DAY3-18:15-<7>

「ヤバいッス、ヤバいッス、真っ暗ッス!」


「懐中電灯も点かねェぞ!? どうなってんだよォ、おい!?」


 視界が遮られたその中で、ヤスとコイカワの慌てふためく悲鳴が響く。

 光源のない、完全なる暗闇。視覚を頼れないこの状況下において、けれど東郷だけは無言のまま――目を閉ざして辺りに注意を払い続ける。

 視覚など必要ないほどに、彼には感じられていた。

 あの、ひりつくような――刺し穿つかのような敵意が。


「美月ちゃん、すまん」


「え?」


 かちり、というわずかな音が聴こえて、東郷は美月を抱えたままとっさにその場を動く。

 瞬間、辺りが一瞬明るくなると同時に拳銃の銃声――東郷が今しがたいた辺りの土がめくれ上がった。

 美月をその場に置いて、東郷は床を転がる。するとさらに一発、二発と追って銃声が鳴り響き、東郷のすぐ後ろに着弾する。


「はっ、情けねえ腕前だなぁ! そんなんで当たるか――よッ!」


 挑発するようにそう告げながら、東郷はそこで方向転換。暗闇の中、一瞬のマズルフラッシュの中で見えた影を頼りにリュウジへと近接し――握りしめたバールを躊躇なく振るう。

 硬質な音とともに、何かが落ちる音。感触からして拳銃を弾き飛ばしたか。

 つぶさにそう理解しながら、東郷は腕を緩めることなくバールを再び振り下ろそうとして。

 けれどその腕を、リュウジの腕ががしりと掴んで止めた。


『あ、ガ、ひ、ひ、匕――』


 くぐもったその声は、リュウジのものではない……もっと耳障りで禍々しい何か。

 東郷の腕を掴むその温度も、氷を押し当てられているかのように冷たい。

 消えていた電灯たちが、明滅を再開する。

眼前のリュウジの顔が、その明滅に照らされて――しかし次に見えた顔は、彼のものではなかった。


 人間のものとも思えない、奇妙な……木か何かを荒く削り出したような、仮面の顔。

 うろのように眼窩と口の三点だけが開けられた不気味な面……その口の穴から、真正面の東郷目掛けて何か、真っ黒なものが無数に吐き出される。


「っ……!?」


 口から霧のように溢れ出したもの。それらは……蛾だ。

 漆黒色の蛾が、まるで逃げ場を探すように木面の口から飛び出してきて、東郷の顔に、体に纏わりつき始める。

 おびただしいその無数の黒翅。上半身を覆い隠し、かまいたちのようにジャケットを浅く切り裂くその責め苦に、思わず東郷の口から苦悶の呻きが漏れた。


「東郷さん!」


「カシラっ……!?」


「来るなッ――」


 駆け寄ろうとする美月たちに怒声を飛ばして、東郷は纏いつく蛾の群れを振り払おうとする。

 だがまるでひとつの意思によって操られているかのように、その群れは東郷から離れようとしない――どころか口から入り込んでこようとしている。

それゆえに息をすることすらままならず、持っていたバールも取り落して、うめき声を上げながらもがく東郷。

 視界の端に見えるのは、倒れたリュウジの姿。だがその無事を確認する余裕は今の東郷にはなかった。

 このままでは窒息死か、あるいはこの蛾の群れに侵入を許すことになるか。

 酸欠で意識が朦朧とし始めたその時……聞こえてきたのは、ヤスの叫び声だった。


「このぉ……カシラから、離れろッス!」


 言いながら彼が放り投げた何かが、東郷の頭上から降り注ぐ。

 電灯の明かりで煌めくそれは、――すると金切り声にも似た奇怪な音が辺りに響いて、蛾の群れが東郷の体から離散する。

 ようやくまともに酸素を取り込めるようになって咳き込みながら、東郷はヤスに向かって笑みを浮かべた。


「おいヤス」


「はっ、はいッス――あっ、めっちゃ塩ぶっかけちまってすんませんッス!!」


「いい。よくやったヤス……お陰で助かった」


傷だらけになったジャケットを脱ぎ捨てながら告げた東郷に、ヤスはぽかんとした顔になった後。


「……カシラにお礼言われるのって、それはそれで怖いッス……」


「うるせえ殺すぞ」


舌打ちしながらそう返した後、東郷は素早くしゃがみ込んで倒れているリュウジの体を揺する。


「おいリュウジ、生きてるか!」


「カ、シラ……? 俺は一体……」


「取り憑かれてたんだ。戻ってきたようで何より」


 そう言って頷きながら、東郷は再び周囲を見回して警戒を新たにする。

 塩をかけられて逃げた蛾たちは、忽然と姿を消していた。あるいはそもそも実体のあるものだったのかすら不明だが……ともあれ姿がないからと言って、終わったわけではないことを東郷は悟る。

 いまだこの空間には、あの敵意が、殺気が満ち溢れているからだ。


『――――コ………ス。こ、ろ、殺、    す、   す………………』


 不意に聞こえてきたのは、辺りに反響するそんな声。

 低い、呻き声にも似たそれに――東郷はしかし、臆することな獣じみた笑みを浮かべて鼻を鳴らす。


「殺す、殺すって威勢だけはいいじゃねえか、ええ? いつ俺を殺すんだよ? 俺はまだピンピンしてるぜ?」


 そんな東郷の挑発に、向こうはあるいは苛立ったのか。辺りの電灯の明滅が激しくなって、それだけではない……部屋全体が、ぐらぐらと震動し始めていた。

 そのただならぬ気配の中、コイカワが涙目で悲鳴を上げる。


「か、カシラぁ! こいつ絶対めっちゃ“仏千切ブチギ”れてますよォ!」


「当たり前だ、そのつもりで喧嘩売ってんだよ、こちとらよ――」


 そう返しながら東郷は、敵の気配を探る。

 この部屋の中でなお、よりいっそう敵意の密集した場所。そこは……


「……お前ら、その妙な模様から離れろ!」


 蛾の死骸で床に描かれた、奇怪な円陣。東郷がそう叫んだその刹那、円陣の中央から突如黒い靄――否、大量の蛾の死骸たちが竜巻のように吹き上がる。

 その光景を呆気にとられた様子で見上げながら、ヤスが悲痛な声を漏らす。


「カシラぁ! どうするッスか、あれ!?」


 だが、東郷はと言うと。黒き渦と相対するその顔に浮かんでいたのは、愉快そうな笑みであった。


「そんなん、決まってんだろ」


そう告げるや否やぼろぼろになったシャツを勢いよく脱ぎ捨て、上半身を晒す東郷。

顕になったのは鍛え上げられた鋼のような筋肉。そして、その背中一面に描かれた――凶相の白き獣の刺青。


「組のもんに手ぇ出して。それだけじゃねえ、極道でもなんでもねえカタギの人間にまでたっぷり手ぇ出してくれたんだ――俺らの流儀通り、ケジメつけさせてやんねえとな」


 そう言って肉食獣のように牙を剥く東郷。その全身から吹き出す尋常ならざる「圧」に、そういった荒事を知らぬ美月ですら思わず気圧されていた。


「あれは……白虎――」


 呟く美月に、その隣でリュウジが口元にわずかな笑みを浮かべながら頷いて。


「『経極の白虎』――カシラがあれを人前で晒すのは、滅多にないことだ」


「リュウジさん、そりゃァどういうこって?」


 問いを重ねたのはコイカワ。そんな彼にリュウジは冷や汗を額から一筋垂らしながら、こう返した。


「あれを相手に見せたってことはな……相手が何であろうが。例え生きていようが死んでいようが例外なく確実に、『ブチ殺す』ってことなのさ」

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