■17-七不思議を統べるもの-IV

 二人の死体を前にして……けれど今度はコイカワとヤスも、先ほどのことがあったからか驚きは少なかった。

 とはいえ無論、動揺がなかったわけではない。黒井の死体と比べてこちらは……見るも無惨な有様なのだ。

 髪を染めた男子生徒の方は、首に縄を掛けられて吊るされてこそいるが、明らかに死因は別――その胸から腹まで掛けて大きく開いた傷跡だろう。

 そこからはおびただしい量の血が溢れ出したのだろう、シャツは白い部分が見えないほどに真っ赤に染まっている。

 対して、女子生徒の死体。こちらは縊首での死亡と考えて矛盾はなさそうだった。

 顔面が真っ青にうっ血して、口を半開きにして目を大きく見開いたその顔からは死の間際まで苦しんだことがありありと伝わってくる。


「……赤い紙、青い紙の……犠牲者、ッスかね」


「かもな。まあ、何だっていい――おいお前ら、ホトケさんを下ろすぞ。手伝え」


 そう言い出した東郷を、ヤスは意外そうに見返す。


「え、放置しないんスか?」


「バカ。あっちの黒井は明らかにただの幻だったがよ、こっちは見てみろ。今も血が滴って、床に血溜まりができてる。それにこうして……触れる、本物だ」


 言いながら東郷が男子生徒の死体に触れてみせる。今度はたしかに、すり抜けたりはしない。


「……本物となりゃ、話は別だ。こんなところでぶら下げたままってのも、ひでぇ話だろ」


 そんな東郷の一声で、二人分の死体を縄から外して下ろし始める一行。

 白のジャケットは流石に脱いで作業をしつつ……およそ十分ほどかけて、二人をトイレの外へと運び終えた。


 トイレの外は、やはり元いた旧校舎と同じであって違う場所――夕焼けで赤く染め上げられた廊下だった。

 そこに二人を並べて横たえると、東郷はしばしその遺体を確認して、眉をひそめる。


「こいつぁ、随分と悪趣味だな」


「どうしたんです?」


 そう言ってコイカワもひょいと覗き込んで、それからすぐ、「ひィ!」と悲鳴を上げた。

 血染めで死んでいた男子生徒の死体。彼の胴体に刻まれた大きな傷口――その中からはあるべき臓器がごっそりと抜き取られて、空洞になっていたのだ。

 それを見て、コイカワが何かに気付いたように顔を青くする。


「……ひょっとしてよォ、さっきの人体模型の中身……」


「あーっ、それ以上言わないで欲しいッス!」


 ぎゃんぎゃんとやかましく喚く二人を一瞥して小さくため息を吐きながら、東郷は並んだ遺体の前で両手を合わせる。

 舎弟たちもそれにならって手を合わせて……それからゆっくりと踵を返し、廊下の奥を見据えながら再び歩き始めて数分ほどしたところだったか。

 たどり着いたのは、行き止まりだった。


 廊下の進行方向に突然に表れた、木の壁。それを見てコイカワが顔をしかめる。


「嘘だろォ? 行き止まりって、こっち以外に道はなかったぜ?」


 東郷もまた、やはり苛立たしげに舌打ちをしながら正面の壁を睨み続け、


「……くそったれ。向こうの手のひらの上ってわけかよ」


 そう呟きながら、落ち着かない様子で白鞘を指先でとんとんと叩き続ける。

 先ほどの死体で、犠牲となったのはすでに3人。「学校の七不思議」とやらは、殺しに全く躊躇がないらしい。

 ならば――このままいたずらに時間を掛けていれば美月や彼女の友人たち、ついでに音楽室に放置してきた両前の身にもまた危険が迫る可能性がある。

 そんな可能性を考えているうち、表情の険しさが増していく東郷。彼の様子に戦々恐々としながら……そこでヤスが「あ」と呟いた。


「そうだカシラ。その白鞘……そいつを使えばなんとかなるんじゃないッスか?」


「どういう意味だ」


「うちのクソジジイが言ってたッス。その白鞘はヤバすぎるから……抜いただけでも周りの空間の法則そのものを捻じ曲げちまいかねない、って。今のこの状況でなら、俺たちを閉じ込めてるこのヘンテコな空間も……どうにかなるかも」


 そう提案したヤスに、東郷は「ほう」と感心するように顎に手を当てた。


「言われてみれば――そんなことを前に言われた覚えがあるな。試してみる価値は、あるか」


 言いながら。東郷は白鞘を前に掲げると、ゆっくりとその刀身を――引き抜いてゆく。

 夕日を受けてぎらりと煌めく刃が数センチほど顔をのぞかせ、すると……その時のことだ。

 東郷たちのいる廊下全体が突如、大きな揺れに見舞われて、皆はたまらずその場でうずくまる。

 そして――異変はそれだけではなかった。


「……ぐっ、おぉ……」


 呻いたのは、白鞘を引き抜こうとしていた東郷であった。

 見れば彼の顔にはびっしょりと脂汗が浮かんでいて、どんな時でも弱気を見せないその表情に、今は苦悶の色が表れている。


「カシラ!? どうされました!」


「わ、からん……! くそ、何だ、こいつ……体が、勝手にッ」


 半ばまで刀身が引き抜かれた白鞘を握りしめたまま、苦しげにそう告げる東郷――そんな彼にリュウジが即座に駆け寄って刀を鞘に収めようとするが、しかしリュウジが両手で抑えようとしてもびくともしない。

 ヤスとコイカワも駆け寄って、同じように東郷の両手に手を添える。


「うおぉ、カシラ、馬鹿力すぎッス……!」


「こっ、なッ、く、そォォ!」


 三人が全力で白鞘を抑え込んで……するとようやく、乾いた音とともに刀身が白鞘の中へと再び収まった。

 瞬間、ぱっと白鞘から手を離してその場で座り込む東郷。駆け寄るリュウジに「大丈夫だ」と手を払いながら、彼は頭を軽く振って息を吐く。


「なんだってんだ、こりゃあ。前に抜いた時と……全然具合が違うじゃねえか」


 言いながら東郷は、以前ヤスの母を名乗る女性が言っていた言葉を思い出す。

 あの屋敷に巣食っていた怪異を喰らって、この白鞘はよりたちの悪い呪物になったと言っていたが――なるほど、こういうことか。

 白鞘を拾い上げて、ぐっと握り直してみる。鞘に収まっていれば大丈夫らしく、先ほどのような感覚……こちらの体に侵入してこようとするような、あの獰猛な殺意は感じられない。

大人しくなった白鞘を強く握りしめたまま、東郷は舌打ちする。


「くそったれが。この俺に楯突くたぁ、いい度胸じゃねえかよ――次も歯向かいやがったら、溶かしてマンホールの蓋にでもしてやるからな」


 そう東郷が毒づいていると、一段落していたヤスたちが「カシラ!」とまた声を上げていた。


「なんだよ、今度は」


「見て下さいッス、カシラ! 周りの景色が……」


 言われて東郷はようやく気付く。

 前方にそびえていたはずの木の壁。それがいつの間にか崩れていて……その先に、道が広がっていたのだ。

もっとも、「道」と言っても上等なものではない。一応は廊下の続きにこそ見えるものの全体がまるで雑巾絞りでもされたかのようにねじ曲がり――木の床はぼろぼろにめくれ上がって、壁も崩れた酷い有様である。

 何でこんなことになっているのか、と言えば、やはり白鞘を抜こうとしたせいなのだろう。


「……つくづくイカれた呪いのアイテムだぜ……」


 唖然とするコイカワ。とはいえこれで、道が拓けた。

 ねじれた廊下に向かって一歩を踏み出そうとする東郷、だが……その一歩は、突如投げかけられた声によって足止めされる。


「なっ、なあっ! そこのあんたたち――助けてくれッ!」


 声がしたのは、廊下の横にあった教室の中から。見てみると……扉のガラスから東郷たちを見つめる、一人の男子生徒の姿があった。


 いつからいたのか、と思いながらも東郷たちは彼の方へと近寄ると、扉をぐいと開ける。

 別にカギが掛かっているわけでもないらしく、扉はするりと開いて、中から男子生徒が転がるように飛び出してきた。

 憔悴した様子の彼を、助け起こすリュウジ。


「ああ、よかった……。誰だかは分からないが、ありがたい。あの教室に閉じ込められていて、困っていたんだ――」


 そう告げる男子生徒に、リュウジが怪訝な顔で問う。


「坊主。何だってこんな時間に、こんな場所にいる。……もしかして、七不思議会とやらの参加者じゃないのか」


 そんな彼の問いかけに、男子生徒はやや少しびっくりした様子ながらも頷き、こう返した。


「あ、ああ。そうだ……自己紹介をしていなかった。俺は宇津木春人――この学校に通っている生徒だ。あんたたちは?」


 何の気なしに訊ね返してきた男子生徒――宇津木に、東郷たちは顔を見合わせた後。


「…………土建業者だ。この旧校舎の解体の下見をしにな」


 飛び出したのは彼にしては珍しく、なかなか苦しい嘘だった。

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