DAY2-<2>

 それは日付をまたいで、深夜一時を過ぎた頃のことだった。


「……?」


 眠りについていた東郷の意識を、彼の体に染み付いた「闘争」の血が無理矢理に揺り起こす。

 意識に先行する反射。敵意に対する防衛機制。かつて繰り返された抗争の中、幾度となく死線を超えてきた彼の体には――「考えるより先に動く」という本能が刻み込まれていた。


「……ったく。何なんだ」


 舌打ちしながら身を起こして、周囲を見回す。すると……まただ。また客間の襖が数センチほど、不自然に開いていた。

 耳を澄ますが、物音は聞こえない。住宅街の外れ、もともと人気のない場所とはいえ不自然なほどに――まるで周囲から隔絶されているかのように、静かすぎるように思える。


「――考えすぎか」


 どうやら自分も、少なからず周りの連中の影響を受けていたらしい。浮かんできた下らない思考を振り払いながら、東郷は煙草を持って庭に出た。

 都内だというのに暗い、暗い空。青みがかった月の光だけが不気味なほどに明るく降り注ぐ下で、紫煙が空に上る。

 ふと思い立って東郷は、朝方に蛾の死骸があった庭木の辺りへと足を運ぶ。特に意図があってのことではないが――なんとなく。


 すると、丁度その時のことだった。

 

 視界の端に、何か――動くものの姿を捉えたのは。


「……?」


 都内だというのに随分と立派な、広い庭。見えた「何か」は庭の角を曲がって、どうやら玄関の方へと行ったようだった。

 何か確証があったわけでもない。だが東郷は野生の勘でその後を追って、玄関の戸の前に立つ。

 ……何もないし、何もいない。

 だが――べっとりと全身に張り付くような、ひりつくような敵意を、東郷は感じ続けていた。


「誰だ、どこに隠れてやがる。朝の気味の悪いいたずらも、てめえの仕業か? ……コソコソしてねえで、出てきたらどうなんだ、おらァ!」


 吠えるように啖呵を切った東郷。しんと冷えた夜の空気をその叫びが震わせた――その数秒ほど後。

 東郷が首をわずかに捻ったのは、完全に直感での動きだった。

 だが、それが功を奏した――そうしなければ一瞬後に飛んできた「それ」が、彼の左目に突き立っていただろうから。


 たぁん、と乾いた音を立ててすぐ後ろの木戸に突き刺さった「それ」を見て、東郷はわずかに眉をひそめる。

 ……「それ」は、出刃包丁だった。

 よく研がれた刃先が半ばほどまで木戸に突き刺さっているその有様を横目に、東郷はしかし冷や汗ひとつ流さず、煙草をくわえたまま正面を見据える。

 これだけ深々と刺さるほどの力で投げられたのならば、当たっていれば致命傷にすらなり得ただろう。

 だが――その程度、拳銃の弾が飛び交う抗争の真っ只中では別段不思議なことでもなければ、怯えるようなことでもない。

 それよりも今大事なのは、「誰が」あるいは「何が」それをしたのかということだ。


「カシラ、今のは――」


 東郷の怒号を聞きつけたのだろう。駆けつけたリュウジたちは玄関扉に突き立った出刃包丁を見て、血相を変える。

 だが当の東郷はと言うといたって冷静な口調で、彼らに向かってこう告げた。


「ヤス、コイカワ。お前らは念のため、八幡さん親子が無事か確認してこい」


「は、はい……! っていうかカシラ、何があったんスか一体……」


「なぁに、大したことじゃねえよ」


 ヤスに向かってそう答えながら、東郷の視線は目の前の闇を睨み続ける。

 包丁が飛んできたはずの方向。けれどそこには、何もいない。


 だが――いたとすればその相手は紛れもなく、東郷の命を狙いに来ていた。

 少なくとも今分かることはそれが全てで。

 だからこそ、そのシンプルな事実に、東郷は口元を歪めて笑う。


「どうやら喧嘩を売られたらしい。だから俺も買うことにした――それだけだよ」


 相手がなんであれ、それが彼の住む世界における絶対のルールだ。

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