■3-氷の男と心霊写真

 時を同じくして、東郷の事務所。

 応接間のソファ――出前で取った寿司桶を囲んで、東郷の対面に一人の男が座っていた。

 灰色がかった髪を後ろに撫で付けた、初老の男性だ。年齢で言えば東郷より二回り程度は上程度か。白スーツの東郷とは対照的に真っ黒なスーツを着込み、銀縁の眼鏡をぎらつかせて東郷を見据えている。

 外見だけ見れば、東郷よりよほど細身で、同じ穴の狢とは思えないかもしれない。だがしかし、全身に纏う気配はやはり、東郷と同じく闇の匂いを漂わせている。

 彼こそが、東郷から見て叔父貴に当たる綾次あやつぎ組組長、綾次錬三郎れんざぶろうその人だ。


「……」


 無言のまま、錬三郎がやおら動き出す。手には割り箸、迷わず掴みにかかったのはイカ。

 醤油もつけずそのまま口に放り込み、また次へ。今度もイカ。

 とにかくイカだけを狙い続ける錬三郎、そしてそもそも寿司桶自体もよくよく見ると半分くらいが白い。

 そんな中で対面の東郷はというと、半面の玉子から口に運び始めて――そんな妙な空気の中、遠巻きに立って見守っていたヤスは隣のコイカワに耳打ちする。


「あの……ゲソ特盛りで頼むよう言われたんスけど、ホントに良かったんスかね……?」


「ああ、お前叔父貴見るのは初めてか。……叔父貴、イカ以外食わねェんだよ」


「マジすか」


 そんな調子でひそひそと話しているうち、寿司桶が空になったところで錬三郎がおもむろに口を開いた。


「なあ、東郷よ」


「はい、叔父貴」


 場の緊張感が高まる中。錬三郎はその鋭い眼光を真っ直ぐに東郷へと向けて――


「この店のイカ――いいネタだなぁおい。来月もこの店で頼むぜ!」


 一転して破顔しながら、朗らかな調子でそう言って東郷の肩をばしばしと叩いた。


「いやぁ、お前の選ぶ出前はいつも当たりなんだよなぁ。大したグルメだぜ全く」


「いつも外食なんで、無駄に詳しくなっちまっただけです」


「いつも外食ぅ? そいつぁ良くねえ、実に良くねえ。生活習慣病ってぇ知ってるか? お前まだ若いと思ってるかもしれねえけどよぉ、そろそろガタが来始める年齢だぜ? 俺も痛風がなぁ――」


 先ほどまでの空気感がひっくり返るような気さくな振る舞いに、遠巻きのヤスが後ろにいたリュウジに耳打ちする。


「……なんなんすか、あの人? さっきまでの雰囲気と全然違うんスけど……」


「叔父貴は仕事モードとプライベートを露骨に切り替える方なんだ。仕事モードの時は『氷の男』と呼ばれているが」


「極端な……」


 そんなひそひそ話の向こうで、にこにこと気のいいおじさんめいた笑みを浮かべながら錬三郎はリラックスした様子でソファに寄りかかる。


「前回の会合が、丁度一年前くらいだったっけか――あいや、年始の会合もあったから、五ヶ月ぶりくらいか。……その後、どうなんだよ?」


「どうって……別段、変わったことはありませんよ。商売の方も順調です」


「バッカおめーそういうこと言ってんじゃねえよ。どうって言やコッチのことに決まってんだろ、コッチの」


 言いながら小指をくいくいと立ててくる錬三郎。そんな彼の言葉に、東郷はため息をつきそうになるのをぐっとこらえながら首を横に振る。


「そんなん、いませんよ。変わらず寂しい独り身です」


「んだよ。遊んだりはしてねえのか? 良ければうちのシマの店、紹介するぜ? どこも風営法遵守の優良店だ」


「遠慮しときますよ。俺にはそんな甲斐性はありませんから」


 そう固辞する東郷に、錬三郎は腕を組んで口をへの字に曲げる。


「甲斐性なんてぇもんは、女ができてから勝手につくもんさ。俺だって若い頃はそりゃもう鼻垂れのくそったれだったもんだが、なんだかんだでこうして円満結婚生活も40年目、人生まだまだ上り調子って具合さ」


 立て板に水といった調子でそうまくしたてると、錬三郎は「そうだ」と急に声を上げた。


「お前にゃまだ見せてなかったよな。うちの孫娘の写真」


「なんすか唐突に」


「いや、結婚ってぇ話してたら思い出したのよ。うちのぷりちーぷりちーな孫娘、お前にまだ見せてなかったなって」


「お孫さんの写真なら去年にも見せて頂きましたが……」


「ありゃ1年前だろ。常に最新版を見せつけねえと」


 また始まってしまった、と東郷は内心で辟易する。この叔父貴、お節介焼きな部分はあれど面倒見の良い気さくな人物なのだが……孫娘が生まれて以来、兎にも角にも会うたび人に孫娘自慢をしてくるのである。

 特に東郷などは、定例の会合などで親父殿の代わりに彼の相手をすることも多く……それゆえにひときわ、その被害に遭うことも多いのだ。


「ほれ、とくと見よ。これが三日前に撮りたてほやほやの令和最新版のうちの孫娘だ!」


 懐から取り出したスマートフォンをいじって、こちらに見せつけてくる錬三郎。

 画面には、はにかんだような笑みを浮かべる小柄な少女と、その隣でVサインをしている背の高い少女の姿があった。

 毎年見せつけられているから分かるが、こちらの小柄な方が彼の孫娘だ。


「どうだ、可愛いだろ? 天使すぎだろ? 嫁に欲しいだろ? 絶対やらねえけどな」


「遠慮しときますよ」


「あん、うちの孫娘じゃ嫁には不足だってのか? あぁ?」


「そういう意味じゃありませんって」


 いきなり殺気を剥き出しにしてくる彼を宥めつつ、東郷は再び写真に目を落とす。

 確かに可愛らしい少女だ。とはいえそれ以外、これといってコメントするようなことも――


「……ん?」


「あん?」


 怪訝な声を漏らした東郷に、これまた首を傾げる錬三郎。


「何だよ、孫の可愛さに惚れ込んじまったのか? しょうがねえなあ、お前くらいの男ならあと数年待ったら考えてやらんことも――」


「いやそうじゃなくて――いや、すんません。そうかもしれないです」


 言いかけたところで言葉を翻し、そう話を打ち切る東郷。そんな彼の様子に「なんじゃそら」と眉根を寄せる錬三郎だったが、それ以上は追及する様子もなく満足げにスマートフォンをしまおうとして……とそこで、応接間の外から様子を見守っていたヤスたちに気付いて「お」と声を上げた。


「せっかくだからお前んとこの若衆にも孫を布教せんとな――おいてめぇら、隠れてないでこっち来い」


「え、いや、俺らは……」


「遠慮すんなって。ほら、ガリでも食えガリでも」


 いつの間にか姿を消していたリュウジとコイカワ、そして取り残されていたヤスだけが錬三郎の魔の手に堕ちる。


「お前は初めて見る顔だな。ようし、特別にうちの孫のこれまでのアルバムを全開放してやろう――」


「すんません、俺はちょいと便所に」


「ちょっ、あのっ、カシラ! カシラー!?」


 ヤスを生贄にしてそそくさ立ち去る東郷。応接間の戸を閉めると……彼は今見たものを思い出して、眉間のしわを深くする。


 錬三郎が見せた、あの写真。

 彼の孫娘ともう一人の少女、その間から真っ黒な視線をこちらに向けていたもの・・は――一体何だ?

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