第13話 EYES


「どうやら、西の剣闘士『海神の一撃』が降参した模様。よって、決勝トーナメント第二試合の勝者は、東の剣闘士『地獄の番犬』です!」


実況者ハトの声によって、ようやく事態を把握した会場。まばらな拍手と戸惑いの声が聞こえてくる。


「どういうことだ!?」


気づけば敗北していた『海神の一撃』が一人。ポセイドゥンが、困惑と怒りの混じった声色で平吉に詰め寄る。


「どうもこうも、言葉通りの意味や。ワイらの負けで相手の勝ち。それ以上でも以下でもあらへん」


平吉は飄々とした態度で答えた。


「そういうことじゃない。なぜ降参したんだ、と訊いているんだ!」

「仲間の成長を促すのも将の務めやからな。それに、どうやらお呼びがあったみたいやし」

「お呼び?どういう意味だ」

「まあ、こっちの都合や。付き合わせて悪かったな。海神だけにの一撃やったと思ってくれ」

「降参が、か?会心の一撃とはまるで真逆じゃないか!」


ひらひらと手を振り会場を後にする平吉の背を、ポセイドゥンが呆然とした顔で見送る。

その背後で、ハテスがみちるに耳打ちをする。


「そっちの将は随分と自由奔放な男だな」

「・・確かに飄々としているが、意図がない行動はしない男だ」


みちるは、顔を擦り付けてくる「ある」と「える」の頭を撫でながら、自分に言い聞かせるように呟いた。


「優勝を決めます決勝戦まで、暫し時間を頂きます。選手及び観客の皆様は、試合再開まで御休憩・御歓談をお願いします」


最後に実況者ハトの事務的なアナウンスがあり、決勝トーナメント第二試合は、不完全燃焼のまま、その幕を閉じた。




「災難だったな」

「ああ。何が何だかさっぱりだよ」


試合を終え、選手控え室に戻る道中。ハテスとポセイドゥンが言葉を交わす。

そこに平吉とみちるの姿はない。平吉は行方を晦まし、みちるは替えの人形を取りに一足先に選手控え室に戻ったのだ。


「試合の最中に欲に走る姿に愛想を尽かされたのではないですか」


ハテスとポセイドゥンの向かう先に佇む人影。

その正体をマテナが、主にはポセイドゥンに向けられた皮肉を投げかける。


「欲はエネルギーの根源。それを否定する内はまだまだだ」


それらしい言葉を提示しつつ、ポセイドゥンの視線はきょろきょろと何かを探している。

その様子に「はぁ」っとため息を溢し、マテナが続ける。


「架純さんなら居ませんよ。少しお母さんを借して欲しいでありんす、と残して何処かに行ってしまいましたから」

「何?架純さんも行方を晦ましただと。まさか軒坂と密会しているのではないだろうな!」

「ありえますね。あの二人はお似合いですし」

「残念だったな、ポセイドゥン」


マテナの母親メテスを連れていったのだから、少なくとも男女の密会ではないだろうと推測しながらも、ポセイドゥンを揶揄うマテナとハテス。

ポセイドゥンはマテナの話を聞いていなかったのか、そのことに気付いていないらしく、苦虫を噛み潰したような表情をしている。


「皆さんここに居ましたか」


そこに遅れてノーヤが合流。その両手には2本のドリンクが握られており、今し方試合を終えたハテスとポセイドゥンに手渡された。

「誰かさんと違って気が効くぜ」「すまないな」礼を言い、二人は揃って喉を潤した。


マテナは冷たい視線をポセイドゥンに送っている。


「先程耳にしたのですが、優勝賞品の石版は専門家に売ればかなりの額になるようですね」


何気ない雑談と言った様子でノーヤが話題を振る。


調査班や肆ノ国代表の他に、多くの大会参加者が集まった理由がこれだった。

内容を理解できる者は少ないにしても歴史的価値は高く、学者にとっては貴重な資料なのである。


「そんな石版を撤去するなんて。全く、惜しいことをしましたね」

「後悔はしていないが、確かにそうだな」


マテナの言葉にハテスが頷く。

ポセイドゥンも「確かにな」と呟いた。


「それにしてもあの石版をよく動かせたな、ハテス。どうやって撤去したんだ?」

「ん?石版はお前が撤去したんじゃないのか?」

「俺が?いや、そんな記憶はないぞ。俺はてっきりお前が撤去したものだと・・」


過去を思い出すように斜め上に視線を上げて、ハテスとポセイドゥンは揃って首を傾げる。


セウズが才を授かった頃。彼から負の記憶を遠ざけるため、神父に関するモノ全てを神殿から撤去した彼ら。

石版もその際に撤去したと思い込んでいたが、どうやらそうではなかったようだ。


「「どういうことだ・・」」


二人は狐につままれたような顔を見合わせた。




さて、場所はガラッと変わり、ここは陽の当たらぬ場所。


繁栄をそっくりそのまま反映したような街。「央」の跡地に当たる、六国同盟『サイコロ』の本拠地である天幕が設置されている地点の、地下深く。

かつては零ノ国があったその場所には、すっかり生気を失った貴族の群れがあった。


顔は窶れ、目は死に、纏う高貴な雰囲気はすっかり抜け落ちた集まり。

そこからいち早く脱し、徒歩で移動する二人の男女がいた。


「移り行く世を勝ち抜いた先の安定が変化への免疫力を下げる。全く皮肉な話だよ」

「あら。珍しく良い事を言いますね。お酒を飲んでる時とはまるで別人みたい」


その二人。京夜の義理の両親である、墨桜次郎と墨桜住子の目は、まだ生きていた。

冗談まじりの会話を交わしながら、暗き道を進む。


彼らの隣には、別の男女の組み合わせも確認できた


「貴方たちと合流できたのは不幸中の幸いでした。この人だけでは不安でしたから」

「何を言うでごわす。拙者にはサバイバルの心得があるでごわすよ」

「その話は聞き飽きました。アニメで得たというその知識が全く役に立たないことも実証済みです」


その正体を『TEENAGE STRUGGLE』実況者のミトと解説者のオクターは、数日前に次郎らと合流し、それから行動を共にしているのだった。


ミトに役立たずの烙印を押され、隣を歩くオクターが項垂れる。

そんなことなど微塵も気にしていない様子で、ミトは次郎らに向けて口を開いた。


「貴族の中にも貴方達みたいな人がいると知れてよかったです」

「私たちは貴族という自覚がないからね。視点が変われば、ただの落ちこぼれだよ」


冗談めかして言う次郎に、ミトは微笑を浮かべた。


さて、この4人が地下を探索する理由であるが、当然地上に帰る術を見つけるためである。

何の説明もなく唐突に街ごと地下に落とされるという異常事態に、多くの貴族たちはただただ途方に暮れるだけであったが、この者達は違った。


ここから脱する術が、そのヒントが何処かにあると信じて。それこそ藁にもすがる思いで、こうして連日探索を行っているのだ。


「ん?ここにこんな道はあったか?」


足を止めた次郎の言葉に、他の3人が揃って首を傾げる。

なるほど、確かにその先には細道が続いていた。


手がかりが見つかる微かな予感と共に、4人は細道を行く。


「これは・・・」


その先で待ち構えていたモノに、4人は言葉を失い、揃って目を丸くした。


そこにあったのは、かつて参ノ国戦前に李空らが見つけた『真ノ王像』。

その圧倒的存在感と溢れ出る負のオーラに、四人は心臓の鼓動が早まるのを感じた。




───はてさて、こちらは伍ノ国。


相も変わらず降り続ける雪。整然と佇む純白の聖堂の目前には、鍛錬に励む者達の姿があった。


「随分と気合が入ってるなジジイ」

「当たり前じゃ。あんなことがあってやる気にならん戦士がおるか」


その者達とはシンとバッカーサ。

拳と言葉を交える二人の口からは、「はあ、はあ」と白い吐息が漏れる。


修行の為だろう。バッカーサの体にはあからさまなオモリが付けられていた。

確かに動きは鈍いが、それはいつものバッカーサと比べてのこと。オモリがあってようやく通常の者の動きと並んだ、といった印象だ。


決して弱者ではないバッカーサを相手しながら、シンは手合わせを楽しむように薄い笑みを浮かべた。


「ふたりとも、ご飯の時間だよ」


聖堂から顔を出し二人に声をかけたのは、伍ノ国代表の癒し、アーチヤだ。

石版調査の一件で、長らくアジトにしていた要塞はなくなったため、現在彼らは聖堂で暮らしている。


「もうそんな時間か。ちと休憩にするかの」


オモリを脱ぎ捨て、バッカーサが聖堂に戻る。

ドサっと雪に埋もれたオモリが、その重さを如実に表していた。


その光景に、アーチヤの顔が憂いを帯びる。


「ばっかじいじ。あんまり無茶しすぎちゃダメだよ」

「ありがとうのアーチヤ。じゃがそう言うわけにもいかんのじゃ。セイやキャスタも頑張っとるしのう。それに───」


バッカーサは首に下げた金色のペンダントを握った。


「アリアの想いも背負っとるからの」


その呟きに応えるように、ゴーンと黄金の鐘が鳴った。




───こちらはイチノクニ学院隠し書庫。


「どうやら新発見があったみたいですね」

「昨日に続き今日も。ここにきて一気に成果がありましたね」

「そうだね。これが何かの役に立てば良いんだけど」


言葉を交わすのは七菜と翼と美波。

どうやら、ここにきて解読班にも進展があったようだ。


「六下先生、忙しそうだね」

「そうですね。昨日は母様に何かお願いしていたようですし」

「三上先生に?何のお願いでしょうか?」


美波、翼、七菜の3人が揃って首を傾げる。


解読の成果に伴い、六下は昨日から慌ただしく動き回っていた。

そのため、六下以外の解読班は発見の詳細を把握できていなかった。


翼の話によれば、六下は三上とも接触したようだ。


「ふう。後は報告待ちだな」


そこに席を外していた六下が帰ってきた。

右手には携帯電話が握られている。どうやら誰かしらに連絡を取っていたようだ。


「六下先生。そろそろ私達にも教えてくれませんか」


美波が六下に詰め寄る。

七菜と翼も興味津々といった様子で六下を見つめている。


「まあ、そう慌てるな」


六下は熱い視線を掻い潜り、椅子に腰掛けると、ポケットから缶コーヒーを取り出した。

ここに来る前に、自動販売機で購入したものだと思われる。


蓋を開けて口をつけ、ふうっと長い息を吐く。


「順を追って話そうか」


解読班の3人は、ごくりと唾を飲み込んだ。




───六国同盟『サイコロ』本部。


央跡地に構える天幕の中には、二人の女性の姿があった。


「久しぶりだな」


片方の女性。伍ノ国代表の一人であるキャスタは、天幕にやってきたもう一人の女性に向けて口を開いた。


「久しぶり、か。その感覚は普通なんだな」


その女性。イチノクニ学院にて教師を務める三上は、皮肉を込めて返した。

全盛期の実力をそのままに残すキャスタの才『永遠の18歳』を揶揄するものだ。


金髪から覗くキャスタの碧眼が、三上を睨む。


「どうやら毒舌は健在らしいな。いや、前よりは幾分か丸くなったか」

「小さい子どもを相手にしていれば丸くもなる。闘いとは対極にある場所だからな」


三上は頬を緩めて言った。

キャスタも表情を柔らかくして続ける。


「そういえば、学院で教師をしているという話だったな」

「ああ。そっちは今も現役か」

「そうだ。『生涯現役』の筋肉バカとやってるよ」

「バッカーサ、か。奴の場合はむしろ元気になってそうだな」

「ハハッ。その通りだよ」


キャスタは碧い眼を細めて笑った。

三上はその眼に悪戯心を宿し、口を開く。


「それにしても若作りが凄いな。見た目が全然変わっていない」

「褒め言葉として受け取っておくよ。そっちも上手に隠しているみたいだな」

「ふっ。お互い様だ」


キャスタと三上の二人は、どちらも実年齢より随分と若い見た目をしていた。


キャスタに関しては才の影響もあるだろうが、その身を置く環境にも影響を受けていると思われる。

若いエネルギーが集う闘いの場は、知らず知らずの内にキャスタに活力を与えているという話だ。


三上に関しても同様であった。

若者が集うイチノクニ学院。その中でも特に若い、東の子「金」のクラスを受け持つ三上は、そのエネルギーを無意識の内に補充していると思われた。


「そろそろ本題に入ろう」


遠路遥々ここ天幕までやってきた三上が、キャスタの目をしっかりと見据えて、切り出した。


「最悪の災厄。その正体が判ったという話だったな」

「ああ。『リクジュウ』という名の未知の獣。放たれしその獣は、大陸を一切の無に還す、という話だ」

「まったく物騒な話だな」


深刻な面持ちでキャスタが頷く。


「それで。伝説のコンビ『無惨な六三』の三上さんの協力を仰げる、と考えて良いのか」

「勿論だ。今の私にできることなど、ごく僅かだろうがな」

「何を言う。こういう異常事態では経験値が物を言う。頼もしい限りだよ」


キャスタと三上の二人はどちらからともなく、手を取り合った。


「なんだ。今も結婚はしていないのか?」


相手の指を見て、三上が質問する。

キャスタは「ふっ」と薄い笑みを浮かべた。


「ああ。伍ノ国の男は貧弱な奴ばかりで駄目だ」

「キャスタが相手なら男の方も苦労しそうだな。どうだ、壱ノ国の男でも紹介しようか」

「遠慮しておくよ。お前が男を見る目がないことは証明済みだからな」

「それを言われては何も言い返せないな」


オーバル型の眼鏡の奥で、三上は目を細めた。




───自然と共存する国。陸ノ国。


「なかなかうまくいかないな・・」


調査班を抜け、陸ノ国に残った卓男。

片翼の子竜『ムルムル』と鍛錬に励む毎日を送っている彼であるが、その表情は冴えない。どうやら成果は芳しくないようだ。


「むう、むう・・」 


申し訳なさそうに目を細めるムルムル。

そんな愛竜に苦笑を向けると、卓男は「はぁ」と溜息を溢した。


「苦戦しているようだな」

「ござっ!」


背後から聞こえた声に、卓男は慌てて振り返る。


そこには、陸ノ国代表将ゴーラの姿があった。

隣には愛竜のクオンの姿もある。離着陸時特有の風はなかった為、ここまで歩いてきたものと思われた。


「戦闘スタイルが定まらないんでござる。飛ばずとも強い、そんな竜の戦闘方法があれば良いんでござるが・・」


悩みを打ち明ける卓男。そのことから、ここでの生活にも慣れてきていることが伺えた。

口調は変わっているが、ゴーラ相手にある程度気を許している様子だ。


「飛ばずに強いか・・。一つ訊くが、どうして飛べないことが前提なんだ?」

「ござ?ムルムルは翼が片方しかないからでござるよ」


何を言っているんだ、とでも言いたげな顔で卓男が答える。

「そうかそうか」と頷き、ゴーラが続ける。


「質問を変えよう。朝起きたら片方だけ翼が生えていた。お前ならどうする?」

「翼が?自分の背中に、でござるか?」

「ああ。まずはびっくりするだろうが、もしかすると飛べるかもしれない、そんな風には考えないか?」

「・・確かに。実際に試してみると思うでござる」


卓男は思案顔で頷いた。


「そうだろ。翼を片方でも得た人間は、そこに可能性を見出そうとする。だがどうだ。翼を片方失った竜を前にすれば、人はそこに可能性はないと決めつける。片翼を得た人間と、片翼を失った竜。同じ一つでも、過程が違うと見える景色も変わるというわけだ」

「ござ・・・」


卓男がハッとした顔をする。


「その心理に気づき、視点を変えられる者こそが真の強者。これが俺の持論だ。まあ、実際に飛べるかどうかは別問題だがな」


「まあ、頑張れよ」と最後に残し、ゴーラは家の方に歩いていった。


「むるむる・・」

「むう、むう」


言葉を理解しているのかいないのか。

卓男が呼びかけると、ムルムルは健気に鳴いた。




───場所は再び肆ノ国。


「なるほど。それでマテナの母ちゃんを連れて出てきたわけやな」


平吉は合点がいったというように頷いた。


決勝トーナメント第二試合にて突然の降参。試合を放棄した平吉は、架純とメテスと共に、とある場所に向かっていた。

その理由は、架純にかかってきた一本の電話にあった。


電話をかけてきたのは六下。平吉の電話にもかけたが試合中で繋がらなかったため、架純にかけたという話だった。

彼の話によれば、解読班の活躍により、新たに二つの事実が判明したらしい。


一つは、最悪の災厄の正体が『リクジュウ』と呼ばれる未知の獣であること。

これを受け、六下は三上をキャスタの元に派遣した。


なんでも、『リクジュウ』は大陸の中央部に縁がある、という記述がいくつか見つかっているそうだ。

キャスタが居る六国同盟『サイコロ』の天幕は央の跡地にあるため、現地の調査を依頼したという運びであった。


そして、もう一つ。こちらは、六下がサイストラグル部に探索を依頼している、大穴に関するものであった。


なんと、壱ノ国のどこかにあるとされる『アンダーフローホール』とは別に、肆ノ国にも大穴が存在するというのだ。

その名を『オーバーフローホール』。もしかすると、六下が探している大穴はこちらの方かもしれない、という話だった。


その可能性を検証するため、六下は都合よく肆ノ国にいる調査班に現地調査を依頼したのだった。


「『オーバーフローホール』とかいう大穴が、マテナの母ちゃんが零ノ国に落ちた時のものやないか。架純はそう考えたわけやな」

「その通りでありんす」


「流石、平ちゃん」と、架純が指を立てる。

その様子は、とても上機嫌に見えた。


ちなみに、架純はジャージ姿から元の着物姿に戻っていた。

どうやら、闘技場を後にする際に着替えたようだ。


して、彼女の機嫌が良い理由であるが、それは平吉の行動にあった。


闘技場を離れ、メテスと二人で調査に行こうとしていた架純を、平吉が慌てた様子で追いかけてきたのだ。

平吉は試合の最中にメテスと共に観客席を立つ架純を確認し、ああして敗北宣言をしたのだった。


平吉が自分のことを見てくれていた。そして、試合を放棄してまで追いかけてくれた。

その事実は、架純の心に言いようのない高揚感をもたらした。


「平ちゃんのあちき好きにも困ったものでありんす」


架純の弾んだ声が聞こえているのかいないのか。平吉は何でもないように、隣を歩くメテスに尋ねる。


「話にあった大穴はそろそろか?」

「はい。そのはずなんですけど・・」


メテスは言葉を濁し、きょろきょろと辺りを見回した。


その足取りは段々と重くなり、やがてピタッと止まった。

最後にもう一度首をゆっくりと左右にやり、それから平吉と架純の方に目を向けた。


「・・ないです。前はあった大穴が綺麗さっぱり閉じています」


メテスははっきりとした口調で告げた。




───壱ノ国。


「まさかこの場所にあったとはな」

「あの爺さんのアドバイスに助けられたっすね」


サイストラグル部部長の滝壺楓と副部長の炎天下太一は、イチノクニ学院に居た。


その目的は『アンダーフローホール』を探し出すことだ。

「風爺山」山頂にて陸仙人から貰ったアドバイス。「探し物は案外近くに落ちておるもの」というヒントを元に、彼らは自分たちが通う学院に目星をつけ、こうして足を運んだのだった。


そして、まさに今。その目的が達成された。

彼らの眼前には、今まで気づかなかったのが不自然なほどの大穴があった。


滝壺と太一の二人が、間違って落ちないように慎重に大穴を覗き込む。

底はまるで見えず、ぴゅーぴゅーと鳴る風の音が不気味さを演出していた。


「六下先生の話と完全に一致している。目的の穴とみて間違い無いだろう」

「そうっすね。早速報告しましょう」


「だな」と短く答え、滝壺は携帯電話を手にした。

自分でかけようと思っていた太一は、先輩に先を越されてしまったと、何故か少し悔しくなった。


「・・にしても、よりによってココとはな」


電話が繋がったのだろう、電話越しに話し始めた滝壺の横で、太一は辺りを見回す。


視界に収まるは、鬱蒼と生い茂る草木。

この場所とは、イチノクニ学院の端も端。マイナーなスポーツの練習に多く用いられる第5グラウンドの更に外れ。


かつて、卓男が平吉に水をかけたとかで太一がイチャモンをつけ、李空と決闘をすることになった場所であった。

李空の才が開花するきっかけとなった、伝説の始まりの闘いである。


「なつかしいな」


濃厚すぎる出来事の数々が、遥か遠い記憶にしてしまった決闘を思い出し、太一は苦く笑った。


「───はい。わかりました。では」


六下との電話を終えたらしい滝壺が、携帯電話をポケットに戻す。


「終わりましたか。それで、六下先生はこの穴で何をするつもりなんすか」

「ああ、それなんだが───」


次いで聞かされた滝壺の話に、太一は目を見開いた。




───肆ノ国。病院。


「・・・・」


かつての絶対王者が眠る病室には、椅子に座った状態でうつらうつらと船を漕ぐユノの姿が。

それも無理はない。彼女はセウズが眠りについてから半月ほど、まともに寝てはいなかった。


セウズが目を覚まさないのは十中八九「才」の影響であり、生命活動に異常はない。

故にユノが出来ることはゼロに等しかったが、それでも側に居続けた。


それは、目覚めたセウズにいち早く安心を届けるため。

全知を有する彼にはいらぬ気遣いかもしれないが、それでもユノはそうしたかったのだ。


「・・・・ん」


その時。セウズが微かに呻き声をあげた。

ここ最近は何度か見られる光景であったが、ユノの浅い眠りはパッと覚めた。


「セウズ様・・」


セウズに向けてゆったりと手を伸ばすユノ。

その時。静かに上下していたセウズの胸が、強く跳ねた気がした。


「セウズ様!」


ユノの鼓動が早まる。

彼女の耳には、今にも破裂しそうな自分の心臓の音だけが聞こえていた。


「ここは・・・・」


長らく眠っていたセウズが、まるでいつもの朝を迎えたようにムクッと起き上がった。

辺りを見渡し、不思議そうな顔をしている。


「セウズ様!!」


目には涙を浮かべ、感極まった表情でセウズを見るユノ。

しかし、次いでセウズの口から発せられたのは、思わず耳を疑いたくなる言葉だった。


「・・・・・・誰だ?」


信じ難い言葉。全知全能の男が発するはずのない言葉。

圧倒的破壊力を持ったその言葉に、ユノの表情は一瞬の内に固まった。


あれほど煩かった心臓の音が、どこか遠くで鳴っているように感じられた。

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