DAY3-18:15-<6>

「美月ちゃん! おい、しっかりしろ!」


 紋様の内側へと足を踏み入れて、東郷は横たわる美月を抱き起こす。ブラウスの袖から出た腕は生気を失った白さで、触れてみても氷のように冷たい。

 だが……頸動脈に触れるとそこには、弱々しいながらとくん、とくんと拍動があった。

 死んではいない。ひとまずそれを確認して安堵するが――とはいえ事態が好転しているわけでもない。

 眉間にしわを寄せて黙り込む東郷に、ヤスがその時口を開く。


「とりあえず、うちの親父の見様見真似ッスけど……ここの部屋に結界張っておくッス」


「そんなことできんのか。……分かった、頼む」


「りょッス!」


 そう言いながらリュックサックを漁り始めるヤスを見て、コイカワが目を輝かせながらその背中をばんばん叩く。


「ヤス、お前すげえなァ! ホラー映画の除霊師みてェじゃねえか!」


「へへ、それほどでもあるッス」


「で、どうやるんだ、結界って?」


 そう問うコイカワに、ドヤ顔でヤスが取り出したのは――某消臭スプレーファ○リーズだった。

 広間の入り口にそれを吹き付けて、どことなくフローラルな香りが漂い始める中……コイカワが困惑げな顔で呟く。


「……いや、確かに効くって言うけどよォ。ホントに大丈夫なのかコレ?」


「わかんないッスけど、やらないよりはやっといた方がいいッス」


 そんな彼らのやり取りを横目に、東郷は改めて、目の前で死んだように横たわる美月を見下ろし思案する。


「どうなってんだ、こりゃ。取り憑かれてる……って感じでもねえが」


「美月ちゃん、美月ちゃーん? 起きないッスか?」


「起きないなら今のうちに、ぐへへ――って痛いですカシラぁ!? “冗談ジョーク”ですよォ冗談!」


 しょうもないことを言うコイカワの頭をバールの柄で軽く小突く東郷。その横でヤスは真剣な顔で「うーん」と唸る。


「あの呪詛の影響が、まだ全身に残ってるのかもッス。このままだと、本当に死んじゃうかも……」


「くそ、何か手はねえか――」


 考えてみるものの、呪いだの霊だのといった話に疎い東郷にはアイデアなど浮かぶべくもない。奥歯をぎり、と噛み締める東郷の横で――その時コイカワが「あ」と呟いた。


「おいヤス、お前最初俺たちに塩かけただろ。あれ、美月ちゃんにもやってみたらいいんじゃねェか? “祝福マブ”いんだろ、その塩」


「確かに、やってみる価値はあるッス!」


 言いながらヤスが早速塩を取り出して、ぐったりとしたまま動かない美月の体に振りかけていく。

 服や髪に白い塩粉がぱらぱらと付着していくのを見ながら、コイカワが腕をまくるような動作をして、


「よォし、じゃあここは俺が、さらに体中に塩を塗り込んで――」


「お前な――本当に、殺すぞ?」


「へ、へへ。だから冗談ですってェ、カシラ」


 顔を青くしながら両手を上げるコイカワ。こんな状況で、天丼はやめてほしいものだった。

 ともあれ、ひととおり彼女の全身に塩を振りかけ終わったところで――東郷たちは早速、ひとつの変化に気付くこととなる。


「……ちょっと顔色よくなってきてるッス」


 ヤスの言葉の通り。血の気が引いたような白さだった彼女の頬や指先に、再び朱が戻り始めているのが見て取れた。

 ……それだけではない。


「……ん、うぅ……」


 弱々しいながらも、美月は顔をしかめながらそんな呻き声を漏らして――やがて体を縮こまらせて、脂汗を浮かべながら荒い息を繰り返す。

 先ほどまでとは違う――けれど明らかに苦しげなその様子に、東郷たちがどうしたらいいか分からず唖然としていると。


「う、ぅ、うう、が、ぁあぁぁあああぁぁぁァぁぁぁあア!!」


 何度もえずいた後……美月の口からぼとりと、何か黒いものが吐き出されて地に落ちる。

 唾液で濡れててらてらと光を反射するそれを見て――コイカワが露骨に顔をしかめた。


「うげぇぇ……なんだ、こりゃァ……?」


吐き出されたのは、蛾の死骸・・・・だった。

 毒々しい紫色のそれは、この空間に散らばっているものと同じ種類だろう。だとすれば……この蛾の死骸が、彼女の体に何か影響を及ぼしていたのか。

 そんな仮説を証明するように、美月がうすぼんやりと、その目を開ける。


「……東郷、さん? なんで……ここは……?」


「話は後だ。今はちょいと取り込み中でな――」


 そう告げようとした、その瞬間。

 不意に壁に設置された電灯たちが一斉に消えて、辺りは再び暗闇に包まれた。

 なぜ、と考えるべくもない。


 奴が、来たのだ。

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