第53話
クラーケンを倒した翌日の夜。その日の昼にギルドに対する報告を終え、夕方にはギルドから関係各所への会見に参加した後のこと。村井たちはトーポシーの主要組織を挙げての盛大なもてなしを受けていた。
料理はパスタやパンといった主菜の外に主に新鮮な魚介類が煮る、焼く、揚げる、蒸すなどの様々な調理法で並べられており飲み物も多数の酒類が準備されている。
場の空気も良好だ。皆が恐れていたクラーケンを一瞬で討伐したことでソフィアとカノンの株は青天井であり、悲惨な状況から一転して皆が浮かれている。
「ささ、カノン様。そろそろこちらの席に移動されてはいかがですか?」
特に、クラーケンを直接倒したカノンは先の【地獄巡り】との戦いの武勇伝も聞きたがる者が多く、各方面から引っ張りだこだった。
「……お構いなく。師匠、どれ食べますか?」
ただ、当人は村井の横を確保してからはどの席にも行こうとしなかったが。そんなカノンを見て村井は呆れながら注意する。
「カノン、ここに来る前も言っただろう? ちゃんともてなしを受けて来なさい。俺のことはいいから」
「ちゃんともてなされてます」
「いや、接待役が困りまくってるから。カノンのために用意された席に行きなさい」
「イヤです。師匠は私が男の人に囲まれてるの見て何とも思わないんですか?」
カノンのために準備された席は何だかホストクラブで豪遊している姫の様な席だ。そこでカノンが楽しそうにしているのを想像すると確かに微妙な気持ちにならなくもない。そんな村井の心境の変化を見透かしたかのようにカノンは得意げに告げる。
「私は、師匠のことよく見てるので変なことはしません」
「……じゃあソフィと一緒に」
男女問わず囲まれているソフィアの方に目を向け、カノンを送り出そうとする村井だったが、不意にカノンがすっと目を細めて尋ねて来た。
「師匠? さっきから私のこと遠ざけようとしてますが……まさか、自分が女の人を侍らせたいからじゃないですよね?」
「邪推は止めてもらおうかカノン。そんな訳ないだろう? 俺はただ、歓待役の人が物凄い困っているのを見て少しくらい協力した方がいいと思っただけだよ?」
自分でも思っていた以上に早口になってしまったのを自覚して村井はそう告げる。そんなあからさまな状態の変化に、聡いカノンが気付かない訳もなく、カノンは村井に疑惑の眼差しを向けて来たが、仕方がないと言わんばかりの口調で言った。
「……そういうことにしておいてあげます」
口ではそう言いつつもカノンは自分が村井の横に来る前に村井に対応していたお酌係や話し相手の綺麗な女性を少し睨んでから村井に視線を戻す。
「で、接待役の人が困っているのは自業自得です。私は師匠と一緒にいることを強く要望したのに変なのを呼んだ方が悪いです」
「……変なのって。カノン、例えばだけど【地獄巡り】討伐凱旋パーティとかあっただろ? その時とかどうしてたわけ?」
「ソフィアさんに引き受けてもらって帰ってました。師匠が倒れてるのに遊んでる暇はないに決まってるじゃないですか」
少し質問が悪かったか。そう思いながら村井は別の問いを口にする。
「……学校のパーティとかは?」
「チェリーナさんが引き受けてくれてます」
「カノン……」
「な、なんですか……師匠がいる時はちゃんと出ますよ」
残念なものを見る目で村井がカノンを見ると彼女は少したじろいた。しかし、ここは少し言っておくべきだろうと村井はカノンに告げる。
「カノン、いつまでも俺が一緒に居られる訳じゃないんだからさ」
「……お祝いの席で、空気を悪くしたいんですか?」
「いや、仮にカノンと俺が結婚したとしても常に一緒って訳には」
「その時はちゃんと既婚者として相応しい振る舞いをしますよ。少なくとも、あんな男性ばかりのグループに入るのは違うと思います。それから、カノンと結婚するってもう一回言って下さい」
剣でも敵わないが口でも敵わなくなってきた。村井は何とも情けない気分になったが、カノンの言うことにも一理あると思ってしまう。
「……はぁ。もういいや。好きにしていいよ」
「はい。じゃあ、もう一度カノンと結婚するって言って下さい」
「言ってないし、そんな軽い思いで口にするものじゃないから止めておく」
「……そう、ですね。言われて嬉しい言葉ではありますが、ここぞという時に言ってほしいというのも分かります。でも、それはそれとして言って欲しいです」
(……カノン、飲んでるのか?)
ちょっと言動が怪しいカノンを見ながら村井はワインを傾けた。巨大な魔力を持つカノンは基本的に解毒能力にも長けているのでアルコールの分解能力にも優れているのだが村井と一緒に居ると微妙に下戸になる。
本人曰く、安心して気が緩むからということだがエマの見立てでは他のことはさておいて村井関連については日頃から色々と我慢していることが多く、酒が入って少し緩んだだけで理性が決壊するのだろうということだった。
理由はさておき、村井と一緒だと村井に対して絡み酒になるカノンはいつも以上に近い距離で甘い言葉をせがんでいる。当然、周囲の目がカノンに集まっている状態でそんなことされれば世間体がマズい。村井は酔いで弱った理性を強く持ってカノンに水を勧めた。
「はぁ、これ飲んで落ち着け」
「こっちがいいです」
グラスに透き通った冷たい水を入れてカノンに渡した村井だったが、カノンはそれを拒否して村井が飲んでいるワイングラスを手に取った。人前でここまで大胆な行動に出るのは
(これは別席に案内された後に誰か飲ませたな……)
ワイングラスを回して香りを引き立ててから口に運ぶカノン。堂々たる仕草だが、カノンはまだワインよりもぶどうジュースの方が好きであることを村井は知っているので無理をしている様にしか見えない。特にこのワインは酸味が強く、村井の口にも合わないものだったので飲み慣れていないカノンからすれば美味しくないだろう。
「カノン、無理して飲まなくても」
「師匠が飲んでるから美味しいかと思ったのに……」
「いや、グラスに入れたからには飲まないと」
そこで周囲に居た人が村井も別に美味しいと思ってこれを飲んでいたわけではないということを知った。すぐに彼女たちはグラスの交換を申し出て、正直もう飲みたくなかった村井はその申し出を受け入れて新しいグラスを手に入れた。
「じゃあ次はどれにします?」
「あの、英雄様にお酌をさせる訳には……」
「大丈夫です。慣れているので」
「……いや、慣れてないだろ。百歩譲って何回かやっただけで慣れたとしても今回は知らない場所の名産品なんだからカノンはおすすめの味とか分からないだろう?」
周囲の女性が村井のお酌係に返り咲こうとするのを阻止するカノンだが、村井から尤もな言い分が言い渡された。
「師匠、そんなにこの人たちのお酌がいいんですか?」
「いや、正直お酌はどうでもいいけど折角説明する人がいるんだから美味しいものを食べたり飲んだりしたい」
「成程。それなら皆さんは説明だけしてください。師匠に飲ませるのは私です」
「は、はい……」
村井の素直な言い分は通った。しかし、今回の主役である英雄様の方へのもてなしは出来ない。接待役は悩んだ。村井も接待役たちが困っているのを感じている。
(ただまぁ、カノンとしては楽しそうと言えば楽しそうなんだよな……)
甲斐甲斐しく世話を焼いては笑顔を向けてくるカノン。酔いながらの言動であるため本心からこうしたいと思ってのことだろう。村井はそれを見て嬉しいと思うよりもカノンの将来が心配になった。
(カノンはダメンズメーカーな気がする……言ったら怒られるから黙っておくが)
似たような趣旨の発言をした際には「私が誰にでもこんな態度を取ると思ってるんですか?」と怒られた。今回はカノンも酔っているので前より怒りそうだと判断した村井は黙っておくことを選択する。
「師匠? どうかしたんですか?」
ただ、考え事をしているとカノンもそれにすぐ気づく。村井はそれを勧められた酒が美味しかったということで誤魔化すが、それを聞くとカノンは村井のグラスに口をつける。
「……前よりは飲めますね」
「カノン、無理しないでいいから」
「あ、あの、こちらでしたらお二人で飲めるかと」
「……グラスは1つでいいです」
ワインの説明をしていた接待役の女性に空気読んでくださいと言わんばかりの視線を向けたカノンはその後も村井と同じ飲食物をシェアして酔い潰れるまで村井の世話をするのだった。
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