■17-七不思議を統べるもの-II

 その「氷室」の顔をした男子生徒……黒井と呼ばれていた彼を皆が注視していると、その時のこと。

不意に周囲の壁がひび割れて、先ほどコイカワが蹴飛ばしたときと同じように壁から血液が滴り落ちてきた。


「うわわ、気持ち悪いッス!」


流れ出した血はみるみるうちに教室中に染み渡り、かさを増して――東郷たちはすぐ、教室から出る。

 するとどんなからくりか。教室を出て再び振り返った時には、すでにそこにさっきの教室はなく……代わりに大きな鏡が、扉の代わりに置かれているだけだった。


「……何だってんだ、こりゃ」


 ぼやきながら上に視線を向ける東郷。するとそこにはやはり、先ほどまでと同じように階段が伸びている。

 ただ……奇妙なのはいつの間にか、塞がれていたはずの窓が解放されていて――そこから夕日のような赤い日差しが差し込んでいたことだった。

 周囲の様子も同じで、明らかにホコリが積もって床板もあちこち剥がれていたさっきまでと違って、古びてはいるものの手入れが行き届いているように見える。

 ……まるで、かつてこの旧校舎がまだ学び舎として使われていたであろう時のように。


 リュウジが銃把で窓を殴りつけるが、単なるガラスであろうそれはヒビも入らない。ここから外に出るというのはできないらしい。


「た、タイムスリップ……?」


 目を丸くするコイカワに、東郷は露骨に眉間にしわを寄せて返す。


「バカ、んなわけあるかよ。さっきのやつみてぇに幻覚でも見せてんだろ」


「幻覚とか俺らが言うとなんか洒落にならない感じッスけどね」


 のんきにそんなことをのたまうヤスを無言ではたいた後、東郷はずいずいと階段をさらに上っていく。

すると……またもやそこには、扉があった。


「またかよ」


 身も蓋もない愚痴を零しながら、やはり何の感慨もなくさっさと開ける東郷。するとその中は、どこか見覚えのある教室だった。

 他の教室よりも広々とした室内に、グランドピアノが置かれた教室。両前が閉じ込められていたあの音楽室だ。

 今度はピアノを囲んで、また先ほどと同じ顔ぶれの生徒たちが何やら騒いでいる。

 先ほどの感じからすると、これはあくまで映像のようなものでこちらから干渉することはできない様子――ならば、と無造作に東郷は彼らの側まで行って、何をしているのか観察する。

 すると次の瞬間、ばたん、という大きな音とともに鍵盤の蓋が閉じて。演者席に座っていた生徒が慌てて手を引き、「こえー」と大げさに騒ぎ立てていた。


「何やってんだ、こいつら」


「チキンレースみたいなやつッスかね、聞き覚えあるッス。ピアノの蓋が閉じる寸前に避けるって遊びが昔流行ってて、それで事故が起きたせいでピアノが撤去されたって」


「……アホくせえな。ピアノ撤去するより先にこのバカ共を二、三発ぶん殴って叩き直す方が先だろ」


「まあそうっちゃそうなんスけどね……」


 腕を組みながらそう東郷がぼやいていると、やがて生徒たちが一人の生徒の手を引いて連れてきた。

 見ずとも分かる――黒井、というあの生徒だ。

 無理やり彼を演者席に座らせると、周りの生徒たちは逃げられないように彼を囲んで、にやにやしながら言う。


『黒井。チキンレースやろうぜ。もしお前が弱虫じゃないって証明できたら、今度からもうお前のこといじめないからさ』


 そんな、見え透いた発言に……けれど黒井という生徒は頷くと、鍵盤の上に震える手を置く。


『黒井くん、かっこいー! そういやピアノ得意なんだろ、なんかで賞とかとったって――せっかくだから演奏してみろよ』


 にやつきながらそんな野次を飛ばす彼らに、当人が逆らえるわけもなく。彼は不安げな表情のまま、鍵盤の上で指をすべらせ始めた。

 奏でられる旋律に――東郷は眼光を鋭くする。その曲は、聞き覚えがあった。


「両前が弾かされてた、あの曲……」


 こんな状況ながら、彼はなんとか演奏を続けていて。旋律がぶれることはなく、精緻に音階を追っていく。

 けれど――その曲が終わり際まで来た、その時だった。


 ばたん、と。


 生徒の一人が勢いよくピアノの蓋を閉じて。演奏に集中していた黒井は……避けられなかった。

 不協和音が鳴ると同時、ピアノの蓋に手を突っ込んだままの黒井の悲鳴が音楽室中に響いて。

 周りの生徒たちは、蓋の隙間から滴り落ちる血を呆然とした顔で見つめていた。


無言のまま、その光景を見つめ続ける東郷たち。

するとやがてピアノの隙間から流れ続ける血が先ほどと同じように床に流れ始めて、生徒たちの姿も徐々に輪郭がぼやけていく。

 ……この寸劇はここまで、ということか。


「出るぞ、お前ら」


「ッス……」


 素早く音楽室を後にする東郷たち。扉をくぐると、彼らは再びあの夕日の階段に戻っていて、やはり音楽室は跡形もなく消え、鏡だけが残っている。

 今見た光景のせいもあって、沈黙がしばらく流れ続ける中――やがてその静寂を破ったのは、階段の上から聞こえてきた音。

 少し物悲しい、ピアノの旋律。

 それは――黒井が弾いていた、あのピアノ曲だ。


「……ったく、気分の悪い寸劇を見せた挙げ句にまた階段か。いい加減にしろよ、クソ」


 舌打ちしながら足早に階段を駆け上がる東郷、それを追う舎弟たち。

 ぎしぎしと階段を鳴らしながら、十三段を二回、上りきると……そこにあった光景には流石に東郷も、絶句せざるを得なかった。


「……あわわ」


 青ざめるヤス、「うげぇ」と呻くコイカワ、沈黙して凝視するリュウジ。

 それぞれのそんな反応を前にして、そこに広がっていた光景――あるいはそこにあったモノは。



 階段の最上からぶら下がっている、黒井の首吊り死体だった。

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