■死霊ノ館-エピローグ<1>
市内、閑散とした昼下がりの私立病院。
駐車場の片隅に停車された、異様な圧を放つ黒塗りの高級車――その運転席で、東郷はシートを倒して寝転んでいた。
あの屋敷での一件から、はや二週間。なぜ病院になど来ているのかと言えば……あの時の傷がまだ癒えきっていないコイカワと、ついでに体への後遺症がないか検査をしにきたリュウジの送迎のためであった。
彼らは無論、若頭である東郷にそんな雑用はさせられないと慌てていたのだが……しかし彼らもヤクザの端くれである。組で世話になっている病院でないと難色を示される可能性もあったので、こうして口利きもかねて同行することにしたのだ。
待ち時間の暇ゆえか。眠気を感じて、軽く欠伸をする東郷。
例の一件のせいか、ここ最近はどうにも疲れやすい――眠気を振り払おうと、東郷はダッシュボードの上に乗っている小箱を手にとって眺める。
事件の後で神主にこれを見せたところ、「すでに何の呪力もない」とのこと。東郷に壊され、呪詛の触媒としての力を喪失したのだろう――そう神主は言っていた。
実際にこうして触ってみても、何か妙な気配を感じるわけでもない。
とはいえ中に人の指だの蛾の死骸だのが詰まっているのに変わりはないので、気味悪がったヤスなどは「神社で供養した方がいいッスよ」とか言っていたりもしたが……それでもこうして手元に置いていたのは、ほんの気まぐれというのがひとつ。もうひとつの理由は単純に、「こんな事件性の高い代物を押し付けたら神社に迷惑がかかる」という一点だった。
ちなみにあの事件の顛末について言うと、仏間から出てきた無数の死体の件もあったのでもちろん警察には通報。
家を捜査したところ――どうやら地下からも大量に白骨死体が出てきたらしく、一時的に屋敷は事件現場として封鎖されることとなった。
以前にも住人の自殺などが相次いだ挙げ句、今度は身元不明死体が多数。
当初は「この家に住み続けたい」と言っていた美月も流石に諦めがついた様子で、結局……屋敷は東郷の持つ会社が貸しオフィスとして買い取ることにして、八幡親子は転居することになった。
……まあ、あんな惨状を目の当たりにすれば、仕方のないことだろう。
「ったく。こんな汚えガラクタのくせに、随分と面倒をかけてくれやがった」
誰にともなくぽつりと呟き、再びダッシュボード上に小箱を置き直した……丁度その時。
こん、こん、と。
助手席側の窓ガラスをノックする音が聞こえて、東郷が視線を移すと――いつの間にいたのか。車の脇に、一人の女性が立っていた。
見た目からすると、美月と同じくらいだろうか。女性……と言うよりはむしろ少女とでも言ったほうが良さそうなあどけなさの残る顔立ちで、しかしまとめ上げた艷やかな黒髪と身にまとう上等そうな仕立ての紫紺色の着物からはどこか、年齢不詳な印象を受ける。
見覚えのないその少女に若干面食らいながらも、東郷は窓を開けて口を開いた。
「あー、お嬢ちゃん。別の車と間違えちゃいねえか」
「そんなことはありませんわ、経極組若頭の東郷さん……でしたかしら」
「……あん?」
自分の素性を把握していると分かって、自然と東郷の表情に剣呑さが増す。
そんな彼の眼光をしかし上品な笑顔で受け流しながら、少女は何を思ったか当然のようにドアを開けて助手席へと乗り込んでくる。
「おい、何のつもりだ」
「ああ、ご挨拶が遅れました。
そう言って深々と一礼してみせる少女……燐に、東郷は眉間のしわを深くした。
「出来の悪い愚息って、被ってねえか――じゃなくてちょっと待て、宮前? ってことはあんた、ヤスの……」
「ヤスの母です。この度は大変ご迷惑をおかけしました」
「いやアホな動画配信者かよ」
「うふふ、一回やってみたくて。でも母なのは本当です」
そんな燐の言葉を、およそ信じられるわけもなかったが……とはいえ少なくとも東郷とヤスのことを知っているということは、ヤスの家族なのは事実だろう。
いまいち思考を読めない彼女を前に警戒心を解ききれないまま、東郷は渋面で口を開く。
「で、ヤスの親御さんが何の用事だ」
「いえ、たまたまお見かけしたので、ちょっと東郷さんへ日頃のお礼をと思って」
「たまたま見かけるかよ、こんなところで」
「うふふ。占いでここにいらっしゃるだろうと出たので張っていたのですが――お礼を言いたかったというのは本当ですよ。あの屋敷の件、わたしたちも手をこまねいてはいたので」
わたしたち、と燐は言う。確かヤスの両親は除霊師だか退魔師だかをしていて、あの神主の祖父からは絶縁されているのだったか。
そんなことを考えていると、彼女は気軽に――ダッシュボードの小箱を手に取りながら、静かに続ける。
「『ムクロイ』。
「褒められてるのか貶されてるのか分からねえな」
「褒めてるんですよ。まっこと、お見事という他ありません」
そう言ってぱちぱちと拍手してみせた後、燐は「ただ」と言葉を添えた。
「そんな貴方だからこそひとつ、お礼代わりに忠告をお伝えしておきたいと思うのです」
「忠告だぁ?」
訊き返した東郷に頷くと、彼女はすっと、車のトランクの方を指差して続ける。
「貴方の持っている……今もトランクに入っている、あの白鞘。あれは――とてもとても、危ない」
「……危ない、だぁ?」
眉根を寄せる東郷に、燐はその顔から笑みを消して頷いた。
「あの白鞘は、呪われています。しかもそんじょそこらの呪いのアイテムなんかとは比べ物にならないくらい――引き抜いただけで周りに影響が出るクラス、いわば災害級の呪物です」
「……呪われてる、って。カチコミで何人と斬ったから、そりゃあ多少はそうかもしれんが」
「多少なんてもんじゃありません。百人近いヤクザ屋さんの怨念がべっとべとにこびり付いてるんです、はっきり言って今回の『ムクロイ』だって可愛く見えるくらいの――常人なら持ってるだけでも体調を崩すような代物です。……まあでも、良かった」
そこでわずかにほっとした様子で呟いた燐に、東郷は首を傾げる。
「良かったって、何がだ」
「今こうして普通にお話しできているということは、結局あれを使わずに済んだということですよね。……全く、緊急事態だったとはいえあんな物をお返しするなんて、うちの父もなんとまあ無責任な――」
「いや、抜いたぞ」
「…………はい?」
ぴしり、と固まったように言葉を失う燐。東郷は頭をかきながら、平然とした様子のまま続けた。
「だから、抜いたし使ったんだが。あの白鞘」
東郷のそんな返答に、その瞬間ずずいとにじり寄ってきて、燐は血相を変えて問う。
「あれを抜いた時、何か妙な感覚はありませんでしたか? 体の具合が悪くなるとか、人を斬りたくてしょうがなくなるとか」
「いや別に。確かにちょいとばかし妙な感じはあったが……それだけだ」
「正気を失うような感覚は。あるいは、自分で自分を斬りつけてしまいたくなるような衝動とか、肉体が変質する感覚、世界没落体験――本当に、本当に、何の影響もなかったんですか??」
「ねえって言ってるだろ」
鬱陶しげにそう返した東郷に、彼女はむしろ気味の悪そうな表情で小さく唸った。
「…………あの怨念を全部、気合だけで無理やりねじ伏せたということでしょうか。ううん、ヤクザ屋さんというのは思いのほか人間やめてるんですね。ヤスくんの将来が心配です」
「褒められてるのか貶されてるのか分からねえな」
「ちょっとドン引きはしていますけれど……」
地味に失礼なことをのたまいながら、彼女は大仰なため息を吐いて――とそこで、何か気付いた顔で東郷を見返した。
「……って、あの。あれを使ったということはつまり、『ムクロイ』をあれで斬ったということ……ですか?」
「ああ。銃じゃ効かなかったが、あれはしっかりと効いてくれたもんでな」
「その時、何かお気づきにはなりませんでしたか?」
「何かって……ああ」
当時のことを思い出して、東郷はひとつ、気付いたことを彼女に報告する。
「この箱から、何か吸い込んでたような気がするな」
「やっぱり………………道理で神社に安置してあった時より気配が濃くなっているわけです」
「一人で納得してねえで、分かったことがあるなら言ってくれねえか」
そんな東郷の促しに、彼女は苦々しい表情で呟いた。
「恐らく貴方の白鞘は、『ムクロイ』の呪詛の一部を吸収しています。……端的に言うと、余計に悪質な呪物に成り果てたというか」
「そこまで言うなら、あんたなり神社なりでまたお清めでもしてくれるのか?」
「無理ですね。置いておくだけでも結界が綻びかねないような代物、引き取れません」
即座に引き取り拒否した後で、彼女は「でも」と続けた。
「あれを使って何ともなかったなら、むしろ貴方が持っているほうがいいんでしょう。……あれほどの凶悪な呪詛が籠もっていれば、『この世ならざるもの』を退けるのにも有効ですから。また今回みたいなことがあった時には役に立つでしょう」
「もう懲り懲りだがな、こんなのは」
そうですね、と微笑むと、彼女はそこで車の扉を開けた。
「……では、お話しは済みましたので、そろそろおいとまします。うちの馬鹿息子を、これからもどうか、宜しくお願いいたします――ああ、それと」
「まだ何かあんのかよ」
呟く東郷の肩を、その時彼女はぽん、と軽く叩いて。
「わたしにできるのはこのくらいですが、お礼代わりに。……ではさようなら、またどこかで」
そう言って車の外に出たかと思うと――一瞬目を離した隙に、彼女の姿は見回す限りのどこにも見えなくなっていた。
「……何だったんだ、ありゃ」
ヤスの母親だとしたら、あの見た目で東郷と同年代か年上だ。
そんな馬鹿な、とも思うが、冗談みたいな経験をしたせいでなまじ嘘とも断定できない。
後でヤスに問いただしてみるとするか――そんなことを思いながら、東郷は軽く腕を回して肩をほぐす。
心なしか。妙に肩が軽く感じられて、体の疲労感も消え失せていた。
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