DAY3-18:15-<8>

『uuuuuuuuuuuuuuuuluuluuuuuuuuuulululuuuuuuuuuuuuuu』


 地鳴りのようなその音は、あるいは声か。びゅうびゅうと生ぬるい風が吹き荒れる中――その黒い嵐を正面から睨みつけながら、東郷はベルトに差していた白鞘を引っ張り出してその柄に手を掛けひと思いに引き抜く。


 顕になった、暗鋼色の刀身。

 明かりを反射して煌めく その剣光が空気に触れた、その瞬間――


 ぴしり、と。


何がに亀裂が入るようなそんな音とともに。東郷は、周囲の空気が変わったのを感じた。

これまでとは比べ物にならないほどの凄まじい重圧感と、全身を引き裂かれそうなほどの殺意。

 だがそれは、目の前の黒渦が放っているものではなく――他ならぬ、東郷の握る白鞘から迸っていた。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス――――


「――ああ、なるほど」


 握りしめた手を伝って立ち上ってくるその憎悪には、心当たりがあった。

 かつてこの刀で斬り殺した、ヤクザども。

この刀に宿っているのは――奴らの遺した、混じりけなき怨念たちなのだ。


 気を抜けば呑まれそうになるほどのその怨嗟をそのまま握りつぶして、東郷は口元に笑みを浮かべながら、眼前の黒渦へと視線を戻す。

 この刀がどんなものに成り果てていたとて、そんなことはどうでもよかった。

……百人斬りを果たしたかつての相棒。そいつがこの修羅場を切り抜けるにも、十分に役に立つに違いないと直感できたからだ。


「そうら、いくぜ――ヤクザ百人の怨念とテメェ、どっちが強いか勝負しようじゃねえか」


 呟くと同時、東郷は一歩前へと踏み込んで眼前の黒渦へと向かって白鞘を振るう。

 に闇色のうねりはまるで逃げるようにその身を捩らせて――けれどそれも叶わず、銀閃の刀身が闇へと沈み込んだ。


『  き    ―――――――――――    ぃぃィ   』


 金属をでたらめにねじり合わせて擦りつけたような、耳障りな音が辺りにこだまして。

 それにも構わず東郷はさらに、白鞘を黒渦へと押し込んでゆく。

 まるで巨大な蛇でも斬っているかのような、妙に軟体質な手応え。傷口からは黒い蛾が血のように飛び出してきて東郷の顔面へとぶつかってくるが、お構いなしだ。


「どうした? 痛ぇのか――はっはァ、そりゃあ面白えもんだな、アクリョウだかノロイだかの分際でよぉ! オラァ!」


 ずぶり、と東郷の両手までが黒渦に沈み込んで。響き渡る怨嗟の木霊はひときわ大きくなって、そしてやがて……黒渦が一瞬大きく膨らんだかと思うと、勢いよく、弾け飛んだ。


 ぼとぼとと雨のように降り注ぐのは、大量の蛾の死骸。「うげぇ!」と悲鳴を上げているヤスとコイカワをよそに、東郷は再び白鞘を握り直してあの円陣の中央――黒い大渦が消滅したその真中を、じっと睨む。


 そこにいた……あるいは、そこにあった・・・モノ。

 それを一言で形容するならば――「ヒトガタ」であり、「指」だった。


 切り落とされた無数の指がねじり合い、組み合わさって、ひとつの人の形となったもの。

 両手両足に相当する部位も、血の気を失った青白い指が編み合わされて。

 そしてその顔に相当する部分には、先ほどリュウジの体から奴らが抜け出た際に出てきた、気味の悪い木面が張り付いている。


「あれって……人の、指――」


 さすがにぞっとした様子で呟く美月に応じるように、コイカワもまた苦い顔で呻く。


「しかもよォ、小指エンコじゃねェか、あれ……うげぇ」


 そんな外野には、しかしまるで注意を向けた様子もなく。

 かち、かち、かち。重なり合った爪同士が擦れ合う音を立てながら、四つん這いのまま立ち上がったその「異形」は――木面にあいた虚の両眼で東郷を見た。


「はは、幽霊の正体見たりってか。思ったより愉快な見た目じゃねえか」


 言いながら白鞘を握り直した東郷に、「異形」はかちかちと音を立てながら……次の瞬間一気に跳躍すると、東郷へ向かって降り注ぐ。

 それを後ろに跳んで避けた東郷、それとほぼ同時に一発の銃声が轟いて、「異形」の体が跳ね飛ばされるように横へ転がる。

 撃ったのは、リュウジであった。


「カシラ。大丈夫ですか」


「お前こそ。……構わねえからそこで見てろ。さっきまでアレに取り憑かれてたんだ、本調子じゃねえだろ」


「ですが――」


 かち、かち。爪音が聞こえると、二人はやり取りを中断して「異形」へと向き直る。

 先ほど銃弾が直撃したはずだったが……まるでダメージを受けた様子はない。


「どういう理屈かは知らんが……やっぱり、こいつじゃねえとロクに効かんか。なら」


 手元の白鞘を握り直してそう呟くと、東郷は腰だめに構えて一気に「異形」へと距離を詰める。

 それはまさに伝統的ヤクザアタックとでも言うべき捨て身の一撃。「異形」の方も、まさかそんな行動に出てくるとは予想していなかったらしい。


「そぉ、らあッ!!」


 わずかに動きを止めていた「異形」の体に、東郷の白鞘が深々と突き刺さり――そのままの勢いで東郷は、「異形」を地面に縫い止める。


『―――   ―――ヒッ――  ぎ、ガ、ァァァァアアァァァァアアA A H H H!! い ダ  い――――――――い、 ぎ、ぃぃぃィ!!!』


 ひび割れた絶叫は、苦悶の声か。東郷に突き刺されたままその体躯を、全身の指を滅多矢鱈に蠢かせながら暴れる「異形」。

 刺し口からコールタールのような黒い、どろついた体液が噴出して東郷のジャケットを染めていくが、それにも構わず東郷は額に青筋を浮かべながら……白鞘を握る手によりいっそう力を込めていく。


「痛えか? 痛えのか? バケモノでも、しっかり痛えんだな――だったら終わりにしてやるよ」


 ぐちゃりと音を立てながら、東郷は「異形」の体を踏みつけにして刃を引き抜き、


「外道は外道らしく」


『ぐゃ、ガ、ぎ、ぃいィィ――!!!!???』


「指、置いていけよやあッ!」


 咆哮と同時、返す刀で「異形」の手……その小指にあたる部位を叩き斬る。


 瞬間、ひときわ大きな絶叫が辺りに響き渡って。

斬られた小指の断面から吹き出した黒いなにかが辺り一面を駆け回り、埋め尽くして、そして――消える。


 古ぼけた電灯の明かりが再び室内を照らして、するとすでにそこには、何もなかった。

 異形の化け物も。地面に落ちていたおびただしい数の蛾の死骸も……何もかもが幻であったかのように、消え去っていた。


「……終わった、のかよ?」


 きょろきょろと周りを見回すコイカワに、頷いたのは東郷。


「多分な。あのいけすかねえ気配はもうない――いや、こいつからちょいとばかし、感じなくはないがな」


 そう返して東郷が指差したのは――足元に落ちていた、古ぼけた木箱だった。

 表面に破れた御札が何枚も貼り付けられた、手のひら大の薄汚れた木箱。

躊躇なくそれを拾い上げようとした東郷に、様子を見守っていたヤスが声を上げる。


「待ってください、カシラ! この流れからいってソレ、呪詛の触媒じゃないッスか!?」


「だろうな」


「そんなもん素手で触ったらばっちいッスよ! 具合悪くなるかもしんないッス!」


 妙にせせこましいことを言いながらおっかなびっくり近寄ってくると、ヤスは持っていた消臭剤を木箱に吹き付ける。

 すると……かたかた、と、まるで中になにかいるかのように木箱が揺れて、ヤスは涙目で東郷に抱きついてきた。


「動いた! 動いたッス!?」


「気持ち悪いな、ひっつくな馬鹿、殺すぞ。……ったく、どいてろ」


 言いながら東郷が今度こそ木箱を手にとって、皆が寄ってきて見守る中で蓋を開ける。

 すると――その中にあったのは、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた蛾の死骸と、そして、ミイラ化した人間の……小指。

 どれだけの数かは分からない。十や二十ではないだろう、それだけの量が隙間なく収められたその箱を見つめて、美月が気味悪そうに口元に手を当てる。


「……これも、指? なんでこんなものが……」


「多分これが呪詛の触媒ッス。でもこれ、どうすりゃいいッスかね……なんか下手に手ぇ出したらまた大変なことになりそうですし……」


「あ? ンなもん、考えることなんかねえだろ」


 首を傾げるヤスにあっけらかんとそう告げると、東郷は箱に蓋をし直して地面に置き――白鞘で一息に、貫き通した。


「か、カシラぁ!?」


「触媒を壊せば終わりなんだろ? こうすりゃ済むこった」


「いやぁ、ホラー映画のセオリーだとこういうの、ちゃんとお祓いとかしないと逆にとんでもないことに――」


 困惑顔で返すヤスだったが、しかしその時、呪詛の箱を見つめて途中で言葉を失った。

 東郷が刺し貫いた箱。白鞘を突き立てられて地面に縫い留められたそれが、かたかたと蠢き始めて――かと思いきや次の瞬間、何か黒いものが中から迸ったかと思うと、白鞘の刀身に吸い込まれるようにして消え失せる。

 それきり、箱はぴたりと動きを止めて。東郷は再び持ち上げると、それを無造作にヤスに向かって放り投げた。


「わっ、わっ!? 何するッス!?」


「もう持っても何ともねえだろ」


 お手玉でもするように手のひらの上で箱を弾ませるヤスにそう東郷が告げると、ヤスはそこで初めて箱を両手で持ち、しげしげと眺めた。


「……たしかにッス。気味は悪いッスけど、ヤバい感じはないッスね」


「だろ?」


「……ちなみに今俺が取り憑かれたら、どうなってたッス?」


「聞きたいか?」


「…………遠慮しとくッス」


 なんて。そんなことを言っていると、その時辺りの探索を再開していたコイカワが声を上げていた。


「カシラぁ! 見てくださいよォ、あそこの天井! 梯子がありやすぜ!」


「出口か。でかした、コイカワ。逃げ道見つけるのだけは上手いな、お前も」


「へへへ」


 それほど褒めてはいないのだが上機嫌になるコイカワを置いて、東郷は放り捨てていたジャケット、そしてバールを拾うと中空に下がっていた錆だらけの落とし梯子を引っ張り下ろす。

 上る順番は――リュウジ、コイカワ、ヤス、美月、東郷の順。美月は最後がいいと言い張っていたが、しんがりを彼女にさせるわけにもいかないためこうなった。


「……分かったわよ。でも、上、絶対見ないでよね」


「見やしねえから安心しろ」


 そんなやり取りの後、何とも微妙な表情をしていた美月だったが――ともあれそうして梯子を上り、天井にあった戸を押し開けると……出たのは、屋敷の庭だった。

 外に出て周りを見回しながら、そこでヤスが「あっ」と声を上げる。


「カシラ、ここ――」


 彼の言葉に東郷もまた、言わんとすることを理解する。

 地下から出てきたその場所はちょうど、以前に大量の蛾の死骸が落ちていた辺りだったのだ。


「……ここと繋がってたわけか。なるほどな」


 静かに頷いて――それから東郷は、思い出したようにジャケットのポケットから煙草を取り出し火を点け、静かに紫煙をくゆらせながら空を仰ぐ。

屋敷に入った時とおよそ変わらぬ黄昏色。腕時計を一瞥すると、針が示すのは18時15分――色々なことがあったような気がしていたが、まだこんな時間だ。


 手元に残った古ぼけた小箱を弄びながら、東郷は深く息を吐く。

 何はともあれ、終わったのだ……そんな確かな実感を、胸にしながら。

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