DAY3-18:15-<3>

「ひょえっ……!?」


 壁を割って伸びてきた腕が、気を抜いていたコイカワの首にがっちりと巻き付く。

 汚い腕だ、皮膚は紫色に変色し、至るところが腐り落ちて赤黒い肉が露出している。

 長く醜く伸びた爪の間にも黒ずんだ土か、あるいは血の塊のようなものが挟まっていて――その醜悪さを前に、コイカワは声にならない悲鳴を上げた。


「コイカワ!」


「ぐ、るじ……」


 顔を青くして泡を吹き始めるコイカワ。リュウジがとっさに拳銃を向けるが、しかしコイカワと密着した腕を撃つのは難しいようで照準が揺れている。

 ならば、と東郷が動き出そうとしたその矢先――先に動いたのは意外にも、ヤスだった。


「どぉおおぉりゃあぁあぁ、ッス!」


 握っていた護符付きの木刀を力いっぱいに振り下ろし、壁から伸びた腕を打ち据えるヤス。すると意外にもそれが有効だったのか、締め付ける力が緩んだ拍子にコイカワは転がるようにして壁から離れた。


「効いた、効いたッス!」


「助かったぜェ、ヤス……。お礼にこの中華屋のライス無料券やるよ」


「ぐっちゃぐちゃな上に使用期限もう過ぎてるじゃないッスかそれ」


「――お前ら、気ぃ抜いてんじゃねえ!」


 言いながら東郷が腰の拳銃を抜きざまに発砲、再びコイカワに掴みかかろうとしていた腕は血しぶきを上げてのけぞる。

 だが……状況はそれだけでは、終わらなかった。


 先ほど流血していた、壁に開いた無数の釘穴。そのどれもが同じように亀裂を生じて――そして壁を破って、中から無数の「何か」が姿を現したのだ。

 それは……一言で言うならば、「死体」だった。

 腐りかけて、体のあちこちが崩れかかった屍。腕や足があらぬ方向にねじれているもの、頭の皮がめくれ上がって頭蓋が半ばまで見えているものもあれば、そもそも頭部がないものすらいる。

 そして何よりも肝心なことに。

 その「屍」たちは……命がとうに朽ち果てたはずのそれらは、動いていた。

 火に群がる蛾のように。獲物を嗅ぎつけた肉食獣のように。

 それらは明確な目的意識を持った動きで、東郷たちに向かって押し寄せる!


「どうします、カシラぁ!?」


 涙目で震えるコイカワに、東郷はというと依然として落ち着いた様子のまま――白鞘をゆっくりと握りしめて。


「決まってんだろ。……全員、殺し直してやる」


 言いざま、間近まで迫っていた「屍」の一体を切り伏せようとして白鞘に手をかけ。

 けれどその時だ。


「……!?」


 引き抜こうと白鞘にかけた手から、形容しがたいような……“嫌な気配”が手を伝わってきて。ゆえに東郷は反射的に刀を抜くことを躊躇して、そのまま「屍」の頭部を鞘の尻で打ち据える。

 強烈な一打で頭蓋を砕かれた「屍」はしばらく蠢いていた後……すぐにぱたりと動きを止めて、それきり沈黙。

 するとその光景に勇気づけられたらしい。震えていたコイカワとヤスもまた、各々の獲物を握り直して迫りくる「屍」へと立ち向かう。


「おりゃーーー、ッス!」


 緩慢な動作で掴みかかってきた一体の胴体を、掛け声とともに木刀で打ち据えるヤス。だが当たり具合が甘かったのか、「屍」はそのままの体勢でヤスへと腕を伸ばそうとして――


「吹っ飛べや、こらァ!」


その背後から、雄叫びとともに繰り出されたのはコイカワの金属バット。もともと腐りかけていた「屍」の上半身はその剛打で盛大に下半身とオサラバし、ヤスの顔面にどろついた血飛沫が付着する。


「うげぇ、臭いッス……でも助かったッスコイカワさん、さすがッス!」


「へっへ、中坊の頃は野球部だったからなァ、久々に出ちまったぜ、俺の“豪腕ホームラン”がよ」


 ドヤ顔でふんぞり返るコイカワ。とその後ろから、またもう一体の「屍」が忍び寄っていて――けれどその胴体はリュウジが撃った散弾で爆砕し、コイカワに肉片の雨を降らせた。


「ぼさっとするな。殺すぞ」


「「……うっす」」


 二人を静かに叱咤しつつ、リュウジは立て続けに迫りくる「屍」相手に発砲。破壊力は申し分ないが、しかし壁の中から次々と這い出してくる「屍」たちを前に、徐々に圧されつつあった。

 先ほど屋敷の外で白鞘を抜いた時には何も感じなかったのだが――今になって神主の「なるべく抜かないように」という言葉を思い出して、東郷は白鞘をベルトに差し直すとリュウジに告げる。


「悪い、リュウジ。そのバール貸してくれ」


「うす。……カシラ、どうします。このままだと囲まれますが」


「ああそうだな。だが、敵さんがこんなにご執心なんだ。やっぱり何かあるのかも知れん――ヤス、お前が探せ!」


「探すって何をッスか!?」


「何かだよ、何か! お前霊感あるだろ、何か見つけてみろ!」



 並んで迫る「屍」をバールで打ち据えながらそう告げる東郷に、ヤスはというと途方に暮れながらも、自棄っぱちになって辺りをきょろきょろ見回す。


「何か、何か、何か……仏壇は、八幡さんちのヤツですし……ええ、無茶振りにもほどがあるッスよぉ、もうっ!」


 徐々に包囲されながら、仏間の中央へと追いやられていく四人。その真中で、ヤスはこらえきれずに叫び出すと地団駄を踏み始める。


「あーもう終わりッスよぉ! 俺たちここで死ぬんッス!!」


「るせぇ馬鹿! 情けないこと言ってんじゃねえ――」


 みしみしと畳が軋むのにも構わずに、半狂乱で叫びながら転がり回るヤス。そんな彼に東郷が活を入れようと口を開きかけて――しかし、その瞬間だった。


 ヤスの姿が……忽然と消えたのだ。

いや、正確には「消えたように見えた」だったと、東郷はすぐに理解する。というのも、


「ぎゃあぁああぁぁ、なんスか、なんスか今の、何があったッスか!? 真っ暗ッス!」


ヤスが今しがたいた畳、その畳が半ばから割れて――下にはぽっかりと、木造の階段が伸びていたからだ。

 転がり落ちたことを自分でもよく理解していないらしいヤスの声が、その下の方から聞こえてくる。反響からいって、そこそこの広さの空間があるようだ。

 それが分かれば、迷っている暇はなかった。


「おいお前ら、下に降りるぞ!」


 東郷の言葉に、戸惑いながらもまずコイカワが降りて。それに続いて散弾銃で周囲を散らしながらリュウジが、そして最後に東郷が降りて――そのまま階段を下へと降ってゆく。

 思いの外深い階段だが、下方を見ると恐らくヤスのヘッドライトのものだろう、ぼんやりとした明かりが見える。

 あの「屍」たちが追ってこないかは気がかりであったが、どうやら見た目通り、目や耳はあまり良くはないらしい。

 なだれ落ちてきた数体を殴り飛ばすと、その躯が蓋になって東郷たちを覆い隠したらしく――それ以上追ってくるものはなかった。

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