DAY3-18:15-<5>

 神主の言葉に、東郷はしばらく絶句した後、再び状況を整理すべく口を開いた。


「……拐われた? どういうことだ、順を追って説明してくれ」


 そんな彼の問いかけに、神主は咳払いの後でこう続ける。


『八幡さん親子とその屋敷の呪詛との『縁』を断つために、祓いの儀式をしていたのですが……呪詛の影響力が私の想像よりも強くてですね。娘さんの方に呪詛が取り憑いて、そのまま目の前から消え去ってしまったんです――』


「……なんだと。おい、あんたや八幡の親父さんの方は、大丈夫なのか?」


『ええ、お父さんの方はどうにか守り切れました。私も……まあ、軽い怪我はありますが、支障はありません。ただ――いやはや、なんと申し上げればよいか。先ほど、娘さんがそちらにいたとおっしゃってましたね?』


「ああ。一瞬だけ見えて、すぐいなくなっちまったが……」


 そう返した東郷に、神主はしばらく沈黙してから、ためらいがちに呟いた。


『だとしたら――呪詛は、娘さんの躯を使って何かを企んでいるのかもしれません。貴方がたに姿を見せることで、これ以上近寄るなと警告しているのか……』


「警告、ね。だとしたら見当違いもいいところだがな」


 そう言って鼻を鳴らすと、東郷はその眼光を鋭くして地下空間の奥――そこに広がる闇を睨む。


「ヤクザとの喧嘩にカタギを巻き込むなんざあ外道の手菅だ。そんな真似しやがる奴ぁ、なおさら許しちゃおけねえよ。それに」


 この状況にありながら東郷は、口元に愉快げな笑みを浮かべて――


「ここを進ませたくねえってことは、奴の『触媒』はきっとこの奥ある。……そうに違いねえって、俺の勘がそう言ってるんだ」


 その返事に、ややあって神主が再び口を開いて、


『……分かりました。ではせめてご無事を、お祈りしております』


「おう、そっちもくれぐれも気をつけてくれ。あんたに何かあったら、親父殿にも……ついでにヤスにも顔向けできん」


『はは、肝に銘じておきま――』


 そんな神主の言葉を遮るようにして、その時通話に急激なノイズが混じる。


「……おい、神主さん? おい――」


 東郷が怒鳴りつけると、やがて返ってきたのは……神主の声ではなかった。


 きし、きし、と。金属かなにかが擦れ合うような、耳障りな音。

 それに重なるようにして――聞こえてくるのは、歌だった。


<とお……せ。とお、りゃ、せ>


<ごようの、ナ……もノ、とお、シャ――せぬ>


男とも女ともつかぬ、くぐもった声。とぎれとぎれのその歪な旋律に、ヤスがぽつりと呟く。


「……これって、通りゃんせの歌じゃないッスか?」


「通りゃんせって、童謡のか?」


「ッス……」


 ヤスの言葉に、注意を凝らして耳を傾けると――


<いき、は、よいよイ、かえりは、こわい>


<こわいながラも とお―――>


<こ           ロ      す>


<ひひヒ、ひ、    ひヒ匕ヒひ     匕ヒヒ匕ひひヒ     >


 ざざざ、という激しいノイズとともに、ひび割れた声が大音響で轟いて。

 瞬間――スマホの画面が真っ暗になり、通話が終了。と同時に地下通路の奥から、生ぬるい風が吹き荒ぶ。


「っ……懐中電灯が!」


 かちかちとでたらめに明滅を始める、コイカワの懐中電灯。ヤスのヘッドライトも同じように不規則な点灯を繰り返して……その中で東郷は、はっとして背後を見る。


 すると、そこに、いた。


 腕をだらりと垂らして、俯いたまま立ちすくむ――美月の姿が。


「――お前ら、走れ!」


 直感的にそう叫んだ東郷に、三人もまた即座に動き出す。ただならぬ状況であることは、この場にいる誰もが肌で感じていた。

 後方を振り返りながら、コイカワが叫ぶ。


「っカシラ、今後ろにいたの、美月ちゃんじゃ!?」


「ああ! だが……様子が妙だ、とにかく走――」


 そこまで言いかけたところで、東郷は背筋にぞくりとする寒気を覚える。

 氷が直接触れたような感覚。触れているのは、真っ白な手――


「カシラ!」


 それを意識するかしないかというところで、雄叫びと同時に割り込んできたのはリュウジだった。

 伸ばされていた美月の……否、「美月の姿をしたもの」の手を散弾銃の柄で払い除けようとして、けれどその一撃は腕を通り抜けて空を切る。


「なっ……?」


 彼が驚愕を浮かべたその瞬間。「それ」は狙いを変えてリュウジへと顔を向け。リュウジはそれに迷うことなく散弾銃を発砲。

 轟音とともに辺りが一瞬明るくなって、けれど対する「それ」の体には傷一つない。


「こいつ――」


 リュウジが次弾を撃とうとした、その刹那。

 「それ」はリュウジの鼻先まで接近し――彼の体と重なって、あろうことかそのまま幻のように消えて失せる。

 そしてそれとほぼ同時、リュウジの体が電撃でも食らったかのようにびくりと痙攣して。

 それから彼はがくんと肩を落とすと……ゆっくりと東郷たちへと振り向く。


 サングラスに覆われたその目は見えない。

 けれど彼のその目からは――血の涙が、流れ落ちていた。


「……っ」


 リュウジの散弾銃、その銃口がゆっくりと東郷へと向けられて、そのまま引き金が引かれる。

 とっさに横に転がった東郷の肩を散弾が掠めて血が跳ねる、その光景を前にして固まっていたヤスとコイカワもようやく事態が理解できたようだった。


「リュウジさん、まさか……取り憑かれたんですかァ!?」


「だろうよ――くそっ」


 続けざまの射撃が東郷めがけて放たれて、近くの土壁を砕く。さらに引き金を引こうとするリュウジであったがしかし、彼に憑いている「それ」はリロードの方法が分からなかったのか――どうやら装弾が尽きたらしくかちかちと空撃ちしていた。


「今だ、奥に行くぞ!」


 その隙を見逃さず、東郷はそう叫んでヤスとコイカワを引き連れてさらに地下の奥へ。

 独特の傾斜、懐中電灯のみが頼りの暗闇の中。そのせいで時間や距離の感覚が狂わされる。

 今どこへ向かっているのか。上っているのか下っているのか、どれほどの距離を走っているのかも分からない。

ただ確かなのは、背後から追ってくるリュウジの足音――それから距離を取ることだけを考えて走るうちに、やがて拓けた空間に出た。

 地下であることは変わりない。だが狭い通路であった今までの場所とは違い、ここは見たところ円形に整えられており、周囲の土壁が錆びた金網で補強されているのもあってより人工的な趣が強い。

壁面に備え付けられた電灯も、ここのものについてはちらつきながらもいまだ生きているらしい。頼りない灯りながら、薄暗く照らし出された空洞内――その中央を見て、東郷たちは息を呑む。


 そこにあったのは、床の上に大量の蛾の死骸を敷き詰めて描かれた奇怪な紋様。

 そしてその中央に横たわる、美月の姿だった。

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