第48話
「……これが海ですか。何だか独特の匂いがしますね」
帝都の近郊を流れる河を舟で上り、別の支流に入って川下りをすること三日。そこから更にクラーケン討伐の依頼があったトーポシーの町に近づくために海沿いの街道を二日間走っていた馬車の中でソフィアが外の景色を見て同行者二人にそう告げた。
彼女が感心しながらも奇妙なものを見る目で海を見ているのを横目で見てカノンは軽く先達の意見を述べる。
「その内慣れます。ただ、あまり長いこと潮風に晒されていると髪が傷むらしいので気を付けてください」
「へー……カノンちゃんは大丈夫なの?」
「私は魔力が多いので」
「じゃあ私も大丈夫かな~」
海を見ながら呑気に会話するソフィアとカノン。間に挟まれた村井は何とも居心地が悪そうだった。
(向かい合わせの方が絶対にマシだった。こいつら二人になると対抗心か何かで手に負えなくなるな……)
傾国の美女二人に挟まれて馬車の御者からは羨望の眼差しを受けているが、本人的には気が休まらない旅だった。カノンは頑として自分の傍から離れないし、ソフィアもそれを見習って村井の近距離にいる。そんな感じで村井とソフィアが近いとカノンが更に対抗心を燃やしていつも以上に接近してくるので非常にやり辛かった。
(別に悪いことはしてないし、本人としては親切心でやってるんだろうが……お世話されるのは慣れないなぁ……)
献身的に自分を支えようとしてくれているカノンを見て何とも言えない気分になる村井。英雄には英雄らしく行動してもらいたかった。押しつけがましい願望だと理解してはいるがそんなに健気に献身されると何だか村井の方が悪いことをしている気分になるのだ。
「どうしました? 何かありましたか?」
村井が誰も悪くないのに罪悪感を抱きながらカノンを見ているとカノンが心配そうな顔で村井の顔を覗き込んで来る。周囲に見せる顔とは違う不安気な顔。そんな顔をされると村井も困ってしまう。彼は内心とは無関係な言葉を口から出した。
「……もうすぐ着くが、準備は」
「それなら大丈夫です」
「そうか。それならいい」
ぶっきらぼうにそう答えると村井は手元の本に目を落とす。トーポシーの街並みが描いてあるガイドマップだった。その中の船着き場の一角にバツ印がつけてある。
(人の味を覚えたクラーケンが船の停泊所に居座って船を破壊しては人を呼び寄せる現状。依頼者のトーポシーの港湾労働者組合からすれば少しでも早く討伐して欲しいそうだが……長旅の疲れもあるし、明日にするか)
事前の予定を変更しない方針を固める村井。そんな彼の手元にある地図をカノンが覗き込んできた。彼女は村井の地図を見て静かな力を込めて告げる。
「一刻も早く倒してあげないと、ですね……」
「え~? 今日はお休みしましょうよぉ。万一ってこともあるかもしれないし」
ソフィアの言葉にカノンは何か言いたそうな顔をしたが、村井を見ても彼が何も言わないのを受けてその何かを口に出さずに飲み込んだようだった。
「分かってます。急いてことを仕損じては何の意味もないですからね……」
「まぁ、確かに事前情報的には弱そうだったけど、油断したら怒られますよ?」
(どこが弱そうなんだよ……事前情報だけで普通の冒険者の魔術を弾く皮膚に斬撃を大幅に弱体化する粘液、衝撃を吸収する弾性のある体に代替可能な多数の重要臓器と異常な回復速度。どれを取っても厄介な相手じゃないか……)
近隣にいた討伐を行うに当たって適性ランクにあると言われた冒険者たちの全てが討伐失敗という結果に終わっているというのに二人は気楽なものだった。その分、とでも言えばいいのか村井が気苦労することになる。
(確かにエマは同じ様な奴を秒殺したが……あれが出来るのはエマくらいなものだ。二人はどうやって戦うつもりなんだろうか……?)
クラーケンとの戦いを見ているだけでいいと言われている村井だけが町が近付くにつれて不安を大きくさせる。しかし、彼が何を思おうともはっきり言葉にしない限り馬車はトーポシーの町に彼らを運んでいく。
そんな不安を抱きながら両手の花の呑気な会話を聞いている内に気付けば町は既に目の前にまで迫っていた。
「もうすぐ着きます。馬車はこの辺りまでになるので預ける手続きをしてきますね。長旅お疲れ様です」
「あぁ、ここまでお疲れ様。引き続き頼むよ」
大河を挟んで帝都側に位置するトーポシーの町の入り口付近で馬車の御者が村井に到着を告げる。冒険者ギルドの彼が滞在中の手続きや帰りの御者もやってくれるとのことだ。そんな彼とトーポシーの町に入った後のことについて村井が会話している間にカノンが村井の会話を邪魔しないような声量で呟く。
「凄いですね……水の都とはよく言ったものです」
トーポシーの街並みが肉眼で見えるようになってカノンが感心した声を漏らす。目に見える限りでも町の入り口が水路となっており、ゴンドラが客を待っている。地図を見れば町中に張り巡らされた水路や運河、大小様々な橋に石造りの街並みの数々が彼女たちを待ち受けているとのことだ。
「お待たせしました。では、参りましょう」
案内人らしき渡し守に書類を渡してゴンドラに乗り込む一行。そんな彼女たちだが乗る場所で若干揉めてから移動を開始した。
「……カノンちゃんアキトさん好き過ぎでは?」
カノンに押し負けて二人掛けの椅子に一人でゆったりと座ったソフィアがカノンに対してぽつりと漏らす。それに対して端に十分なスペースがあるのに村井がいる中央に寄って彼と腕を組んでいるカノンは澄ました顔で答えた。
「何か問題が?」
「……ナンニモナイデス」
「ですよね。あ、師匠。魚がいます。捕まえて食べますか?」
「……いや、大丈夫」
体温が直に伝わってくる距離でカノンは村井と楽しそうに会話をしている。渡し守はカノンを口説くのは諦めてソフィアを口説きたいと思ったが、二人の間に陣取って甘い空気を醸し出す村井とカノンが邪魔でそれも出来ない。出来そうなのはすぐ隣にいるギルド員との世間話くらいだった。
「本当にこの方々があの【地獄巡り】を倒した英雄たちなんですか?」
「えぇ。帝都では有名な方々ですよ」
「あの男性は運がいいですね。帝都でも名高い美女二人に囲まれて……」
「そうですねぇ」
和やかなムードで談笑する男性陣。輪に入れていないのは村井だけだ。しかし一々間に割って入るほどの会話でもないので村井はカノンの相手をしながらそちらを少し見るだけに留めておいた。それよりも後方からの仲間外れにするなというソフィアの圧力の方が村井は気になっていた。
「カノンちゃ~ん、そんなにアキトさんにべったり座るなら私もカノンちゃんの隣に入れたんじゃないかなぁ?」
「師匠の隣は私です」
「そっちじゃなくて、端の方」
「師匠が窮屈になるのでダメです」
今も肩身が狭い思いをしているとは言わないでおく村井。代わりに尤もらしいことを言っておく。
「カノン、これから共闘するんだからソフィのことを邪険にしない」
「してません。師匠が最優先だから後回しにしてるだけです」
「……もうちょっと柔らかい対応にしてあげてくれ」
「次から善処します」
あんまり信用ならない言葉で濁したカノン。村井もその辺りを突き詰めると自分の立場が窮地に追いやられるので追及は諦めた。曖昧な対応で誤魔化した二人に対し、ソフィアは拗ねた。
「せっかく私が仲良くしようとしてるのに。あーあー。酷いなぁ」
「動いてる船の上で移動するのは危ないから我慢してくれ。ギルドに着いてから埋め合わせはするから」
「ホントですね? カノンちゃん」
「……まぁ、はい」
気乗りはしないが、村井が言うのであれば。そんな気持ちを隠しもせずにカノンはソフィアの言葉に頷くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます