第31話 イチとゼロの話〜始まり〜
その子供は、気づいたらそこに立っていた。
何故ここにいるのか、ここが何処なのかすら分からない。
ただ、そこにずっと立っていた。
「ねえ……えーと……こんにちは? この国の言葉ってこれで合っている、かな」
誰かに話しかけられそちらを向くと、女の子と同じくらいの歳の黒髪で青い瞳をした男の子が困ったような顔で何か言っていた。
「…………」
「あれ、もしかして違う? じゃあ何て言うんだっけ……えっと、えっと……」
男の子は何か必死になって手をパタパタ振ったりしているが、女の子はやはり何の反応も返さない。
いつまでここにいるんだろう、そんな事を思いながらその男の子をずっと眺めていた。
「……こんにち、は」
それでも離れる様子がなく、ようやく言葉を返すと男の子は嬉しそうな顔になった。
「やった通じた! 良かった、この言葉で合っていたんだ!」
「???」
「あ、えっと……名前、ジェロラモ。僕、ジェロラモ」
「名前……ジェ、モ……ゼロ?」
「ジェロラモ……難しい? じゃあ、ゼロ。僕、ゼロ」
「ゼロ……」
「うん、ゼロ。よろしく」
女の子とゼロとの出会いはこんな感じだった。
「ゼロ……今の僕には何もないからピッタリの名前だよね」
ゼロは自嘲めいたような顔で何か言っていたが、小さすぎて女の子には聞こえていなかった。
******
女の子がゼロと会ってから三日程経ち、最初はほとんど出来なかった会話が大分できるようになった。
「ねえ、君の名前は何て言うの?」
「名前……?」
「親は? 家もないの?」
「分からない。気づいたらここにいたから……」
「そっか……じゃあ僕が名前つけてあげる! 僕がゼロだから、君はイチ。数字の始まり、ゼロの次だからイチ」
「イチ……私の名前?」
「そう。改めてよろしくね、イチ」
「うん。よろしく、ゼロ」
そう言ってイチは初めて笑った。
身なりはお世辞にも綺麗とは言えないが笑うイチの顔は可愛らしく、ゼロは赤くなった顔をごまかすように頬をこすった。
「え、ご飯って店の捨てたゴミを食べるの?」
「皆そうしてるからそうじゃないの?」
「道端で直に寝るの?」
「皆そうやってるけど……違うの?」
「お金は……国が違うから使えないというか、そもそもお金も持ってないんだった……」
ゼロは異国の言葉に慣れてきても、路上生活には全く慣れなかった。
******
イチはゼロ以上に物事を知らなかった。
親や名前だけでなく、この街の名前やお金すら知らない。
「うーん、親のいない子供ってこういう感じなのかな? でもお金ぐらいは知ってそうだけど……」
そもそも今までどうやって過ごしてきたかさえ知らないのは流石におかしい。
もしかしてイチは記憶喪失でないかと疑うゼロだが、治し方が分からない以上新しく教えていくしかない。
「そういえば、ゼロは何でここに来たの?」
「ん? んー、何て言ったらいいのかな。ちょっと複雑で……簡単に言うと悪い人に船に乗せられて、その人達から逃げてここに来たの」
「悪い人」
「そう。だから僕はもう一度船に乗って自分の国へ、家に帰りたい。その為にはここで何とか船の分のお金を稼がないといけないんだ」
しかし現在ゼロの所持金は名前の通りゼロ。
働き方も分からなければ、日に日に汚れていくゼロを雇ってくれる店もない。
幸い、食べられるゴミが捨てられているので最低限の食事は出来るのだが……。
「まさかゴミを食べる日が来るなんて思わなかったな……」
「たまに他の子がパンを持って走っているの見るけどアレは何?」
「多分……盗んできたんだと思う。でもイチ、どんなにお腹が減ってても盗みとか悪い事は絶対にしちゃダメだからね」
「うん、分かった」
イチは何も知らないが、教えた事はちゃんと理解して覚える事が出来た。
ちょっと面白がったゼロは自国の言葉を教えてみると、イチはあっという間に覚えてスラスラ話せるようになった。
「……もっとこう、先に教える事があるような……」
『ゼロ、これであってる? ちゃんと喋れてる?』
『バッチリ』
『本当? やった』
喜ぶイチの姿を見て、やっぱりいいかなとゼロは思い直した。
******
家に帰りたい。その為には船に乗る必要がある。船に乗るにはお金が必要。
しかしゼロにはお金がない。
「うーん……他の子達は他所から来た人達の道案内とかでお金を貰ったりしているみたいだけど、僕はこの街のことはサッパリだしむしろ道案内が必要とする方なんだよね」
日雇いの仕事はあるにはあるが全て力仕事で、そう言ったことを今までしてこなかったゼロは満足に働けずお金が貰えなかった。
「私も何か出来ない?」
「うん? んー、これは僕の問題だから、イチがお金を稼いでも意味ないよ」
「そうなの?」
「あっ、あっ、ほら、僕が初めてここに来た時からずっと側にいてくれているでしょ。それだけで十分助かってるから、だから気にしないで」
悲しそうな顔になったイチをゼロは慌ててフォローする。
実際、ほとんど言葉の分からなかったゼロから離れずにいてくれたのは本当にありがたかった。
「でも私も働いてみたい」
「それはいいんだけど、手に入れたお金を僕に渡そうとしないでね」
「…………」
「イチ、返事」
返事を強要するゼロにイチは無言で抵抗した。そのうち段々とイチの瞳に涙が溜まっていく。
涙目で見上げてくるイチにゼロの心は激しく揺らいだが、頑張って耐えた。
「……ゼロ……」
「ダメ、絶対。僕はイチからお金を貰う理由ないもん」
「そう……分かった」
次の日。
ゼロが起きると、いつも隣で寝ているイチがいなかった。
「イチ……?」
もしかして昨日の事を怒って離れてしまったのだろうか。
あちこち探し回っても全く見つかる気配がしない。
いきなり一人ぼっちになってしまったゼロは途方に暮れ、いつぞやのイチのように呆然と立ち尽くした。
「ゼロ?」
どれぐらい立ち尽くしていただろうか。
唐突に名前を呼ばれ、ゼロはピクリと反応した。
自分のことを「ゼロ」と呼ぶのは一人しかいない。
「イチ!」
イチの所まで駆けよると、ゼロは思わず力一杯抱きしめた。
「良かった、いつもの場所にいないからあちこち探し回ったんだから」
「それはこっちのセリフだよ。朝起きたらいなくなってたんだもん、怒ってどっか行っちゃったのかと焦ったよ」
ふと今抱きしめているイチに違和感を覚え、ゼロは一度離れてすぐに気づいた。
「イチ……髪、どうしたの……?」
昨日はイチの腰まであった長い髪が、今日はバッサリと切られ短くなっている。
「髪の毛は売れるって聞いたから。ゼロ、このお金受け取って」
そう言ってイチの差し出したお金は船に乗れる程ではないが、結構な額があった。
「ダメだよ、イチ……このお金は受け取れない……」
「ううん、受け取って。だってこれはゼロに教えてもらった分のお金だから」
「え?」
「私、ゼロにたくさん教えてもらったじゃない。言葉に文字の読み書き、他にももっとたくさん。これはその教えてもらった代金。だから、受け取って」
「イチ……」
ゼロは震える手でイチの差し出すお金を受け取った。
「分かった、このお金は受け取る。でも、僕が今まで教えた分を考えるとこの額は払い過ぎだと思う。だから」
「じゃあ、もっと教えて」
「え?」
「ゼロの知っていること、もっと沢山知りたいの。私が今渡したお金の分だけもっと教えて」
「……分かった。でも二度とこんな事はしないでね」
次の日からゼロはより一層イチに色んな事を教えていった。
「お風呂も石鹸もないけど、せめて体を拭いて髪も水で流そうね。毎日」
「川の水冷たい……」
「耐えて。冬はもっと辛くなるけど、清潔第一でいこう。勿論風邪引かないように、濡らした後はちゃんと髪を拭くこと」
「今は仕方ないけど、手づかみで食べるのはあまり良くないんだ。普通はナイフとフォークを使って食べるんだよ」
「ナイフ……フォーク?」
「うーん、流石に本物は用意出来ないしなぁ。知識として知っているだけでもいいかな、えっとまずナイフの持ち方は……」
イチに色々教える一方で、ゼロも心境に変化があったらしく日雇いの仕事に積極的に行くようになった。
まだまだ力不足で他の子よりも働けていないが、それでも必死に働いてお金を貰えるようにまで力もついてきた。
******
「ねえゼロ、お金ってあとどれくらい要るの?」
そんな生活を送りイチの髪が肩の下まで伸びた頃、イチがゼロにたずねた。
「んー? んー、もうちょっと……この調子だとあと一ヶ月ぐらいかな。それでね、イチ。大事な話があるんだ」
「何?」
「あのね、お金が貯まったら……僕と一緒に国へ来てくれますか?」
「え?」
「ここにイチを一人置いていけないし、置いていきたくないんだ。その……ずっと一緒にいたいんだけど……ダメかな」
「ううん、私もゼロと一緒にいたい。離れるのは、悲しい」
イチは微笑みながら両手でゼロの手を握ると、ゼロは嬉しのあまりイチをそのまま引き寄せ思い切り抱きしめた。
「ありがとうイチ!」
「あ、でもゼロの国に行くには船に乗らなきゃダメなんだよね? 私お金持ってないよ」
「それは大丈夫! ほら、髪の毛売ったお金あるでしょ。あれはイチのお金だよ」
「でもそれは……」
「イチのだよ。知らない国に一人ぼっちは心細くて本当に辛かったんだ。けれどイチは初めて会った時からずっと側にいてくれている。それだけで僕は救われたんだ。だからイチは僕に何か教えてもらったからってお金を払う必要はないよ」
「……分かった。でも確かそれだけだと少し足りないって言ってたよね。足りない分は私も働く」
ゼロから離れて決意するようにグ、と拳を握るイチをゼロはマジマジと眺める。
「……前から思っていたけどさ、イチって結構頑固だよね」
「ダメ?」
「あー、うん。もう、いいよ分かった。でも絶対無理しないでね。イチって知らない所で無茶するから心配なんだよ」
「む、そんな事ない」
「あるって」
しばらく「ある」「ない」と言い合っていた二人だが、ふとした瞬間にお互い口を止め笑い合った。
「ほら、やっぱり頑固だ」
「私が頑固なら、ゼロだって頑固だよ」
「えー。でもイチ程じゃないよ」
「ううん、ゼロの方が頑固」
「違うって」
また言い合いが始まったが、すぐに終わり二人はまたクスクスと笑い合った。
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