第32話 イチとゼロの話〜終わり〜
ゼロは私にたくさん教えてくれた。言葉では言い表せない程、目には見えないものもたくさんくれた。
だから私はゼロを助けたかった。守りたかった。
******
ゼロは仕事がある日はいつも働いている。
今日も働きに行っていて私は一人。
私も働きたかったけど今日は出来そうな仕事がなかったからいつもの場所へと帰る途中、何となく歌った。
ゼロの国の歌を、ゼロの国の言葉で。
『あらお嬢ちゃん、随分お歌が上手なのね』
そう声をかけてきたのは綺麗なお婆さんだった。
『こんにちは。この歌も、言葉も、ゼロが教えてくれたの』
『まあそうなの。私は旅行でここへ来たのだけど、ここはいい国ね』
少し話していたら、お婆さんの旦那さんという人が来た。
『うふふ、お嬢ちゃんありがとうね。おかげであの人が戻ってくるまで退屈せずに済んだわ』
『私も、ありがとう。この言葉で話すのは楽しかったし、嬉しかった』
『いい子ね。そうだわ、付き合ってくれたお礼にこれを受け取って』
そう言ってお婆さんが私の手に乗せてきたのは銀貨一枚。
お金のことはまだよく分からないけど、これは明らかに貰いすぎだっていうことは分かる。
『こんなには貰えないよ。だって私、そこまでのことやっていない』
『いいのよ、貴方のおかげで楽しい時間がすごせたのだから』
困ってお婆さんの旦那さんの方を見ると、その人からもお礼を言われてお菓子まで貰ってしまった。
結局銀貨一枚とお菓子を貰い、ゼロに教えてもらった丁寧なお辞儀をしてお礼を言ってお婆さんと旦那さんとは別れた。
捨てられていない綺麗な食べ物は初めてで、ちょっと嬉しかった。
ゼロは捨てられた物を食べる時いつも困ったような顔をしていたから、きっとゼロは喜んでくれる。
そう思うと、早くいつもの場所に帰りたくて走った。
いつものようにいつもの路地裏に入ったら、いつもはいない人達がいた。
私と同じぐらいの歳の子達が数人と、真ん中にいるのは少し歳上の赤髪の男の人。
その人達はこちらを見てニタニタと笑っている。
怖い。
すぐに引き返して逃げたいけど、一歩後ろに下がったら向こうも一歩近づいてくる。
走れば間に合う?
ダメ、この人達はきっとどこまでも追いかけてくる。
いつもの場所にまでついて来られたらゼロが危ない。
何も出来ずにいたら、赤髪の人が目の前にまで近づいていた。
「よお、お前さっきババアから金貰ってたよな」
思わず首を横に振った。
その後の記憶は、ない。
******
「イチ! イチ!!」
ゼロの声が聞こえる。
目を開けたいのに何故か開かない、ゼロの姿が見えない。
「ゼロ……? ゼロ、何処?」
「イチ、僕はここにいるよ。無理に目を開けようとしなくていいから、大人しくしてて」
手を伸ばしてゼロを探したら急に抱きしめられて、そのまま冷たい何かが顔に触れてようやくジンジンと痛みを感じるようになってきた。
そして何があったかも思い出した。
「ゼロ……ごめん。お金取られちゃった、お菓子も……ごめん」
「そんなの気にしていないから謝らないでよ……お願い……」
やっぱりゼロの顔は見えなかったけど、泣いているような声をしている。
ゼロの顔を見れるようになったのは、それから三日後だった。
まだ少し周りは見にくいけど、痛みはほとんど感じない。
私を殴った男の名前はアントンと言うらしい。ゼロが教えてくれた。
「あいつには気をつけて。あちこちで盗みをしたりお金を巻き上げたりしているらしいから」
「ゼロは? 大丈夫?」
「うん……今のところは。でも今のままだと危ないから寝る場所を変えよう。寝ている間にお金を取られたり、何処かに連れて行かれたりしたら大変だもん」
今度の『いつもの場所』は街のはずれにある大きな木の上になった。
木登りは私もゼロも初めてで、頑張って上まで登ったらお互いあちこちに擦り傷ができていた。
「ここで寝るの? 落ちたら危ないよ……」
「でも道やそこらの箱の上も違う意味で危ないから、ここが一番安全なんだ。大丈夫、イチが落ちそうになったら僕が引っ張り上げるから」
「それなら私はゼロが落ちそうになったら引っ張り上げるね」
「ふふ、じゃあお互い落ちないように見張りあおう」
「うん。こういうの、お揃いって言うんだよね」
「うーん? ちょっと違うかな」
最初は怖かった木の上も私はすぐに慣れて大丈夫だったけど、ゼロは何度も落ちそうになっていたからその度頑張って引っ張り上げた。
******
その日はいつもより少し騒がしい日だった。
ゼロは仕事がなくて朝からずっと一緒にいてくれたけど、その騒がしさが気になるのかずっとそわそわしているように見える。
「ゼロ、どうしたの? 大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど……何だか嫌な予感がするんだ。イチ、今日はもう木の上に戻ろう。食べ物はあんまり集まっていないけど、今日だけだから我慢出来る?」
「大丈夫。ゼロが言う事に間違いなんてないもん、早く帰ろう」
そう言ってゼロと手を繋いでいつもの木へ帰ろうとした時だった。
「泥棒を見つけたぞー!!」
そんな叫び声と同時に泥の塊がゼロと私にぶつけられた。
「こっちだ!! 泥をつけている奴が犯人だ!!」
「泥? え?」
「イチ!! このままじゃマズイ! 早く逃げよう!!」
ゼロが手を引っ張って走ると同時に鎧を着た人達が追いかけてきた。
そして私達を指差し泥棒だと叫ぶ赤髪の男。
アントンだ。
アントンはこちらを見てニタニタと笑いながら今も私達を泥棒だと叫んでいる。
「ゼロ、何、どういう事?」
「説明は後! 今はとにかく逃げなきゃ!」
ゼロは必死に走って逃げているけど、何で?
ゼロも私も、盗みなんてしていない。
なのに、何で?
分からないけれど、このまま捕まるのは危ない気がしたから私も必死で走った。
けれど鎧の人達はどこまでも追ってくる。
「イチ、このままじゃダメだ。二手に別れよう、イチはいつもの木の所に行って。僕は違う所に逃げるから」
「でもっ……」
「大丈夫だから。イチは次の角を曲がって、僕はこのまま真っ直ぐ行く」
「ゼロ……ちゃんと逃げ切ってよ。私も逃げ切るからっ」
ゼロの返事を聞く前に曲がる角が見えてきて、言われたとおり私はそこを曲がった。
そのまま何も考えず必死に走って、いつもの木の所に着いた時には誰も追いかけていなかった。
逃げ切れたと安心して、後はゼロを待つだけだった。
なのに、いつまで待ってもゼロが来ない。
夕方になっても夜になってもゼロが来ない。
朝までずっと待っていたけど、ゼロは現れなかった。
「ゼロ、どこ?」
いつもの路地裏にも何処にもいない。
少し怖かったけど、街の表通りに出てみた。
鎧の人達は私を見ても追いかけて来なかったけど、その理由はすぐに分かった。
街の一番大きな広場にゼロがいた。
ゼロは広場の中央に、大きな分厚い木の板に頭と手だけを出して拘束されていた。
「っゼロ!!」
「……イチ?」
急いで駆け寄ったゼロの顔は、顔だけじゃなく髪も茶色い泥で汚れている。
「ゼロ、何で? 逃げれたんじゃなかったの?」
「イチ、触っちゃダメ! 早く逃げて!!」
「ゼロ?」
話すゼロの口からはボタボタと茶色い固まりが落ちてきて、そこでようやく気づいた。
茶色いコレは泥なんかじゃない。
思わず一歩下がったけど、すぐに戻ってゼロの顔を服の裾で拭いた。
髪も顔も、とにかく少しでもコレを落としたくてひたすら拭いた。
拭いていて、涙が出てきた。
ボロボロに泣きながらそれでも拭いていたらゼロが「もういい」と止めてきた。
「イチ……僕はもういいから」
「何で、何でっ! ゼロは何にも悪い事していないじゃない! なのに何でこんな目にあわなきゃいけないのっ!」
「……アントンが、衛兵からお金を貰っているのを見た。あいつ、お金を貰う為に適当な人を泥棒だと言ったんだよ」
「だったら衛兵に泥棒じゃないって言えば……!」
そう言ったらゼロは黙って首を小さく振った。
「こういうのは誰でもいいんだよ、本当かどうかは関係ない。ただここに晒す人が必要なだけ。それにもう手遅れなんだ。あのねイチ、僕の後ろ、ここからでも脚って見えるかな。右側の方を見てほしいんだ」
ゼロの言うとおりにそこを見ると、ゼロの太ももには木の棒が深々と刺さっていた。
しかも、木の棒にはゼロの顔についていたのと同じ茶色い塊もこびりついている。
「ゼロ……これって……」
「刺された時は物凄く痛かった。でも、今は何も感じないんだ。感覚すらも、脚が動かないんだ」
「ゼロ……」
「僕の事はいいからイチだけでもこの街から逃げて。僕が死んだら次はイチが狙われる」
「イヤ……イヤ! 逃げるならゼロも一緒! ずっと一緒って言ったじゃない……」
「ごめん、イチ……一緒に国へ帰ろうって言ったのに……ごめん」
「イヤだ、絶対にイヤ!」
何とか木の板を外せないかと揺らしたり、引っ張ったりしたけどビクともしない。
「イチ、何やっているの。早く逃げて」
「この板外せばゼロも逃げられるよね。脚動かなくても私が支えるから、だから……私を一人にしないで……!」
一生懸命引っ張っていたら、指が滑って爪が割れた。
「痛っ」
「イチ! お願い無理しないで! 僕のことはもういいから!」
「よくない! 絶対助けるから、待ってて。何か道具探してくる。そうしたらこんな板、すぐに外して逃げよう……一緒に逃げよう」
「…………」
ゼロは何も言ってくれなかったけど、きっとあの板が外せれば大丈夫。
この街から出ても、またゼロと一緒に明日を過ごせる。
その為にもあの板を外す道具を探さないと。
けれど、そんな都合良くゼロを助ける道具は見つからなくて、お金を持っていない私は店の人からも相手にされなくて。
悔しくて、泣きながらゼロの元へ帰ったら、ゼロは目を閉じて動かなくなっていた。
「ゼロ……」
ゼロの顔はまた茶色いもので塗りたくられていて、傷も増えていた。
「……ごめん、助けるって言ったのに……ごめん、ゼロ……」
ゼロはもう動かない。
板は変わらず分厚くて固いまま。
「……。……私、何で躊躇ったんだろう……」
ガリ、と板に爪を立てる。
「爪が割れて、痛いからって……何で諦めちゃったんだろう……ゼロの方がもっと痛くて苦しかったのに、何で……」
ギリギリと板に爪を食い込ませていく。
痛い。
痛いけれど、ゼロの痛みはこんなもんじゃない。
「爪が取れたって、指が無くなったって……ゼロの痛みを思えばこんなの……こんなの……!」
痛くなんかない。
その瞬間、あんなに固くて分厚かった板がバキリと大きな音を立てて壊れた。
板から解放されたゼロは静かに地面に落ちて、やっぱり動かない。
「ゼロ……ごめん、最初から躊躇わなければ、痛いからって諦めなければこうならなかったのに……ごめん、ごめんなさい……!」
地面に倒れたままのゼロを見たくなくて、抱き上げようとしたら。
ゼロの腕が取れた。
「え……? な、何で」
取れた腕から大量の血が流れてきて、慌てて持った腕を取れた場所に戻そうと押さえたら、ゼロの体は小さくバラバラになってしまった。
「何で? ダメ、戻って、元に戻って……!」
焦って地面にバラバラになって落ちてしまったゼロの破片を集めれば集める程小さく細かくなっていってしまう。
とうとうゼロは頭だけになって、これ以上小さくなってほしくなくて、頭だけでも守ろうと思いきり抱きしめたらパァンと大きな破裂音がして頭も粉々になって、ゼロの全てが無くなってしまった。
「うわああああ!! あいつ人を食べているぞ!!」
呆然としていたら、知らない人が私を指差してそう叫んでいた。
「ち、違う、私ゼロを食べてなんかないっ……」
「来るな化け物! 誰か、誰か助けてくれー!! 化け物が! 化け物が出たぞー!!」
男の人の叫び声に反応して鎧の人達がこちらに向かって来たのが見えた。
違う。私はゼロを食べていない。
けれど……。
捕まったら私はきっと殺される。
そう思ったら、脚が勝手に動いて逃げ出していた。
私一人だけ。
ゼロを置いていきたくなかったけど、ゼロはもう何処にもいない。
何もない。
街から出た所で鎧の人達に追いつかれて、腕を掴まれたのが怖くて思い切り振り払った。
そうしたら鎧の人は腕だけ残して消えて、その直後に門が崩れ落ちてきてその下にいた鎧の人達も埋もれてしまった。
その時になって、ようやく私は自分が怪力になっていることに気づいた。
ゼロの体が全部無くなったのも、鎧の人が腕だけ残して消えたのも。
門が崩れて、他の人達が埋まったのも。
全部私がやったこと。
もう、何も分からなくなって、私は逃げ出した。
これからどうしたらいいのか、どうすれば良かったのか。
何もかも分からないまま、ひたすら逃げた。
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