飛ばされ、後ろの黒板に背中から激突した。


「コイカワさんっ、リュウジさん! ……ああ、くそぉぉ!」


 東郷から離れ、一歩一歩迫ろうとする宇津木に木刀を構えて殴りかかろうとするヤスだったが……宇津木は軽い身のこなしでそれを避け、ヤスの顔面に掌底を打ち付ける。

 その衝撃で倒れ込んだヤスを無視して宇津木は歩を進めると……やがて、目を閉じてじっとうずくまったままの東郷の目の前に立ち彼を見下ろす。


「俺のために、彼女のために死んでくれ、ヤクザさん。……こうしてまっとうな人間のために死ねるなら――お前たちのようなクズも、本望だろう?」


 そう言いながらナイフを逆手に掲げる彼の前で、東郷はただ、動かない。

 だが、血に塗れててらてらと煌めくその刃が振り下ろされたその時――

 東郷の右手がぐいと伸びて、ナイフの刃をがっしりと掴んで止めた。


「……っ!? この、悪あがきを――」


「囀るなよ、クソ野郎」


 疲れ切った声でそう呟きながら、東郷はナイフごと宇津木の体を引き寄せ、空いた左手で彼の顔面にストレートを食らわせる。

 いつぞやヤスを殴った時とは比べ物にならない、ただ暴力の権化がごとき鉄拳――その一撃をまともに食らって、宇津木はナイフを手放して数歩、よろめきながら後ずさりする。


「あっ、おっ、ごっ……この、死にぞこないのくせに、なんという……」


「誰が死にぞこないだ。てめぇに刺された程度、かすり傷のうちにも入らねえよ」


 言いながら握ったナイフを放り投げると、東郷は血に塗れたシャツを脱ぎ捨てて……その体に刻み込まれた白虎の刺青を惜しげもなく晒しながら、ゆっくりと立ち上がる。

 雄叫びを上げる白虎の刺青。そして、体中のあちこちに刻み込まれた古傷の痕――それを目の当たりにして息を呑む宇津木に向かって、東郷は静かに告げた。


「てめぇの身勝手な願いとやらのために、無関係の人間を殺しやがって。そういうのをな、俺らの界隈じゃあ『外道』って呼ぶんだ――よく覚えとけよ」


「外道だと? ふん、ヤクザなんぞに言われたくないな! お前らだって、俺と同じだろう!」


 そう叫ぶ宇津木に。東郷は落ちていたヤスの包帯を腹にぐるぐるときつく巻きつけながら――淡々と首を横に振り、


「いいや。俺らはカタギの道を歩んでる連中には、何があっても手は出さねえ。それが俺たちの……極道の流儀って奴だ」


 一寸の乱れもゆらぎも感じられない口調で、そう返した。


「何を、わけの分からんことを……ッ!」


 忌々しげに呟きながら、宇津木は周りを見回して――けれど先ほどナイフを投げ飛ばされて丸腰であることに気付くと、その拳を握りしめて東郷へと向かってくる。


「死んじまえ、クソヤクザがァあぁぁ!!」


「うるせえよ、外道野郎」


 交錯する腕と腕。真っ直ぐに伸びた宇津木の腕と東郷の腕とがすれ違って――けれど宇津木の拳が届くよりも、東郷のそれが彼の顔面にめり込む方が少しだけ早かった。

 情け容赦なく砕かれた鼻から血を吹き出しながら吹っ飛ばされていった宇津木の体が、静観していた黒井の前にぐしゃりと着地して大の字のまま横たわる。

 全身をひくつかせている彼を静かに睨みながら、東郷は吐き捨てるように、こう告げた。


「言ったろ、てめぇの拳はただの……スポーツ用の拳だってよ」


 すでに白目を剥いていた宇津木には、あいにくもはや聞こえてはいなそうであったが。


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