DAY3-<5>

 車を走らせて、その日の午後。

訪れたのは隣町の高級住宅地の外れ。広大な敷地に鬱蒼と茂る竹林を擁する、周囲から隔絶された佇まいの屋敷だった。

 敷地を囲む高い塀、「経極」の表札が掲げられた門構えから中に入り、警備の組員に導かれて飛び石を踏みながら進んでゆく。

 すると――案内された先。庭先の池へと向いた縁側で、和装の老爺があぐらをかいて座っていた。


「よう、兵坊」


 にかり、と快活な笑みを浮かべて見せた白髭の老爺――代紋入りの羽織を背負ったその人物に、東郷は深々と頭を下げる。


「ご無沙汰してます、親父殿。……今日は急に押しかけちまって、すいませんでした」


「構わねえよ。お前は俺の息子みてぇなもんだ、むしろもっと顔出して貰いたいくらいさ」


 肩をすくめながらそう告げると、彼――経極組の現組長、経極兵三郎ひょうざぶろうは「上がれ」と東郷に言い渡して奥の座敷へと入っていく。

 後について座敷に上がった東郷が机を挟んで正座するのを見届けると、兵三郎は「さて」と再び口を開いた。


「今日来たのは、どういう用件だ。……お前のことだ、ただ俺のツラ拝みに来たってわけでもねえだろ」


「……ええ。ですが、ちいとばかし言いにくい話で」


「俺とお前の間柄で、言いにくい話もなにもねえだろ。どうした、誰か殺っちまったか?」


「そういうわけではないんですが」


 軽い調子で問うてくる兵三郎に首を横に振ると、東郷はしばしの沈黙の後、これまでのいきさつを説明する。

 組員たちの取り立てようとした、街外れの屋敷。そこで起こる怪現象、そして家を売りつけた不動産業者の不審死。現場に残された、代紋への狼藉。

 あらましをざっと聞き終えると――兵三郎は「ふぅむ」と唸って、顎髭を撫でながら顔のしわを深くした。


「それで、俺んところに来たってわけか」


「……すんません。迷信じみた話なのは、俺も重々承知なんですが」


「いや、いいさ。飛ばした指のお清めだの、地鎮の祭り事だの――俺らの世界は、むしろその手の縁起は信じるし、担ぐ方だ。それに」


 言いながら兵三郎は、その目を鋭く細めて深いため息をついた。


「不動の坊主の読みも悪くねえ。お前の話に出てきた屋敷――ちょいとばかし心当たりもある」


「本当ですか」


「ああ。ただ……聞いたところで役に立つかどうかは、分からんが」


 そう前置きをして、兵三郎は葉巻を一本取り出す。東郷が取り出したライターで火を点けると、彼はゆっくりと葉巻をくゆらせながら静かに話し始めた。


「まずは……そうだな、お前が抱えてる案件のその屋敷な、そこは昔……そうさな、もう二十年近くは前になるが、あるヤクザの組長の家だったんだ」


「ヤクザの?」


「木藤会ってぇ連中でな。今はもう組ごと消えてなくなってるから、お前が知らないのも当然だろう――だが当時はこの辺りでも結構な勢力だったからな、うちともよくやり合ってたのさ」


 そんな兵三郎の話に、東郷は眉根を寄せる。それだけの組がひとつ潰れるというのは、ただ事ではない。


「そいつら今はどこに? うちの組に吸収されたとか、そういうお話しで?」


 尋ねた東郷に、けれど兵三郎は首を横に振ってこう返した。


「いいや。消えたのさ。……組長の屋敷で、主要な構成員三十名余りが全員、お互いに殺し合って死んでいた――そう聞いている」


「……なんですか、そりゃあ」


 兵三郎の話でなければ、馬鹿げた話と一蹴したくなるような内容だ。だがしかし、それは東郷自身の話とて同じこと。

 馬鹿げたことが、今まさに起きているのだ――今さら常識を物差しにしたところで、何になろう。

 そんな東郷の胸中をよそに、兵三郎は葉巻の煙を吐きながらさらに続ける。


「当時のサツの検分では、組内部での利権で揉めて仲間割れした――そういうことになったそうだが。だがな、俺たちの間では、あの一件は『呪い』のせいだって言われてた」


「呪い、ですか?」


「ああ。さっき言ったように、連中はうちの組も含めて色んなところと抗争を繰り返していたんだが……その中で、ちょくちょく妙なことが起きていたんだ」


 剣呑な表情で、当時を思い出すように目を細めながら――兵三郎は己の首を親指で掻っ切るようなジェスチャーをしてみせた。


「組員がな、突然何かに取り憑かれたみてぇにてめえでてめえの首をかっさばいてよ。それでそこから飛び出した血で、組の代紋を壁なり床なりに書きなぐって死ぬんだ。……そういう事件が何件もあって、何人も死んだ。どいつもこいつも、木藤会と揉めてる奴だ。連中は何か、そういう呪いめいた真似で敵対してる人間を暗殺している――まことしやかにそんなことが言われていたよ」


 兵三郎の告げた内容。その死に方は、つい先ほどに見たあの不動産業者のものと酷似しているように思われた。

 奇妙な符号の一致に東郷が口をつぐむ中、兵三郎はさらに続ける。


「実際、連中は定期的にあの屋敷に祈祷師みてぇな奴らを招いて儀式みたいなことをしてたらしくてな。だから連中があの屋敷で死んだのは、呪詛が失敗して跳ね返ったせいだ――なんて言う奴もいた。……あの頃は話半分で聞いていたが、兵坊。お前の話から考えると、あながち間違っちゃいなかったのかもしれん」


「……つまり、その時の呪いがまだ、あの家に残ってるってことですか?」


「俺も宗教屋じゃねえから、断言はできんがな。今の状況を考えれば――」


 神妙な顔で頷いて、それから兵三郎が葉巻を灰皿に入れようとした……その時だった。

 机の上に置かれていた、ガラス製の灰皿。その中央にびしり、と亀裂が走って、いきなり真っ二つに割れる。

 それだけではない、同時に木製の重い机が、縁側と部屋とを隔てる障子が枠ごとがたがたと震え出し、異様な空気が辺りを包み始める。


「親父殿」


「案ずるなよ、兵坊」


 わずかに眉を跳ね上げながらも動じることなく割れた灰皿を見つめて、兵三郎は葉巻を手で握りつぶすと縁側を見た。

 何も、いない。だがその虚空を鋭く睨み、兵三郎はドスの利いた声で呟く。


「どうした、この程度の手品が関の山か――あぁ?」


 その一言だけで、東郷ですら圧倒されるほどの気迫が全身から噴き出していた。

 荒くれ者の極道どもを束ねる、「暴」の権現。近寄るだけでも心臓を握り潰されたように錯覚しそうな、それはもはや自然災害のそれにも似た何か。

 視覚として見えるわけではない。だが二種類の空気がぶつかり合い、乱流を起こし――まるで猛獣が組み付き合い、暴れ回るかのようなひりついた気配だけが部屋中を駆け巡って、やがて止む。

 東郷も、兵三郎も一歩もそこから動くことなく。

 けれど何かが、確かにそこで起きようとして――そして、終わっていた。


 辺りに満ちていた殺気が鳴りを潜めたところで、兵三郎の表情から険が取れ、ゆるりとした笑みを浮かべる。


「……やれやれ、どんなもんかと思ってみれば――尻尾巻いて逃げやがったぞ、他愛もねえ」


「御見事です、親父殿」


 騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた組員たちに「塩持ってこい塩」と指示を飛ばしながら、兵三郎は新しい葉巻をくわえて肩をすくめた。


「さて、兵坊よ。これからどうする? ……組の代紋を愚弄して、組長である俺にまでちょっかいかけにきたこのくそったれな相手を――経極組若頭として、お前はこれからどうする?」


「当然のこと。叩きのめして、ケジメをつけさせてやります。……相手が何だろうが関係ねえ。これは俺たち極道の、メンツの問題ですから」


 間髪入れずに返された東郷の答え。その返事を受けて頷くと、兵三郎は煙を吐いて口角を歪めた。


「左様。じゃあ、行って来い――不届きなくそったれに、指定暴力団の『暴』」の字を分からせてやれ」

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