DAY3-<6>
兵三郎の屋敷を出て、次に東郷が向かったのは隣町の小高い丘の上にある神社であった。
近くの駐車場には八幡氏の車が停まっていた。どうやら無事に、ここまで来ているようだ。
石段を上って鳥居をくぐり、閑散とした境内を見回して――掃き掃除をしていた巫女に尋ねようとすると、東郷の顔をひと目見て先に察したらしい。
指し示された先、拝殿へと上がり込むと、中からヤスの声がした。
「カシラ! ご苦労さんッス!」
「おう。……八幡さんたちは、来てるか?」
「奥で休んでるッス。クソジジ……いや、神主がそうしろって言ったもんで」
すると、ヤスがそう返したのとほぼ同時。奥から玉串が飛んできて、彼の頭にきれいにヒットする。
「誰がクソジジイですか、たわけ」
「いてぇッス……」
奥からゆっくりと出てきたのは、顔にかけた丸い黒眼鏡がすこぶる異様な以外は見るからに神職といった風情の一人の老爺であった。
彼こそがこの神社の神主にして宮司――宮前氏である。
「宮司殿。急に大勢で来ちまって申し訳ない」
「いんや、構いませんよ。神社は詣でるものを拒みはしません。それに……そこの頭の軽いチンピラから、あらましは聞きましたから」
そう言って玉串を拾い上げると、彼は近くに重ねられていた座布団を指差し、ヤスに向かって「ほれ」と指図する。
何か言いたげながらも、玉串がかさりと揺れた瞬間ヤスは「ひっ」と怯えた声を上げ、座布団を三人分取ってきた。
それを敷いて正座する神主。彼に従って東郷とヤスも腰を下ろす。
しばらくの無言で拝殿の外を眺めた後――神主はゆっくりと、口を開いた。
「先ほどいらっしゃった親子さんもそうでしたが、どうやら東郷さん、妙な縁を拾ってきたようですね」
「分かるのか」
「これでも一応、神職の端くれでございますから。……それにこの縁は、昔にも見覚えがあります」
神主の言葉に、東郷は先刻、兵三郎が語った話を思い出した。
「……木藤会か」
「ああ、組長さんからお聞きになりましたか。でしたら話が早い。あの時も先代の組長さんからご相談を持ちかけられましてねぇ……いやはや、懐かしい話です」
「なら神主さん。あんたならあの家族が巻き込まれている『呪い』――なんとか、できるのか?」
そんな東郷の問いに、神主は穏やかな笑顔のまま、
「できると言えばできますが……あまり、ご期待には沿えないかと」
そう返すと、東郷とヤスとを交互に見て言葉を続ける。
「あれは大昔にどこぞの呪術集団が使っていた呪詛でしてね。蠱毒……という言葉をご存知でしょうか。呪詛の成り立ちとしてはあれに近いものです」
「……さっぱり分からん」
「蠱毒ってのはですね、ざっくり言うと虫を狭い匣に閉じ込めて共食いさせて、最後の一匹をタネにして呪いを成立させるっていう呪術ッス」
?マークを浮かべる東郷に、横からそう口添えするヤス。そんな二人を待ちながら、神主はさらに話を継ぐ。
「呪詛の名は、『ムクロイ』と呼ばれていました。語源がどういったものかは分かりませんがね、あまり気持ちのいいモノではないかと思います。この呪詛は、いわば人を使った蠱毒――人間同士を閉じ込めて殺し合わせ、その怨念から呪詛を生み出す呪法ですから」
「人間同士を……」
神妙な表情になる東郷に、神主はゆっくりと頷く。
「当時には呪詛の出どころは分からずじまいでしたが、今回のお話を聞く限り――恐らくその屋敷が、蠱毒で言うところの匣として使われていたのでしょう。私は屋敷を直接見ているわけではないから分かりませんが、きっと何かしら……内側に人を閉じ込めるような仕組みを作って、その中で『ムクロイ』の呪詛を醸造していたのだろうと思います」
「そうやって作られた呪詛が飼い主の手を噛んだ、ってわけか」
「左様です。おおかた人を喰らいすぎて、力が増しすぎたのでしょうね。呪術師本人ですら管理しきれないほどに――はた迷惑な話ですが」
苦笑混じりに言いながら、神主は肩をすくめる。
「ともあれ、そうして呪術師が自滅した結果……放置された呪詛はそのまま檻であり巣である屋敷に留まり、新しく住みついた人間たちに災いを成してきた。一度に殺して食らうのではなく徐々に恐怖を与え、その感情それ自体を餌にしながら」
そんな神主の言葉は、東郷にとっても腑に落ちるものだった。
あの家に住み着いている「何か」……神主の言うところの「呪詛」はほとんど無関係の不動産業者をあっさりと呪い殺したし、東郷だって殺されかけた。
にもかかわらず住んでいる八幡親子は、度重なる不運に見舞われこそすれ命までは取られることがなかった――それはきっと、「餌」として飼い殺されていたから、ということなのだ。
……だが。そこまで説明を聞き終えたところで、東郷は首を傾げる。
「なあ神主さん。そこまで敵の正体が分かってるなら、なんとかできるんじゃないのか?」
「ほっほ、ところがそうもいかないのですよ」
内心を伺えぬ笑顔のまま、神主は指を二本立ててみせる。
「……呪詛を成立させるために必要なのは、『術者』と『触媒』のふたつ。そして解除するためには、基本的には術者本人が正しい手順で儀式を終え、呪詛を異界へと戻すしかありません――今回のように術者が死んでしまっている状態では、私にできることと言えばせいぜいあの親子と呪詛との『縁』を除いて標的から外すことくらいです」
「……呪い自体は、あの家に残り続けるってことか」
「そういうことです」
神主の言葉に、東郷は首を横に振った。
「だから、『できると言えばできる』ってわけか。……そりゃあ駄目だな、論外だ。相手が何であれ、極道に喧嘩を売ってきた奴を野放しにしとくなんざぁ――
「ほっほ、東郷さんならそうおっしゃると思っていました」
東郷の返答にまるで動じた様子もなく……と言うよりは、そう返すだろうことを最初から予想していたような調子でそう告げる神主。
そんな彼に、東郷はその眼光を鋭くしてさらに続ける。
「……神主さんよ。あんたがわざわざそんな持って回った言い方するってことは、他にも何か手があるんだろ?」
「ええ、まあ。ですが――少しばかり乱暴なやり方ですが」
「いい冗談だ、神主さん。俺らを何だと思ってるんだ?」
口角を持ち上げて呟く東郷に、神主は座り直して一度咳払いをした後、こう続けた。
「先ほども申し上げた通り、呪詛を成立させる要素は『術者』と『触媒』のふたつ――そして今回はすでに術者が死んでいるから、儀式を正しく終わらせることはできない。ですが呪詛が現世に降り立つための依代である触媒を壊すことができれば……呪詛はこの世に存在できなくなります」
「なんだ、簡単じゃないッスか」
横合いから口を挟んできたヤスに、神主は「たわけ」と玉串を投げつけて続ける。
「……失礼、話を続けましょう――あれが言ったように単純な話ではないのです。触媒は、呪詛を成立させるための核そのもの……それゆえにあの屋敷のどこか、見つかることのない場所に隠されているはず」
「奴さんに襲われながら、そいつを見つけ出してぶち壊す……ってわけか。上等じゃねえか」
にぃ、と笑みを浮かべながら、東郷は即断して立ち上がった。
「ヤス。すぐに準備しろ、あの家に戻るぞ」
「マジッスか!? コイカワさんもあんなんなってますし、めちゃめちゃ危なそうじゃないッスか!」
「うるせえよ。お前も極道の端くれだろうが、グダグダ言うんじゃねえ。分かったら先に一度事務所戻って、『戦争』する準備整えてこい」
慌てふためくヤスをそう一喝し、彼が飛んで出ていくのを見送った後――東郷は神主に向かって一礼する。
「恩に着る、神主さん。……悪いが、八幡さん親子とコイカワは、今日だけここで匿っておいてくれ」
「ええ、大丈夫ですよ。この神社にまではあれも易易とは入ってはこれませんから」
にこにこしながら頷く神主に頷き返して、東郷もまた拝殿を後にしようとして。
と、その時。拝殿の奥から、呼びかける声が響いた。
「……ねえ、ちょっと」
振り向いて見ると、そこに立っていたのは美月である。彼女の表情は、気丈そうながらもどこか不安げで――どこか戸惑うような色をたたえた瞳のまま、彼女は東郷を見つめて言葉を続ける。
「話……聞いてたんだけど。なんであんたが……私たちのために、そこまでしてくれるの」
そう問う彼女に、東郷は無造作に首を横に振る。
「君らのためじゃねえよ。こいつはな、極道のメンツの問題だ。……散々舐められっぱなしのままで尻尾巻いて逃げ帰ってちゃあ、指がいくつあってもケジメをつけられねえ」
「でも、相手は人間じゃないのよ!? さっきみたいに、どんなことをしてくるかも分からない……そんな相手に挑むなんて、正気じゃないわ」
思わず声を荒げて言う美月。そんな彼女を正面から見返して、東郷は――「はっ」と肩をすくめて鼻で笑った。
「正気……正気ね。当たり前よ、正気の沙汰じゃあ任侠は務まらねえ。命なんざあ投げ捨てて、運良くまた拾えりゃあそれで良し。それが極道の生き筋よ」
牙を剥いて凄惨な笑みを浮かべる東郷に、美月は圧倒されたように後ずさって。
「……バカみたい」
けれどその場で踏みとどまりながら、視線を逸らすこともなく、東郷を見つめ返してこう告げた。
「極道だかなんだか知らないけど。そんな自己満の美学で勝手に死なれたら、私の寝覚めが悪いのよ。……だから、死ぬなら私たちの家じゃなくて。私たちと何の関係もない場所で、何の関係もないことで、勝手に死んで頂戴」
あくまでぶっきらぼうなその言葉に、東郷は目を丸くして。それからやがてひどく愉快そうにくっくっと笑うと、大きく頷いて続けた。
「美月ちゃん。やっぱり君は、
「うっさい。いつか死ね、クソヤクザ――でも今回は、死ぬな」
吐き捨てるようにそう言った後、そのままくるりと踵を返して奥の間に戻っていく美月。
そんな彼女を見送る東郷の隣で、神主が「ほっほ」と笑った。
「大したお嬢さんですなぁ。うちのバカ孫も、あのくらいに度胸があれば良かったのですが」
「そう言いなさんな。ヤスもあれで、なかなかのもんさ」
「ほっほ、そう言って頂けるとありがたい――ああ、そうそう」
そう言いながら東郷に向かって小さく一礼してみせた後、神主はいつの間にか小脇に持っていた、細長い包みを東郷へと差し出した。
純白の布でくるまれて口を注連縄で結ばれた、およそ一メートル程度の包み。受け取ってみると、ずしりと重い。
「せっかくです、こちらをお持ちになって下さい」
「何だ? こいつは――」
言いながら包みをほどいて中身を取り出したところで、東郷は無言のまま、目をわずかに見開いた。
そこに入っていたのは――鍔のない白鞘の日本刀。鞘には厳重に、何重もの御札と縄が巻きつけられているが……握った柄の感触だけで、東郷はすぐに察した。
「俺の白鞘か。親父殿のところに、預けていたはずだが……」
元々は兵三郎から直々に渡された逸品である。以前の大規模抗争の際には刃こぼれひとつすることなく百人以上の血を吸い、その後は再び、忠義の証として彼に返納した――そのはずだった。
「その組長さんから、お清めをしておくよう頼まれましてね。こちらで安置していたのですが――今回のような状況であればむしろ、持っていった方がお役に立つでしょう。……ああ、安心して下さい。東郷さんにお渡しすることは、組長さんも了承済ですから」
「そうかい。じゃあ、遠慮なく貰っていくぜ」
かつては組と敵対する者を斬り刻んだ刀である、今回の一件でも、得物としては申し分ないだろう。
「……ああ、ただ」
「?」
「お渡ししておいてなんですが……なるべくならそのまま、抜かずにおくのが一番かとは思います」
「何だそりゃ……まあいい、ありがとうな神主さん。世話になった」
神主の奇妙な忠告にとりあえず頷くと、東郷はもう一度神主に向かって深く頭を下げて――それから今度こそ、拝殿の外へと歩き出した。
向かうは八幡邸。今は呪詛が棲み着き、この世にありてこの世ならざる境界となりつつある場所也――
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