第46話

 村井の記憶喪失にカノンが少し悪知恵を働かせた日の翌日。カノンはいつもの様に始業時間ギリギリに登校し、特別カリキュラムを受けて下校しようとしていた。

 ただ、カノンが帰る直前に彼女の学友であるチェリーナから声が掛けられる。先日のパレードの後に開かれた式典までは何の問題もなく参加していたカノンが祝賀会で早退した件について心配していたため、声掛けしてきたようだ。


「カノンさん、先日は祝賀会を早退なされたそうですが……体調の方は如何でしょうか?」

「私は大丈夫です。ただ、師匠の方が少し……」


 村井の体調不良を理由にして皇女チェリーナとの会話もそこそこにエマから間借りしている家に帰ろうとするカノン。その様子を察してチェリーナは少し言葉を選んでから口を開いた。


「あの……カノンさん。あの方が気になるのは分かりますが……少しは社交界に顔を出しておかないと、後で色々と困りますわよ? 今のところ私の方で対処出来る範囲ですので大事には至っておりませんが」

「ご心配とご対応ありがとうございます」


 心配そうに忠告してくれる友人にカノンは慇懃に頭を下げて礼を言った。しかし、続けて出た言葉はチェリーナの忠告を無視するものだ。


「ただ、放っておくと師匠がどうなるのかわからないので今は社交界などにうつつを抜かしていられる場合じゃないんです」

「まぁ、そんなに具合が悪いんですの?」


 驚くチェリーナにカノンは暗い面持ちで続ける。


「はい……ただでさえ病後で弱って判断力が鈍っているのに昨日の謁見の際に一緒にいたエルフたちが今、同居中で甲斐甲斐しく師匠の世話を焼いてるんですよ……私の役目なのに」


 暗い表情で紡がれるカノンの話を聞いていて恋の病で重症なのはカノンの方だなとチェリーナは察した。しかし、彼女は文句を言わない。応援すると決めたのだ。


「仕方ありませんわね……正直に言ってしまいますと、カノンさんを紹介してほしいという殿方が山の様に居て私も困っているのですが……私の一存で全てお断りさせていただきますわ」

「はい。お願いします」


 内容も聞かずに即決でそう告げるカノンにチェリーナのお付きをしているテルーは少し内容を知っているため、勿体ないと口を溢した。だが、二人の間にはそんな感情は一切ないようだ。


「頑張ってくださいまし、カノンさん」

「ありがとうございます。リーナ様。では、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 高速で去って行くカノンを見送ってチェリーナはテルーを連れて陰謀渦巻く皇族、貴族の世界に戻っていくのだった。





「ただいま戻りました」

「お帰り。何かおやつない?」


 エマの帝都の家に戻ったカノンを出迎えたのはエマだった。彼女はカノンが戻って来るなりお菓子を要求してくる。極稀にチェリーナとのお茶会で皇族が食べるような高級茶菓子を持って帰って来ることがあるからだ。それ以来、エマがこう言ってくることはよくあることなのでカノンは慌てずにエマに訊き返す。


「家の中にあった分は……」

「もう食べた」

「でしたらないですね。作りましょうか?」

「うーん……まぁいいや。もうアキトが夕飯作ってるし出来るまで我慢しよう」


 おやつがないことが分かると部屋に戻っていくエマ。カノンが今、村井が料理中という情報を得て少し急ぎ気味で廊下を進むと当の村井がキッチンから顔を出した。


「お。お帰り」

「師匠! すぐお手伝いします」


 急ぎの移動からぱたぱたと駆け込んで荷物をリビングに投げ捨てるとカノンは村井の隣に立ち、手を洗うとエプロンを着用した。そんなカノンを村井は軽く注意する。


「服が汚れるかもしれないだろ。着替えてからにしたら?」

「大丈夫です」


 笑顔で寸胴鍋を煮込んでいる村井の隣に立つカノン。早速料理開始。そんなところにソフィアもやって来た。


「あれ? 私もお手伝いしようと」

「大丈夫です。師匠には私がいるので」

「そ、そう? じゃあ寝室の掃除してきます……」


 カノンの目力を前にソフィアはそそくさと逃げて行った。安堵と共に得意気な顔をして村井を見上げるカノン。凄く褒めて欲しそうな飼い犬の顔をしていた。


(……今の一連の流れのどこに褒める要素が?)


 対する村井はカノンの視線の意味がよくわからなかったので取り敢えずスルーしておいて料理を進める。

 しばらくして家中にいい匂いが漂い始めるとエマが部屋から出て来てリビングに顔を出した。彼女は新婚夫婦よりもいちゃつこうとしているカノンを見て微笑ましい物を見る目を向けた後に二人に尋ねる。


「後どれくらいで出来そうかい?」

「んー、まぁ後10分ってところかな」

「そうか。ならリビングで待つとしよう」


 テーブルに着いたエマ。その後、ソフィアが掃除を済ませてリビングに戻ってくる頃には料理が出来上がり、配膳されていた。


「それじゃいただきます」

「はいどうぞ」


 全員が揃ったところで食事が始まった。美味しそうにいっぱい食べてくれるエマの食事を見ながら通常の量の食事を摂るカノンと村井。しかし、今日のエマはいつもと少し違った。ハイペースで食べ進めた序盤から中盤になるといつもと違いゆっくりになって溜息をついたのだ。


「どうした? 珍しいな」


 体調でも悪いのかと村井が声を掛ける。それに対してエマはスープを一口スプーンで掬って飲んでから答える。


「いや。このご飯もそろそろ食べ修めになるなぁ……と思ってね」

「うん?」

「エマ様、もう魔具を作りに出るんですか?」


 エマの言葉に込められた意味を理解したのはソフィアだけだった。そのソフィアの発言でカノンと村井もエマの発言の意味を理解する。


「もう行くのか」

「うん。アポイタカラは手に入ったし、君の怪我ももう大丈夫だろう? 僕の帝都での用事はこれで済んだ。後は当初の予定通り魔具を作るのと……君が元の世界に戻るための準備も並行して進めようと思ってね。早い方がいいだろう?」

「悪いな」

「別にいいよ。君の帰還に僕の計画も乗せてもらってるからね。それより、ソフィをよろしく頼むよ。面倒見は良いんだけど割とドジを踏む子だからね」


 すました顔でそう告げるエマ。ソフィアも否定せずに恐縮して愛想笑いを浮かべていた。六魔将が一人、【地獄巡り】討伐の一件ではドジで済まされない失態を侵した自覚があるのだろう。それを突っ込むのも野暮なため、村井はエマに別の質問をすることにした。


「因みに、これからどこに行くつもりなんだ?」

「うーん、そうだね。まずは僕の研究仲間のところに行こうかと思ってる。そこで君のことを話してもいいかな?」

「元の世界に戻るためなら仕方ない。話が広まらないように配慮してくれるならエマの判断に任せる」

「ん、任された。じゃあ明後日ぐらいに出るとしようかな」


 案の定、急な話だった。村井は腕を組んで少し思案する。


「明後日か。早いな……ギルドマスターは時間作れるかな?」

「別に見送りは必要ないよ。用があれば【転移石】で来るし」

「そうは言っても色々と立場があるだろうし、単純に物凄い慕われてるじゃないか。何もないのは可哀想というか……」

「別に今生の別れという訳じゃないし、そんなに気にすることでもないよ。あの子も人間にしてはいい年だしね」


 澄ました顔でそう告げるエマ。ひとまず、エマがざっくりと立てた予定では明日で出かける準備を整えて明後日の午後には帝都を出るということだったので村井たちもその日程でエマが動くという認識を持って行動予定を立てるのだった。



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