■死霊ノ館-エピローグ<2>

 そんなことがあって、ほどなくして。

診察を受け終わって戻ってきたリュウジやコイカワを連れて、事務所へと戻ると――扉を開けた東郷を出迎えたのは、ヤスだった。


「かかかカシラぁ! ご苦労さんっス!」


「んだよいきなりやかましい、殺すぞ。……そうだヤス。お前のかーちゃんだって言い張る変な子供に会ったんだが――」


「それどころじゃないっスよカシラ! 大変、大変なんっス!」


 ただならぬ剣幕の彼に、東郷は後ろから入ってきたコイカワやリュウジと顔を見合わせる。

 すると――奥の応接間から、声が聞こえてきた。


「ちょっとヤスさん。いつまで待ってればいいんですかー?」


 聞き覚えのある、少女の声。

 まさかと思ってヤスを押しのけて奥に乗り込んでいくと――応接間の客用ソファに座っていたのは、八幡美月その人であった。

 面食らっている東郷を見て、むすっとした様子のその顔が一瞬綻んで……けれどすぐに咳払いをすると、つんけんした様子で口を開く。


「……こんにちは。邪魔してるわ」


「邪魔とは思わねえが――おい、こりゃあ一体どういうことだ? まさかヤス、お前――」


「誤解ッス誤解ッス! 未成年に手ぇ出したりしませんよコイカワさんじゃないんスから――あいたあ!?」


「人聞きの悪いこと言ってんじゃねェよプリン頭ァ!」


 コイカワに全力で頭を引っ叩かれて涙目になるヤスだったが、そこは自業自得なので東郷は無視。すると彼の代わりに美月本人が、「違うの」と言葉を挟んだ。


「ヤスさんは関係なくて。今日は私が、押しかけてきただけだから」


「何だってそんなこと。ヤクザの事務所なんざ、カタギのお嬢ちゃんが来る場所じゃねえぞ」


「仕方ないでしょ。私はまだ、貴方たちと縁が切れたわけじゃないし」


 ――確かに、その通りではある。

 結局あの屋敷は経極組で買い取ったものの、やはり事故物件ということもあって買取額は格安とせざるを得なかった。

 それゆえ、八幡家が抱えている借金を帳消しとするには至らず、いまだ彼女の言うように、縁が切れていない状態ではあるのだ。

 だからと言って、わざわざ彼女が一人でこんな場所を訪れるということの理由にはならないのだが……。

 困惑を隠せない東郷に、彼女は意志の強そうな瞳のままにこう続けた。


「今日来たのは、この事務所で何か、バイトが出来ないかと思って」


「……バイト? 誰が」


「私が」


 あっけらかんとそう告げる彼女に、東郷はしばし、言葉を失った後――


「待て待て。どういう風の吹き回しだそりゃあ。遊ぶ金が欲しいなら、もっといい場所があるだろ」


「そんなんじゃないわよ」


「じゃあ何だ」


 若干怒気を滲ませて凄む東郷に、けれど怖気づく様子もなく彼女はこう返した。


「お父さんの借金、まだ残ってるでしょ。だからその返済のために、私も働こうと思って――っていう話をしたら、どうせならここで働けばいいんじゃない、ってそこのヤスさんが言ってたから……」


 ヤスを指差しながらそう言う美月。東郷は後ろで青くなっていたヤスをじろりと睨むと、胸ぐらを掴んでにじり寄る。


「おいヤス。お前、そんなこと言ったのか」


「言ってませ……いや、ええと。ちょっとした話の弾みというかなんというか……俺も高校生の頃からカシラのところで世話になってましたし、そういうのもありじゃないッスか――なんて言ったような、言わなかったような」


「ド阿呆が。殺すぞ」


 ドスを効かせてそう告げた後で、東郷は美月へと向き直ると、頭をかきながら再び口を開く。


「……あー、なんだ。確かに君の親父さんの借金はまだ残っちゃいるが。だが返済期限は無期限にしたはずだろ。俺が言うのも変な話だが、はっきり言って踏み倒してくれたって良いんだ」


 けれど美月は、きっぱりとその言葉に首を横に振ってみせた。


「そんなの、寝覚めが悪いわ。あんたたちみたいなヤクザからお金借りっぱなしで、挙げ句踏み倒すなんて――そんなの人として終わってるもの」


 まっすぐな瞳でそう言い切る彼女に、東郷は思わず口元に笑みを浮かべそうになる。

 ……本当に、大した娘だ。そんじょそこらのチンピラどもよりよほど、任侠おとこではないか。

 黙り込む東郷に、彼女はなおも真剣な表情のまま……わずかに不安げな色を滲ませながら、すがるように言葉を続ける。


「仕事は、何だっていいの。事務所の掃除とかお茶くみとか、そういう雑用くらいならできると思うし。もちろん、変なことさせようとしたら通報するけど……」


「させねえっての」


「お願い、します」


 ソファを立ち、頭を下げてくる美月。そんな彼女の態度を前に、後ろで見ていたコイカワや、リュウジまでもが東郷をじっと見つめていた。

そんな衆目の中――東郷はなんとも困り果てた表情のまま深いため息を吐き出して。

 それから頭をかきながら、観念したように口を開く。


「……分かった。わーったよ。だから頭を上げてくれ、美月ちゃん。カタギがヤクザなんかに頭下げるもんじゃねえ」


「……それって」


 東郷の言葉に、驚いた顔で見返してくる美月。そんな彼女からわずかに視線を逸しながら、東郷は事務所奥の自分の椅子へと向かいつつぶっきらぼうにこう続けた。


「そうまで言うなら、雇ってやる。だが親父さんの許可は取ってるんだろうな?」


「それは大丈夫。東郷さんたちなら安心して任せられる、って」


「あのオッサン、俺らのこと何だと思ってんだ……」


 思いの外したたかなのか、単純に底抜けにお人好しなのか。若干呆れつつ、東郷は椅子に深く腰掛けて美月を見る。


「仕事は……まあ適当に掃除でもして、ついでに茶でも汲んでくれりゃそれでいいさ。ヤスの淹れる茶はクソ不味いからな」


「あ、ひどいッス!」


「あと、学業を優先しろ。こんな下らんバイトにかまけてそこのコイカワみてぇになったら、親御さんに顔向けできん」


「気をつけるわ」


「美月ちゃんまでひどくねェ!?」


 そんな方方からの抗議の声は聞き流して。東郷はぐるりと椅子を回して背を向けながら、美月に向かってこう、続ける。


「……ま、イヤになったら辞めてくれや。俺らなんかとは、関わり合いにならねえのが一番だからな」


 そんな言葉に美月もまた、微笑を浮かべて。


「そうね。借金分だけ働いたら、すっぱり縁を切ってやるから。……だからそれまで、宜しくお願いします」


 東郷の大きな背中に向かってもう一度、深く頭を下げるのであった。

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