第54話
「カノン、ベッドに着いたぞ。降りろ」
「うー……」
クラーケンを倒した翌日の夜に盛大なもてなしを受けた村井たち。彼らはカノンが酔い潰れた時点で宴から撤収していた。今はギルドに再手配させ直した高級ホテルの一室に戻って来て就寝しようとしているところだ。
「カノン、ベッドだから。降りて寝なさい」
「ししょーもねる?」
三つ並んだベッドの真ん中にカノンを下ろそうとしてベッドのすぐ横に立つ村井。彼も酔っているのでもう眠りたかった。だがしかし、村井より酔っ払っているカノンは離れないまま幼い口調で村井に尋ねて来る。村井は正直に答えた。
「俺もすぐ寝るよ。だから降りて」
「いっしょにねよ?」
村井には背負っているカノンの表情など殆ど見えないが、彼女が上機嫌であることだけは何となく伝わって来る。そしてカノンが村井と一緒のベッドで寝るために彼を離さないつもりであることも伝わって来た。情けない話だが今の村井が無理矢理力でカノンをどうこうすることは出来ないのでお願いして降りてもらうしかない。
「カノンさーん? いい子だから降りてね~?」
「んー? ししょー、私いい子?」
「はいはい、いい子いい子。だから降りて」
「ん」
村井の胴を確保していたカノンのすらりとした脚が離れた。そして、背中に感じる重みが減って村井はようやく息をついて……急激に引っ張られた。
「っ!」
堪え切れずに後ろに引き倒される村井。カノンを下ろそうとしていたので当たり前だがそこはカノンが寝る予定のベッドだった。
「えへへ。おやすみ」
「はいお休み。放そうか」
「何でですか?
「分かったから。一回放そう。普通の体勢で寝たいから」
敬語も崩れて呂律も怪しいカノンを適当にあしらって取り敢えず逃れようと村井。村井も村井で酒が回ってあまり思考が定まっていないので適当なことを言っていた。そんな村井に対し、カノンは都合のいいところだけ聞き入れる。
「いっしょにねてくれるの? うそだったら私いっぱい泣くからね?」
「はいはい」
「え、私ちょっと席外した方がいい感じですか? 今日はもう疲れたのでこの部屋でゆっくりしたいんですけど」
二人の会話を聞いて空気扱いされているソフィアが思わず声を上げた。彼女も通常状態であればカノンの恋路を応援するために静かに部屋から退場していただろうが、今日は接待で気を緩めるように仕向けられながらもエルフのイメージのために色々と気を張っていた後だ。身内にまで気を遣う気分にはなれなかった。そして村井の方も細かい事を気にする気にならないので適当に告げる。
「別に好きにしたらいい。俺はもう寝る」
「私もししょーとねます」
「俺は俺のベッドで寝る」
「じゃあ私もししょーのベッドでねます」
酔っ払っていてもいちゃついている様にしか見えない二人を前にソフィアは何とも言えない顔になってしまう。
「えぇ~……何か居辛いなぁ。カノンちゃんの恋が上手く行ったらこういうのが続いちゃうのかぁ……私、いつもは別室の方がいい……んー、でも一人だけ仲間外れっていうのもなぁ……んー」
少し考えるソフィアだが、彼女も嗜む程度で留めているとはいえ酒が入っている。この場に上手く頭が回る者は誰もいなかった。その間にも村井とカノンの睡眠を巡る攻防は続いている。
「カノンは先に寝ててくれ。俺はシャワー浴びて来る」
「じゃあ私もシャワーです」
「ソフィ、カノンがシャワーだそうだ。手伝ってやってくれ」
「……まぁ、いいですよ。いっしょにおふろはちょっとはずかしいので」
「カノンちゃんとお風呂ですか! いいですよ! ありがとうございます!」
裏表なくカノンとの入浴タイムを喜ぶソフィア。彼女はカノンの発言を受けて少し安堵していた。
(……お風呂ぐらいで恥ずかしがるってことはカノンちゃん今日のところは最後まで致すつもりはないのかな? それなら私も部屋で普通にしてよーっと)
ふらふらと立ち上がり千鳥足で入浴準備をするカノン。その後ろでソフィアは彼女が倒れたりしないように見ながら自分の準備も済ませてついていく。
「覗かないでくださいね~」
「……見るなら私だけですからね」
「はいはい」
殆どまどろみの世界に旅立っている村井の適当な返事に少し笑ってからソフィアはカノンと共に広いバスルームに入った。
誰がどんな気を利かせたのか、ソフィアとカノンの二人が一緒にシャワーを浴びに浴室に入ったとしてもまだ余裕がある広さのバスルームにて。
カノンが普通に浴室に備え付けられた魔具を使用してシャワーを浴びるのに対し、ソフィアは自前の術式でシャワーを浴びながらカノンのきめ細やかな素肌を覗き見ていた。
(……綺麗。傷が残らなくてよかった)
傷どころかシミ一つないカノンの綺麗な肌を見てソフィアは頬を緩める。カノンを自らの雷で焼く破目に陥らせたソフィアは術後の経過を少し気にしていたが、それも問題なさそうだった。念のためエマに見せたのが功を奏したか? そんなことを思いながらソフィアは純粋な気持ちでカノンの均整の取れた身体を見ていたが、その視線を受けたカノンは居心地が悪そうに少し身を捩ってソフィアの視線から身を守った。それでソフィアも我に返る。
「あ、あぁ~ごめんね? 疚しい気持ちで見てた訳じゃないから! 安心して!」
「……やましくなくてもそんなに見られると困ります」
「ご、ごめんってば~!」
情けなく謝るソフィア。風呂場の外までその声は聞こえており、村井は何とも微妙な気分になる。
(……二人で入れるのはマズったかな? いや、でも溺れられても困るし、俺と一緒の方がもっとマズいからこれがベストなはず)
ソフィアがアルコールを抜く魔術を使えるのを完全に失念している村井は酔った頭でそんなことを考えながら自分のベッドに横になる。そしてカノンたちがシャワーを浴び終えた後は自分の番だ。準備しないといけない。
「はぁ、ぁ~……何かもう面倒臭いし全部明日でいっか……」
ただ、自らを律そうとする意識の糸は睡魔によって断ち切られたようだ。ベッドに横になった村井はそのまま軽く目を閉じて身体の力を抜いてしまう。そしていつしか微睡みの世界へと足を進めて行く。
「……師匠?」
「ん……?」
カノンとソフィアがシャワーから出て来た頃の村井の意識はもはや半分以上が眠りの園に旅立っていた。瞼は重く、開く気にもならない。折角湯上り美人が二人もいるというのに村井の思考は睡眠しか残されていなかった。
そんな村井を見てシャワーを浴びたことで少し意識をはっきりさせたカノンは先程までの幼い自分の姿を恥じながらも一応言質は取ったのでそのまま一緒に寝ることを選択してよいものだろうかと悩む。
「ソフィアさん、師匠は添い寝するって言ってましたよね?」
一応、ソフィアに確認を取るカノン。ソフィアは村井は明らかに適当にあしらっただけだと分かっていたが、カノンを応援したい派なので村井の意思は考えずに適当に答えた。
「……まぁ、もう好きにしちゃっていいんじゃないですか?」
「じゃあ一緒に寝ます。師匠、お布団ですよ。一緒にあったかくして寝ましょうね」
三つ並んだ内の真ん中のベッドから毛布を取って端のベッドに眠る村井の側で横になるカノン。ソフィアは真ん中のベッドを隔てて一人だけ端で寝るという状態に微妙に寂しさを覚えた。
空いているベッドから毛布を持ってきて真ん中で寝れば疎外感もある程度は薄いと思われるのだが、その考えは酔いと睡魔の所為か彼女の頭から抜けているようだ。
「……カノンちゃん、一緒に寝ません? 何か寂しいので」
「そうですね……変なことしないなら私の背中側に来てもいいですよ。師匠、もう一人来るので狭くなります。ごめんなさい」
「おぉ……言ってみるものですね」
いそいそと準備してカノンの隣に入るソフィア。狭くなったことを理由にカノンが村井を抱き枕にしており、ソフィアは添え物みたいな配置になっているが、ベッドを隔てて一人きりの状態よりかはソフィアは心地よかった。
「じゃあ寝ましょう」
カノンはそう言って村井と同じ世界へと意識を旅立たせ、ソフィアも少しだけ二人のことを見ていたがすぐに眠りの園へと旅立つのだった。
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