■14-合わせ鏡と花子さん-III

 胡乱な顔つきで立つ両前を見て、その場にいた全員が言い知れぬ妙な気配を感じながら身構えていると――彼の口が、ゆっくりと動いた。


『ゆ 、ル   、 …… 、  イ』


「……あん? 何だァ」


 怪訝に顔を歪めてぼやくコイカワをぎろりと睨んで、両前は彼の普段のそれとはおよそ異なる……少女のような声音で、再び続ける。


『ユ――る、さなイ。コ わ、い。こわい、こわい、こわい――おまエ、  ゼッたい、ゆる……サな、い!』


 憎悪の形相に顔を歪める両前に、言われた方のコイカワはというと「ひぃっ……」と顔を引きつらせながら悲鳴を零した。


「ゆ、許さないっておめェ、なんだよ! 俺が何したってんだよ!?」


「そりゃコイカワさんに追いかけられたら怖いッスからね……」


「なァに落ち着いてやがるこのバカ!」


 先ほどまでの威勢はどこへやら、一転してたじろぎ始めるコイカワ。そんな彼を見て、両前に取り憑いた何かは薄ら笑いを浮かべると――コイカワと向かって接近してくる。

 直立の姿勢のまま、足が動いてもいないのに一瞬のうちにコイカワの目前に両前が迫って。

 すると先ほどの水守の時のように、今度は両前からコイカワへ、何か半透明の影が入っていく!


「コイカワさん!?」


「う、ぐおぉぉ!?」


 その光景を前に悲鳴を上げる美月。何かが抜け落ちた両前の体はその場で倒れ込み――コイカワは目を血走らせて、苦しげに喉を掻きむしる。


「うっ、ぐ、おぉぉ……なんだ、気持ち、わりィ……ッ!?」


「コイカワさん、しっかりするッス、コイカワさん!」


 悶えるコイカワを見てヤスが慌てふためいていると――その時、コイカワの喉から彼のものとは違う声が飛び出した。


『き、ひひっ! くるしめ、くるしめ、くるしんで、しね――』


「んだ、コラ、こいつッ――」


 一人で口論するような形になるコイカワ。一方は、先ほどの両前のような少女の声……これがコイカワに取り憑いているものなのだ。

 だが、両前の時とは違う点がひとつある。それは――


「完全には、乗っ取られていない……? なんで?」


 そう、彼は今もまだ苦しみ悶えていて。逆に言えば両前とは違い、まだ本人の意識がそこにある状態と言える。

 美月の呟いた疑問に、そこでヤスが「あっ!」と声を上げた。


「塩! 塩パワーッス! 前の時も塩のお陰で憑依を防げたッス!」


「本気で言ってるの?」


「マジッス! かわいそうなもの見るような目で見ないでほしいッス!?」


 そう叫ぶと、ヤスは何やらツナギのポケットをごそごそと漁り――やがて愕然とした顔でぽつりと呟いた。


「……ヤベーッス。塩持ってきてなかったッス」


 そんな彼の発言に、コイカワが血走った目でヤスを凝視する。


「ヤスゥ……てめェこのクソトボケ野郎ッ――」


「だってあんな重いもん担いで学校の中うろつくとかイヤだったんスよぉ!」


 情けない顔で返す彼の前で、なおも苦しみ続けるコイカワ。

 塩のおかげか完全には取り憑かれていないとはいえ、このまま放っておいたらどうなってしまうか分かったものではない。

 そう危機感をつのらせ始めた……その時のことだった。


『……うっ…………』


 コイカワの口から漏れ出た呻き声。けれどそれはコイカワの声ではなく、か細い少女のもの。

 怪訝に思って一同が見ていると――コイカワが先ほどまでとは少し違った、嫌悪混じりの表情で嗚咽を零し始めた。


『ぐぅ、ぅ……臭いっ…………このっ、からだ、くさい――』


 先ほどまでよりも苦しげなその表情。すると即座に切り替わって、コイカワの声で彼は反論した。


「くせェってどういうことだ、コラァ……! こちとらオシャレに気ィ使ってよォ、毎日香水つけてんだぞコラ――」


「香水て」


「どうりで最近コイカワさん、加齢臭の代わりに刺激臭がすると思ったッス」


 納得した顔のヤスの前で、再び悶えるコイカワ……否、彼に取り憑いている「何か」。

 歯を食いしばって脂汗を垂らしながら、コイカワはしかしそこで口元に笑みを浮かべてみせた。


「……あぁ、でもこいつァチャンスだぜ……おいヤス! てめェその木刀で、俺のことしばけ!」


「へぇ!? イヤッスよ、そんな趣味ないッス!」


「バカかてめェ! 俺だって殴られるなら本当はJKの方がいいっての――じゃなくて!」


 嫌そうな顔で拒否するヤスを怒鳴りつけながら、コイカワは苦しげな顔のままこう続けた。


「前に俺が……ッ、美月ちゃんの家で取り憑かれたことがあったんだがよ――そん時は、カシラが俺のことしばき倒して正気に戻してくれたんだ! だからよ、今回もッ……ぐっ、げぇ……」


「こ、コイカワさんっ……」


 くぐもった声を漏らして動きを止めたコイカワを、ヤスはおろおろした顔で見つめて――けれどやがて、意を決したようにその手に持っていた木刀を握り直すと、コイカワへ向き直って叫ぶ。


「……分かったッス! コイカワさん、恨まんといて下さいッス!!」


「打ちどころ悪かったら後でてめェどつき殺すからなッ――うごァ!」


 コイカワの背中に、ヤスの振り下ろした木刀が命中してくぐもった悲鳴が上がる。

 一発だけではない。何度も、何度も、ヤスが木刀を振り、コイカワが「ぐァ!」とか「ぎぇ!」とか潰れたカエルみたいな声を吐いて――けれどその顔には、あろうことか鬼気迫った笑みを浮んでいた。


「いいんスか!? これでいいんスか、コイカワさん!?」


「いいぜェ、いいぜ、ヤスぅ! 効いてる……メチャクチャに効いてるぜェ!」


「う、うわわ……」


 そのバイオレンスじみた光景を前に青ざめながらぎゅっと水守を抱きしめる六花と、抱きしめられながらも意外と彼女より動揺していない水守。

 美月はというとやはり流石に気圧されるものがあったが……とはいえ彼女が気にしていたのはコイカワ――否、彼の体に取り憑いたものの方だった。


『いっ、ぎゃぁっ、なんなのっ、なんなのっ、こいつ――』


 コイカワの口から溢れた少女声の悲鳴に、これまたコイカワが凄惨な笑みを浮かべて続ける。


「てめェコラ化け物がよォ……“俺らスジモン”相手に喧嘩売るってのがどういうことか、みっちりこのまま体に教え込んでやるぜェ――ぎぎゃっ!」


『いたいぃっ……!?』


 交互に聞こえる野太い悲鳴とか細い悲鳴。パンチパーマのヤクザを後ろから木刀で責め続けるチンピラという、視覚的にも地獄みたいな光景だったが……誰より辛いのは提案したコイカワ自身なので美月には何も言えない。

 ただ一刻も早く、この時間が過ぎ去ってほしい――そう願って数秒か、あるいは数分が経った頃だろうか。


『もう、いやぁ……』


 かすれるような声がコイカワの口から漏れると同時、彼の体から半透明のものが飛び出して――天井にすうっと吸い込まれて消えていく。

 消えていく前に一瞬見えたその姿はやはり、少女のようなそれで。

 けれどそれに追及する暇もなく、ぐったりと膝をついたコイカワをヤスが慌てて支えた。


「だ、大丈夫ッスかコイカワさん……?」


「おう、てめェ、なかなかいいスイングだったぜ……腰のヘルニアが引っ込みそうだ……いてて」


 顔をしかめつつも意識は保ち続けているコイカワに肩を貸しながら、そこでヤスは視線を移ろわせて「あ」と呟く。


 その視線の先に倒れていたのは――両前だ。


「……コイカワさん、アレ、どうするッス……?」


「んなもん、てめェが担いでいくに決まってんだろ」


「コイカワさん手伝ってくれないッスか!?」


「木刀でタコ殴りにされた後なんだぞ、こちとらよォ!?」


 ……とまあそんなことを言い合っていると、その時だった。

 ヤスの携帯に、着信が入って。驚いたヤスが電話に出ると――聞こえてきたのは東郷の声だった。


『おい、ヤス。お前今どこにいる、事務所の留守番ほっぽってどこ行ってんだ殺すぞ』


「……あぁ、カシラぁ……! 声聞きたかったッスぅ……!」


『うわ何だ気持ち悪ぃ』


 どうやら電話の相手は本物の東郷のようで。ということは――外部との繋がりが、元に戻ったのだ。

 窓の外を見てみると、遠くには走っている車とか、あるいは新校舎の職員室に灯る明かりなんかが見えていて。

 それゆえに、美月は実感として噛みしめる。

 ひとまず、「こちら側」に戻ってこれたのだと――

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