DAY3-<3>

 ……そうしてさらにしばらく歩いていた頃のことだった。

 再び静寂を割ったのは、やはりコイカワの言葉だった。


「……なァ、仏間に行くだけでよぉ、歩きすぎじゃねえか……?」


 そんな彼の言葉に、東郷も頷く。

 疲れたわけではないにしろ、「家の中」というにはあまりにも長い時間、歩き続けているような――言われてみれば確かに、そんなふうに思えた。

 だが腕時計を確認して、東郷は眉をひそめる。


「……おいおい、もう三十分近く歩いてるぜ。どういうことだ、こりゃあ」


 代わり映えのしない内装、外の見えない廊下。それゆえに時間感覚が狂っていたせいもあるだろうが――それにしたって単なる家の中でこんなに歩き続けているというのは、異様である。

 いくら広めの屋敷とはいえ、さすがに城のような豪邸というわけではない。廊下の端から端まで歩いたとしてもせいぜい一分程度で横断できる程度だったはずだ。


「美月ちゃんよォ、もしかしてものすげェ方向音痴とかじゃないよな?」


「そんなワケないでしょ。一応これでも自分の家なんだから、どこに何があるかくらい分かってるわよ。分かってるけど……」


 言いながらも自信を失いつつあるのか、徐々に小声になりながら彼女は周りを見回す。


「……なんなの、これ。ここ、さっきあんたたちと会った場所じゃない」


 そんな彼女の発言で、東郷も初めて気付く。廊下と廊下が交差した、辻の真ん中。そこは美月とぶつかりかけたあの場所と確かに相違ないように思えた。

 だが――


「……そんなバカなことがあるかよ。見間違いじゃないのか」


「いいえ。だってほら、あそこにカレンダーが下がってるでしょ」


 そう言って彼女が角の柱を指差すと、確かにそこには見覚えのある猫の写真入りのカレンダーが吊るされていた。


「……この廊下に閉じ込められたってことか? こりゃあまた、妙な真似をしてくれたもんだなオイ」


 あまりのことに呆れ笑いをこぼす東郷に、美月は不安げな表情を浮かべる。


「閉じ込め……って。そんなこと、流石に今まで起きたことないわよ! 何でこんな――」


「さあな。ひょっとしたらこの家にいる『何か』は俺のことが気に入らんのかもしれん。昨日だって殺されかけたしな」


 冷静に呟いて、東郷は廊下の向こうを睨む。

 襖と柱だけがどこまでも、延々と続く廊下――ため息を軽くつく東郷の横で、コイカワが引きつった笑いを浮かべながら周りを見回した。


「……ろ、廊下に閉じ込められてるなら、部屋に入ってみればいいんじゃないっすか? ほら――」


 そう言って彼は手近な襖に手をかける。だが、唸りながら襖を押したり引っ張ったり、挙句の果てには体当たりしてみたりしても、びくともしない。

 それゆえに……彼は冷や汗を浮かべながら、切羽詰まった顔でへたり込むと。


「……う、ひェ……何だよ、これぇぇぇえ!!」


「おい、コイカワ!」


 いきなり混乱した様子で叫び出して、呼び止める東郷も無視して廊下を全速力で駆け出していってしまった。

 すぐに後を追いかける東郷と美月だったが、彼が曲がったはずの角で進行方向を見て、立ち尽くす。

 代わり映えのない廊下。けれどコイカワの姿は忽然と、消えてしまっていたのだ。


「コイカワ! どこにいる!?」


 東郷の呼び声はがらんどうの廊下を反響して、けれど返ってくる声はない。


「……嘘、でしょ……?」


 青い顔をする美月の側から離れないようにしながら、東郷は舌打ちをこぼして意識を周囲に張り巡らせる。

 するとその時――背後で床板が軋む音が聞こえて。

 二人が振り返るとそこに、コイカワが立っていた。


「……ちょっとパンチパーマ、こんな時に脅かすんじゃないわよ! もう――」


「待て」


 彼に近寄ろうとした美月を手で制して、東郷はコイカワをじっと睨む。

 先ほどの取り乱した様子と打って変わって静かに、うつむき加減でぼんやりと立ち尽くす彼。それは普段の様子とも違う――故に何かがおかしいと、東郷の本能が警鐘を鳴らして。

 その時だった。


『――ゆる、さ、ない』


 コイカワの口が動いて、紡ぎ出されたはずの言葉。けれどその声は普段の彼のものとはまた違う……しわがれた老人のそれのようだった。


『ゆる、さナい。でて、いけ。わた、シの、もの――し、死、歯、の、モノ――』


 電波の悪いラジオみたいな途切れ途切れの声を吐き出しながら、顔を上げたコイカワ。

 ……白目を剥いて血の涙を流したその顔を直視して、美月が悲鳴を上げ――それと同時にコイカワが、絶叫とともにこちらへ向かってきた。


『―――――――――――――――――――!!!!!!!!』


 いつの間に持っていたのか、その手には出刃包丁が握られている。突き出されたその刃先が美月へと向かって――けれどその寸前でなにかに刺さって止まる。

 ……東郷の、左手の小指だった。


「っ……!?」


「この、バカ野郎!」


 瞠目する美月の目の前で、東郷は小指に深々と突き刺さった包丁、その柄をコイカワの手ごと右手で握ると、彼の手をひねり上げて包丁を奪い取り、壁に突き立てる。


『が、ァあああぁァ!!』


「何だ、この力……! どうしたってんだ、コイカワぁ!」


 凄まじい力で振りほどこうとする彼を押さえつけながら叫ぶ東郷に、美月が青ざめた顔のまま呟く。


「もしかして、その人、取り憑かれてるのかも……」


「取り憑かれてるだと? ……なるほど、なら――」


 東郷は何を思ったか、コイカワを押さえつけたまま……いきなり渾身の力でもって彼の顔面を殴りつける。

 手加減抜きの、完全に「殺す気」のパンチである。ごきり、とイヤな音がして、コイカワの鼻っ柱が歪んだ。


『う、ぐォォ……!?』


 殴られたせいだろうか、激しく暴れていたコイカワの動きがわずかに鈍くなる。そこでもう一発、東郷の拳が今度はそのみぞおちに深くねじ込まれた。


『ごっ、おッ、ふゥッ……』


「ちょっとあんた、何やってんの!?」


 いきなり目の前で始まった蛮行に別の意味で顔を青くする美月。コイカワの上に跨りながら、東郷は彼女を一瞥して何食わぬ顔で返す。


「こうすれば、意識を取り戻すかと思ったんだが」


「その前に死んじゃうわよ!?」


「その時は、その時だ。ビビって逃げ出した上に化け物に取り憑かれるなんざ極道の面汚し、死んだ方がマシだとコイカワも納得するだろ」


 ひたすら真顔でそう返した後、彼はもう一発、みぞおちを殴りつける。

 くぐもった呻き声とともに、コイカワの口から吐瀉物が吹き出した。


『ぐ、ォ、お。い、タ、い――』


「お、痛がってるな。こいつはいいや」


 ごきり。


『う、ガ、あぁア……出て、イ、け。こノ、イエ』


「うるせえ」


 べきり。


『がァ…………』


 べき、ごき、ずしゃり。


 色んなものを吐き出したり漏らしたりしながら次第に動かなくなっていくコイカワを見下ろしながら、東郷はあくまで無感動な表情のままで小さくため息をついた。


「まだ出ていかねえみたいだな。……こうなりゃこの手に限る」


 言いながら彼が懐から取り出したのは、短刀。すでにぐったりとしてもはや暴れることすらなくなったコイカワ――その左手の小指の付け根を、これまた取り出した輪ゴムで手慣れた所作で縛ると、彼は短刀を握りしめて呟く。


「じゃあ、詰めるか」


『~~~~~~~~~~!!?????』


 無造作に、東郷の短刀が振り下ろされようとしたその瞬間。

 ふっと、周囲の空気が変わったような感覚がして――彼はその手をぎりぎりのところで止めた。


「……あれ、俺……痛え、なんかすげえ全身が痛ェ……!?」


「コイカワ。コイカワなのか?」


 呼びかけた東郷に、コイカワは血まみれの顔で――と言ってもほとんど殴られて出た鼻血なのだが――こくこくと頷いた。


「そ、そうですよォカシラ……って、ひぃぃ!? なんすかその短刀!」


「いやな、お前がなんか取り憑かれてたみてぇだから、除霊してやろうと思ってな」


「それでどうやって除霊をッ!? ……っていうか、取り憑かれてたって――あいてて、ひょっとして顔とか全身がボコボコにぶん殴られたみてェに痛いのも、取り憑かれてたせいなんスか!?」


「だろうな」


「この小指の感覚がないのも……!?」


「ああ、間違いねえ。幽霊だかなんだか知らねえが、許せねえな……」


 言いながらさり気なく小指の輪ゴムをほどきつつ短刀をしまう東郷。

それから彼は手近な襖を開けて、すると――


「おや、東郷さん……って、そちらの方はどうしたんですか!?」


 開けた襖の中は居間だったらしい。中でテレビを見ていた八幡氏がびっくりした顔でコイカワを見て、「救急箱、救急箱」とあたふたしながら戸棚へと駆けていく。

 その光景を見て、東郷と美月は顔を見合わせた。


「……出られた、みてぇだな」


「信じられない……」


 しばらくそうして呆けていた美月だったが、やがてはっとした顔で東郷へと向き直ると、おもむろに彼の手を取る。


「そうだ、さっきあんた、手――」


「ああ、別にどうってことねえよ」


「どうってことないわけないでしょ、かなり深く刺さって……って、あれ?」


 左手の小指。手袋は破れていたがしかし、そこから血が流れている様子はない。

 戸惑う美月の前で東郷が左手の手袋を外すと――その小指は、根本から木製の義指にすげ替わっていた。


「昔にケジメつけた時に落としてな。刺されたのがここで運が良かったぜ」


「……はあ、心配して損した」


 げんなりしながらそう呟き、疲れたようにその場で座り込みながら――彼女は顔を背けてぽつりと呟く。


「……でも、ありがとう。庇ってくれて」


「ん? なんか言ったか」


「なんでもない」


 そんなやり取りをしている間に、救急箱を持った八幡氏が戻ってきてコイカワの手当てを始める。

 それを眺めていた東郷の携帯電話に、その時着信が入った――表示を見ると、リュウジからだ。


「どうした」


『不動産業者んところに来ていたんですが……ちょいとばかし、困ったことになりまして』


「困ったこと?」


 訊ね返す東郷に、リュウジが珍しくため息混じりにこう返した。


『……その家を売っていた業者が殺られていて。そのせいで今、サツに引き止められちまってるところなんです』


「何だと?」


 思わず訊き返す東郷。すると電話の向こうでリュウジは誰かと何やら言い合った後、


『……すいません、カシラ。申し訳ありませんが、一旦切ります』


 それきり通話は途切れて、東郷は画面を見つめたまま眉間のしわを深くする。


「何だってんだ、一体……」


「どうしたの?」


 心配げな表情で尋ねてきた美月に、東郷は肩をすくめながら返す。


「リュウジの方で何かあったらしくてな、ちょいと出ねぇといけない。……美月ちゃん、君は親父さんとコイカワと一緒にこの家を出ろ」


「出ろ、って言われても……どこに行けば」


「俺らの組がよく使ってる神社がある。場所はコイカワに案内させる――今ヤスを行かせてるから、話は通ってるはずだ」


「でも……」


 何か言いかけた美月であったが、しかし東郷の厳しい表情を見て何かを察したらしい。

 頷くと、父親たちの方へと駆けてゆき――その前にもう一度振り返って、東郷に告げる。


「……ありがとう。あんたも気をつけて」


「おう」


 そう返すと東郷は、玄関へ向かって歩き出す――

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