第8話 FOURTH
「何だ・・今の・・・・」
揺れが収まった頃。李空の額にはびっしょりと汗が滲んでいた。
「皆も、聞こえたみたいやな」
調査班の顔を順に見回し、平吉が言う。
彼も、それから架純にみちるにセイも。額には共通して汗が浮かんでいた。
回転する大地に抗う中、調査班の5人が聞いたモノ。
それは、未知の言語による怨嗟の声だった。
言葉の意味は判らないにも関わらず、負の感情だけは伝わってくる。
万物を憎むような、何者かを恨むような、誰かに救いを求めるような。
狂気に満ちたその声に、百戦錬磨の調査班たちは、少なからず恐怖を抱いたのだった。
「二度と聞きたくないでありんす・・」
珍しく弱々しい声を出す架純。
「・・・・・・」
その横で、みちるも俯いている。
「・・・」「・・・」
両手に嵌められた人形たちも、心なしか元気がないように見えた。
「ただならぬものを感じたが、敵意はなかった。決めつけるのは危険だが、アイツらの仕業という線は低いだろうな」
新しく調査班に加わったセイが、冷静な状況分析を口にする。
アイツらとは、『リ・エンジニアリング』に関する人物達のことだ。
「せやな。今は新しい環境を調査すべきや」
気を取りなおしたように平吉が言う。
他の面子も、気を引き締めるように顔つきを変えた。
「陸ノ国に伍ノ国ときたわけやから、順当にいけばここは肆ノ国やろうが・・」
辺りを見渡す平吉。
そこに広がっていたのは、整備の行き届いていない荒野であった。
伍ノ国特有の止まない雪の代わりに、頭上は曇天が支配している。
「誰か人がいればいいんですけどね」
遠くに視線をやりながら、李空が言う。
荒れ果てた大地の様子に合わせたように、辺りに人の気配は全くない。
「あれ、人じゃないか」
セイが一方を指して言う。
年中雪が覆う国で育ったため目が利くのだろうか。その方向には、微かに人と認識できる影があった。
「しめた。聞き込みに行くで」
平吉が先陣を切り、一行は影の方向へと向かう。
段々と鮮明になる人影。
よく見ると、その影は右に左にふらふらとしていた。
おぼつかない足取り。少し縺れたかと思うと、突如動きを一時停止。
妙な緊張感が走り、その身体は糸が切れた操り人形のようにドサッと倒れ込んだ。
「なんやなんや!」
慌てて駆け寄る調査班一行。
「大丈夫でありんすか!」
架純が呼びかけると、
「・・・・・すみません・・・・ごめんなさい」
女性はうわごとのように、謝罪の言葉を口にした。
「いやあ、助かったで。おおきにな」
「運が良かったな。本降りになる前に見つかってよかったぜ」
礼を言う平吉に答えるのは、肆ノ国代表が一人、ポセイドゥンである。
大方の予想通り、調査班が辿り着いた先は肆ノ国であったのだ。
半時間ほど前。目の前で倒れた女性を平吉が背負い、調査班一行は人がいそうな方へと移動を始めた。
怪しかった黒雲は厚みを増し、ぽつりぽつりと雨が降り始めた頃、一行はポセイドゥンと鉢合わせた。
それは単なる偶然ではなかった。六国同盟『サイコロ』の会議に国の代表として参加するマテナ経由で聞いていた壱ノ国の動向と此度の大地の揺れから、調査班が肆ノ国に入国したと予測したポセイドゥンは、一行のことを探していたのだ。
同じく捜索に出ていたハテスとも合流し、現在は肆ノ国代表の住処でもある神殿に集合している状況だ。
「長旅お疲れ様でした」
そこに一人の青年が合流した。
手に持つお盆からは、心が落ち着く甘い香りがする。
「また似た顔あ〜る」
「案内人え〜る?」
「ええ、仰る通り。私、零ノ国案内人肆ノ国代表担当。ノーヤと申します」
ノーヤはお盆を机上に載せ、深く一礼した。
顔立ちはコーヤ達と酷似しているが、口調や立ち振る舞いからだろうか、他の案内人よりも大人びた印象を受ける。
「この香りは、紅茶でありんすな」
紅一点である架純が声を弾ませる。
机上のお盆には、紅茶とクッキーが載っていた。
「ええ。舌に合えば良いのですが」
「頂くでありんす」
品のある所作で、ティーカップを口に近づける架純。
ふう、ふう、と甘い吐息で熱を冷ます。
艶かしい唇に触れたティーカップが傾けられ、淡いオレンジ色の液体が架純の体内に流れ込んだ。
「・・美味しい。良い腕を持ってるでありんすね」
「お褒めに預かり光栄です」
ニコリと微笑む架純に、ノーヤは一礼で応えた。
ノーヤの才。それは味覚に特化したモノである。
『神の舌』と呼ばれるその能力は、些細な味の違いを繊細に感じとることができる。
料理の類もプロ並みであり、特にノーヤが淹れる紅茶は絶品であった。
「違いが分かる人間がいてよかったな」
やり取りを見ていたハテスが口を開く。
それからポセイドゥンの方に目をやった。
「どれだけ美味しいものを出そうが、こいつには一切違いが分からないからな」
「胃に入れば全部一緒だ」
豪快に笑うポセイドゥンに、ハテスは呆れたように息を吐いた。
「ところでその女性は誰なんだ?」
話の舵を切るポセイドゥン。
その視線の先には、平吉がここまで背負ってきた女性の姿があった。現在はソファの上で眠っている。
「さあな。この国の住人とちゃうんか?」
「どうだろう。見覚えはないな」
ポセイドゥンは女性の顔を見て首を捻った。
架純の診断によれば、疲労と栄養失調により倒れた女性。
容姿から判断するに歳は40代だろうか。窶れているため実際の年齢は見た目より若いかもしれない。
「・・・・・ここは」
ちょうどその時。女性の瞳がゆっくりと開かれた。
「お、気づいたみたいだな」
「ここは肆ノ国の神殿だ」
ポセイドゥンとハテスが反応を示す。
「・・しん・・・でん・・・・」
朧げな表情で復唱する女性。段々と焦点が定まり、その響きが意味する事柄を理解した頃。
「っ!誠に申し訳ありませんでした!!」
女性は飛び起き、次いで地面に頭を擦りつけた。
窓の外では、強い雨が打ちつけていた。
───六国同盟『サイコロ』本拠地。
「以上が伍からの報告だ」
央跡地の天幕には、各国の代表が集まっていた。
進行役を務めるのは、例に倣って伍ノ国代表キャスタ。バッカーサから伝えられた情報を今し方報告し終えたところだ。
「これで、各国の王が『リ・エンジニアリング』に関係していることはほぼ確定だな」
そう感想を口にするのは、陸ノ国代表ゴーラ。
その発言に、各国の代表は静かに首肯した。
現時点で『リ・エンジニアリング』との関係が判明しているのは、壱ノ国『信の王』ジュン=ジェミニ、壱ノ国『知の王』ジャヌアリ=カプリコーン、伍ノ国『信の王』オクトーバ=ライブラ。
『TEENAGE STRUGGLE』決勝で零ノ国会場を襲った、カプリコーンとは逆の目に片眼鏡をかけた男も関係者であろう。いずれかの国の王である可能性も高い。
「どうして今まで不思議に思わなかったんだろうな」
参ノ国代表アイ・ソ・ヴァーンがポツリと漏らす。
「王」と呼ばれながら、その姿を頑なに秘匿してきた存在。
如何にも怪しい曖昧すぎるその存在を、彼らは無意識にそういうものだと決めつけていたのだ。
「先入観というのは末恐ろしいな」
「まったくだ」
弐ノ国代表ワンの言葉に、壱ノ国代表剛堂は同意を示した。
と、その時。剛堂の携帯電話に着信が入った。
「すまない」
相手が平吉であることを確認し、緊急の連絡である可能性も考慮して電話をとる剛堂。
「───ああ。わかった」
「私、ですか?」
短く返事をすると、剛堂は携帯電話を肆ノ国代表マテナへと渡した。
「・・ええ・・・はい」
携帯電話越しに相槌を打つマテナ。
「え・・・・・」
その途中、マテナの表情が明らかに変わった。
凛々しい顔つきは段々と緩み。
両目からつうっと流れた涙が、頬を伝って零れ落ちた。
「娘が大変お世話になりました」
謝罪の後、女性が口にしたのは感謝の言葉だった。
肆ノ国神殿にて、目を覚ましたかと思うと突如地面に頭を擦りつけた女性。
一行は慌てて頭を上げさせ、女性から事情を聞いた。
彼女。メテスの話はこうだった。
今から数年前。メテスは愛娘を神殿に預けた。
最大の理由は貧困だった。
元は裕福な家庭を築いていたが、夫の死を皮切りに一転した。
暫くは剣闘士であった夫の武器を質に出して切り盛りしていたが、すぐに底をついた。
頼れる親族もおらず、幼き娘を育てながら働きに出る生活が始まったが、貰える報酬は雀の涙であった。
娘の未来のため。そう自分に言い聞かせ、メテスはマテナを神殿に預けたのだ。
唯一手元に残っていた、夫が闘いの際にかぶっていた兜を持たせて。
子どもを神殿に預ける。この選択は、子どもの未来と引き換えに自らの未来を捨てる行為であった。
肆ノ国の根底にある考え方に「人は神の子」というものがある。
人、特には子どもの存在を神聖視する思想であるが、この文言には続きがあった。
「人は神の子、神は人の子。神手放すれば、人に非ず」
この国において、如何なる理由があろうとも、子どもを手放した親は、人としての尊厳を失うのである。
マテナを神殿に預けたメテスは、国の端に開いている穴に身を投じた。
死も覚悟していたメテスであったが、その穴は零ノ国へと通じていた。
零ノ国での生活は虚無であった。
なんの変化もない。生を繋ぐだけの空白の日々。
生きる意味を失いつつあった時。
零ノ国にて『TEENAGE STRUGGLE』なる大会が開かれることを知った。
なんでも良い。変化が欲しかった。
気づくと、メテスの足は会場に向いていた。
その日の試合は肆ノ国戦だった。
ベンチでフードを被る選手を見て、メテスは衝撃を受けた。
「マテナ・・・?」
その内の一人が、生き別れた愛娘に思えて仕方がなかったのだ。
しかし、その日。疑惑の選手の出場はなかった。
どうしてマテナが。神殿で平和に暮らしているはずではないのか。闘いに赴かねばならない、止むを得ない事情があるのか。
私の選択は間違いだったのか。
一度生まれた疑念はなかなか拭えず、メテスは悶々とした日々を過ごした。
そして迎えた、次の肆ノ国戦。
その年の決勝の舞台で、メテスの考えは改まった。
「・・・・そうか。闘う理由を見つけたのね」
兜をかぶり、闘うマテナの顔つきを見て、メテスは納得した。
愛娘は自ら闘う道を選んだ、と気付いたのだ。
「血は争えないわね」
整然と、それでいて嬉々として戦場で身を躍らせるマテナに、今は亡き夫の姿を重ねて、メテスは久方ぶりに微笑んだ。
そして、決心した。
自分も闘うと。愛娘と再会を果たすために。
それから数年。
毎年優勝を果たす肆ノ国代表に勇気付けられながら、メテスは生き延びた。
その延長線上で起きた、今回の零ノ国と央が反転するという異常事態。
例に漏れず地上に這い出たメテスであったが、意識を取り戻すタイミングは他の者たちより随分と遅かった。
何が起きたのか。目の前の光景が夢か現実かも分からぬまま、メテスは故郷である肆ノ国を目指して歩き出した。
すぐ側の天幕に、愛娘のマテナが居るなど夢にも思わずに。
───現在。
ドタバタと、慌ただしい足音が神殿に響く。
その音は段々と近くなり、広間のドアが勢いよく開かれた。
「ママ・・・・」
神殿に戻ってきた女騎士。肆ノ国代表マテナは、我が家で待ち構えていた女性を確認し、声にならない言葉を溢した。
「マテナ・・・」
娘の帰りを待っていた母親。メテスは、成長した我が子の姿を焼き付けるように目を見開き、その名前を口にした。
そのままどちらからとなく距離を詰め、激しく、それでいて優しい抱擁を交わす。
「ごめんね。本当にごめんね」
「ううん。生きててよかった」
互いの肩に顔を埋める二人。
母の、娘の。染み込む温かい涙が、乾いた心に潤いを与えてくれる。
窓の外で激しく降りつけていた雨は、いつの間にか止んでいた。
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