■17-七不思議を統べるもの-V

 流石にこの奇妙な空間に宇津木を置き去りにするわけにもいかないので、東郷たちは彼を同行させながらねじ曲がった廊下を進むことにした。

 その最中で話を聞いたところ、どうやら彼もまた美月たちとは別口でこの旧校舎に忍び込み、「七不思議」の謎について調べ回っていたらしいのだが……何か、黒いものに襲われて気を失い、気付けばあの教室に閉じ込められていたのだという。


「いやはや助かった、土建屋の皆さん。……このまま一晩をここで明かすことになるかと思っていた」


 そんなもんで済めばいいが。妙に楽観的に笑う彼を半眼で見つめつつ、東郷は「おい」と口を開いた。


「調べに来たって言ってたが、お前一人でか」


「いや。実はこの件には一年生の後輩――と言っても知り合ったのは今回が初めてなのだがな。そいつも巻き込まれていてな。色々あって、一緒に来たのだ。はぐれてしまったが」


「そいつは、髪を茶髪に染めてた奴じゃないか?」


 東郷の言葉に、「おお!」と頷く宇津木。


「そのとおりだ。ひょっとして、どこかで鴻上後輩と会ったのか?」


 そう問うてきた彼に……東郷は少し沈黙を挟んだ後、正直に事の次第を告げることにした。

 二人並んで生徒が吊るされ死んでいたこと。片方の、鴻上というらしい男子生徒は腹を切り裂かれていたこと。

 その事実を受けて、宇津木はしばらく絶句した後、足を止めて壁をばん、と強く叩いた。


「……なんということだ。俺がついていながら、後輩を守れなかったとは。不甲斐ない……ッ」


 唇を噛み締めて拳を震わせ、何度も壁を殴り続ける彼の手を東郷はがしりと握って止め、ゆっくりと首を振る。


「お前さんのせいじゃねえよ。こんなもん、誰にだって止めようがねえ――だから自分を責めるな」


「だが……これでも俺は、ボクシング部だ。少なくともこの三年間、己の拳に磨きをかけてきたのだ――なのにこんな時に誰も守れないのでは、何のための拳か――」


「少なくとも、暴力のためじゃねえよ」


 狼狽する宇津木の胸ぐらを掴んでそう告げると、東郷は彼をまっすぐに見つめながら続ける。


「誰かを殴って道理を捻じ曲げてなんてのは、お前さんみてぇなカタギの人間がやるべきことじゃねえ。お前の拳はただの、スポーツのためのものでしかないんだ――だからそんな責任を、負う必要もねえ」


 そんな東郷の言葉に、宇津木は目を見開いてじっと彼を見返した後。


「……そうか。そう、だな。はは、確かにそうだ。俺も後輩には『試合の時以外はどんな時でも拳は使うな』と言って聞かせていたものだが――自分のこととなると、忘れてしまうものだ」


 静かにそう呟きながら、どこかさっぱりとした表情で東郷から一歩離れて頭を下げる。


「ありがとう、顔の怖い土建屋の御仁よ。おかげで少し、落ち着いた」


「ああ。悔やむにしても、まずはここを出てからだ」


 そう言う東郷に宇津木も頷くと、再び一行は廊下を進む。

 その道中で、コイカワが宇津木に向かって口を開いた。


「ところでよォ。両前ってやつから聞いたんだが……水守ちゃん以外の連中は皆、あの氷室って奴のこととか七不思議のこととか知ってたんだろ?」


「ああ、そうだ。事前に手紙が来てな、ちょっとした余興のつもりで参加してみたら……まさかこんなことになるとは思っても見なかった」


 神妙な顔で頷く宇津木に、コイカワは続けてこう、問いを重ねた。


「確か七不思議会に参加すると、願いが叶うとか――そんな話だったよなァ。分からねえんだけど、なんでそんなことで願いが叶うってんだ?」


 宇津木に答えようもない質問のようにも思えたが……しかし意外にも彼は、コイカワの質問にこう答えてみせた。


「氷室から聞いただけなので、本当かはわからんが。この七不思議会というのは、古くなり、伝承としての力が弱まった七不思議を消してまた新たな七不思議を迎え入れる――それによって『七不思議』という枠組み全体の力を強めるという儀式なんだそうだ。それで、古くなった七不思議が消える際に放出される『力』――その余剰によって、参加者たちの願い事が叶えられるということらしい」


「はぁ。超新星爆発みたいなもんッスね」


「ちょうしん……? 訳わかんねえこと言ってんじゃねェよヤス」


 そんなコイカワとヤスとのやり取りはよそに、宇津木は俯きながら拳をきつく握る。


「……ほんの遊びだろうと、高をくくっていた。その結果、十束が死に……鴻上と田村までもが犠牲になった。後悔しても、しきれない話ではないか」


 悔しそうにそう呟く彼をじっと見つめながら、東郷はやがてこう、彼に声をかけた。


「なら、その無念は俺らが晴らしてやるよ。あの氷室とかいう野郎をぶっ飛ばしてな。……なあ、お前は奴の居場所に心当たりはないか? あいつは『三階で待ってる』とか言ってやがったが」


 そんな彼の問いかけに、宇津木はしばし考え込んだ後、何かを思いついたようにこう告げた。


「氷室の居場所……三階……! ああ、そうか。ならばあそこかもしれん」


「あそこ?」


「旧校舎三階の、もともと新聞部が部室にしていた教室だ。俺たちが最初に七不思議会で集められたのはあそこだった」


 そんな彼の言葉に、東郷は「なるほど」と頷いて。


「案内できそうか?」


「どうにも妙なことになっているから、辿り着けるかどうかは定かではないが」


 そう返しながら、宇津木は東郷の一歩後ろに立つ形で先を進む。

 並んでいる教室、廊下の変形によってねじれ曲がった壁とプレートとを見比べながら「ここじゃないな」と呟いてさらに進んで……そうしているうち、やがて不意に東郷たちはある場所で足を止める。

 混沌としたこの廊下の中でそこだけが変形することなく、壁と扉の形を保っている場所。

 頭上に掲げられたプレートには「新聞部」という文字が書かれていて、どうやら間違いはなさそうだ。


 引き戸に手をかけ、皆を無言で見回す東郷。リュウジ、コイカワ、ヤスは緊張した面持ちながらも各々の得物を手に頷き返し――それを確認すると同時に、東郷は引き戸を引くと思いきや、全力で蹴飛ばしながら中へと突入する。

 窓からまばゆい夕日の日差しが差し込む教室。整然と並べられた机たちが陽光を反射する中……東郷は白鞘に手をかけながら周りを見回して。


 けれどそこには、誰もいなかった。


「……おい、氷室――いや、『黒井』! てめぇどこに隠れてやがる! 出てきやがれ!」


 そう叫ぶ東郷の怒号ばかりが無人の教室に反響し、けれど返ってくる声はなく。

 リュウジにヤス、コイカワも教室の中を見回し調べ始める中――


「なあ、東郷さん・・・・


「あん?」


背後から投げかけられたのは、宇津木の呼びかけ。彼には名乗ってはいないはずだが――そのこと・・・・に疑問を覚えぬまま、反射的に東郷が振り向こうとしたその時だった。


 どん、と。


 急に背中にぶつかってきた宇津木に、東郷はわずかに眉をひそめて。


 そして……数歩離れた彼の手に握られていたナイフを見て、己の背中に触れる。

 じわりじわりと溢れ出す、焼け付くように熱い液体。

 真っ赤に染まった手のひらを見ながら膝をつく東郷を見下ろしながら、宇津木は教室中に響くほどの高笑いを上げていた――

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