■1-押しかけ女子高生
極道に身をやつし、そこそこに酸いも甘いも噛み分けてきた半生。女性経験がないわけではないが、どの関係もあくまで一時のものとして夜の闇に過ぎ去っていった。
とはいえそういった過去の関係も、決して破局で別れたものではない。
それでもこれまで独身を貫き通してきたのは何故か、そう問われれば答えはいつも同じ。
いつ刺されて死ぬかも分からない泡沫のような人生に、誰かを付き合わせるべきではないだろう――と、自嘲めいた笑みとともに彼は決まってそう返すのだ。
ゆえに、である。事務所からぶち抜きになっている自宅で彼はいつも一人で寝起きしていて。
だからこそ、ブラインド越しの朝日に瞼をくすぐられて起きるのが彼のいつもの生活サイクルなのだが――今日は少しばかり、勝手が違った。
ひとつは、前日のこと。リュウジの経営している風呂屋(ただの銭湯である)で少しばかりの問題が……心霊的な、あるいは怪現象とでも言うべきものがあり、その解決のために深夜まで張り込んでいたこと。
その問題は他愛のない話なので言及は省くとするが、ともあれそのせいで自室に戻って寝付くことができたのが午前4時。ほぼ完徹間近となっていたせいで、普段と比べて大幅に起床サイクルがずれ込んだこと。
そして――これが一番の重大な異変なのだが。
「ちょっと、東郷さん――もう朝なんだから起きなさいよ。その歳で寝坊とか、恥ずかしくないの」
耳に届くそれは、独身一人暮らしの彼の生活においておよそありえない、女性の声で。
東郷が重たい瞼を開けて身を起こすと……彼のベッドのすぐ脇で、一人の少女が腰に手を当て彼を見下ろしていた。
手入れの行き届いた長い髪を両サイドでまとめた、利発そうな顔立ちの少女。
以前東郷がとある事件で助け、それ以来色々あってこの事務所でアルバイトをしている――八幡美月その人である。
被っていたナイトキャップを放り捨て、東郷は昨晩のままの紫シャツに白ズボンという出で立ち……少なくとも人前に出られる格好であることを確認すると、美月をまじまじと見返して呟く。
「……おい、お前何でいるんだ」
「何でって。ここでアルバイトしてるんだから当たり前じゃない」
「当たり前じゃねえ。今何時だと思ってんだ」
「8時。あんたいつも無駄に早起きなのに、今日はこんな時間まで熟睡してるから外の連中が心配してたのよ――ああ、学校のことなら大丈夫よ。始業は8時50分だし、ここからならすぐだから」
そう言う彼女に、寝室のドアの方を見遣ると……そこにはこちらをおっかなびっくり見つめるヤスの顔があった。
「ああ、アニキ……じゃなかった、カシラ。生きてたッスね! 全然起きてこないから死んでんじゃないかと思って心配したッス!」
「心配したならてめえで見に来いアホが、殺すぞ」
「だって寝起きのカシラってめっちゃ怖いッスから……。ちょうど美月ちゃんが来てくれて助かったッス」
そう言って気の抜けた笑顔を浮かべるヤス。後でシメようと心に誓いつつ、東郷は美月へと向き直って……そこでようやく違和感に気付く。
何がと言えば、彼女の格好だ。彼女の通う高校の制服なのは変わらないが……なぜかその上に割烹着を着ているのである。
「……おい、なんだその格好は」
「ああ、これ。ヤスさんたちから聞いたのよ、あんたの食生活。毎日外食かカップ麺ばっかだって言うじゃない? 仕方ないから今日から、せめて朝ごはんくらい作ってあげようかと思って」
あっけらかんと返す美月。よくよく嗅いでみると、普段カップ焼きそばの残り湯を流すくらいにしか使っていない台所の方から味噌汁のようないい香りが漂ってくる。
「……お前、そんなことしたって別にバイト代は増やさねえぞ。余計なことしてんじゃねえ」
「あら、言い草。別にバイト代なんていいわよ、それよりあんたが急に生活習慣病で死んだりしたら、そっちの方が困るし」
当然のようにそう言い返してくる美月の後方から、ヤスまでも、
「俺ら先に頂いたッスけど、かなり美味いッスよ! 美月ちゃんいいお嫁さんになるッス!」
「セクハラはやめて下さいヤスさん、殺しますよ」
「アホなこと言ってんじゃねえ、殺すぞ」
「カシラが二人に増えたような気分ッス…………」
そんな二人の態度に頭を抱えながら、東郷は小さく舌打ちして美月を睨みつけた。
「美月ちゃん。言ったはずだぜ、バイトとして雇うのは良いがあくまで君の生活に支障がない範囲での話だ。朝っぱらからヤクザの事務所なんざ出入りしてたら、学校でどう噂されるもんか分かったもんじゃねえ」
そんな東郷の言葉にしかし、彼女は呆れ混じりに肩をすくめて、
「それこそ今さら。前に住んでいた家……あそこの一件、とっくに学校中の噂になってるのよ。呪いの館に、ヤクザが出入りしてた――って」
そう言う美月の表情はしかし、言葉のわりにけろっとしていて。だから東郷がどう反応したものか口ごもっていると、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて続ける。
「前は『死霊の館』だの『呪われてる』だのって、色々言ってくる奴もいたんだけどね。あんたたちが出入りしてるって知れた瞬間、そういう奴らがぱったり静かになっちゃったわよ。……ヤクザの力を借りたみたいで正直腹立つけど、でもまあ、一応お礼は言っとくから」
「……はっ、礼なんか言われる筋合いはねえよ」
「そ、じゃあ別にいいけど。私だってあんたたちにお礼なんか言いたくはないし。……けど、一応これはそのお礼代わりとでも思っておいてよ」
そう言うと、東郷の返事も待たずに踵を返して寝室を出、台所へと向かっていく美月。
そんな彼女と入れ替わりにヤスが入ってくると、にやにやしながら東郷に耳打ちする。
「いやぁ、カシラも隅に置けないッス。あんな可愛い子がツンデレてくれるなんてそうそうないッスよ」
「なあヤス。簀巻きの道具とコンクリブロックを5個くらい、調達しといてくれねえか」
「何に使うッス?」
「お前を沈めるためだ」
「………調子乗りすぎたッス。平身低頭ッス」
五体投地で額を床にこすりつけるヤスの後頭部を軽く引っ叩いた後、東郷はシワのついたシャツを脱ぎ捨てて着替え始める。
「そういや今日は……叔父貴が来るんだったな。何時だ、ヤス」
「11時にいらっしゃる予定って聞いてるッス!」
叔父貴――経極組と同じく天川会の系列である
綾次組の経営する会社と東郷の会社とで一部業務連携を行っている事情もあって、年に一回は直々に顔を突き合わせて話をすることになっているのだ。
「……朝っぱらから気が重いぜ」
そう呟きながら深々とため息を吐いた後。
鏡に映る白虎の刺青を黒地のシャツで覆い隠して、東郷は気合を入れ直した。
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