第45話

 パレードと式典を終え、その後の祝賀会はソフィアを残して途中で抜けたカノンは疲れている身体を押して誰にも見つからぬように拠点に高速移動で戻って来た。


「はぁ……ただいま戻りました」

「おかえり」


 カノンを出迎えたのはエマだった。彼女がわざわざ玄関までカノンを出迎えて来たことにカノンは少し首を傾げるもおなかでも空いたのかと適当に話を片付け、彼女は村井の気配を探って客室に向かう。


 エマはそんなカノンについて来た。


「……? どうしたんですか?」

「いや、アキトが僕の魅力に負けてえっちぃことをしようとして来たからちょいっと制圧したんだけど」


 エマの可愛らしい口から出て来たのはとんでもない嘘だった。自然とカノンの目が鋭くなる。


「は?」

「その後、どうなってるかなーって思ってね」


 飄々と聞き捨てならないことを抜かすエマを見てカノンは少し思案する。確かにエマは傾国の美少女だ。同じく傾国レベルの美少女であるカノンから見ても非常に魅力的に見える。ここのところ美女や美少女に囲まれるだけ囲まれて性欲を発散出来ていない村井が過ちを犯す可能性もなきにしも非ずだ。カノンは色々と考えた。


 そして出した言葉は……


「……師匠に酷いことはしてないですよね?」


 今一、師匠を信じ切れていない言葉だった。嘘が通ったことでエマは内心で笑みを深めつつお道化て告げる。


「ちょいっと捻っただけさ。ちょいっと」

「そうですか……我慢できなくなったなら私に言ってくれればよかったのに……エマさん。もしかしたら少しの間、外に出てもらうことになるかもしれませんのでその時はよろしくお願いします」


(……キマってるなぁ)


 内心で笑いながらエマはカノンと共に村井が眠っている部屋に入る。そして少し前にギルドで飲み明かした後に掛けた覚醒魔術の改良版を村井に掛け、彼の意識が覚醒に向かっているのを確認した後、二人に背を向けて扉の方に向かった。


「じゃ、僕と会うのは少し気まずいだろうから。僕は気にしてないけど、同じ過ちは勘弁してくれとだけ伝えておいてくれ」

「はい。大丈夫です。そういうのは私がちゃんとするので」


 カノンの言葉を背に、一度部屋を出るエマ。それを見送ってカノンは村井の枕元に顔を寄せる。


「師匠、大丈夫ですか?」

「う、ん……?」


 未だぼんやりとした様子で目を開く村井。ひとまず、目を覚まさないようなことにはなっていないとカノンが安堵したところで村井からとんでもない発言があった。


「ここは……?」

「師匠? どうかしたんですか?」

「師匠? 誰が?」


 村井の返答にカノンは即座に只事ではないと判断し、返事もせずに瞬速でリビングにいるエマを呼びに行った。


「エマさん! 師匠に何をしたんですか!」

「……ん? ちょいっと」

「それはもういいです! すぐに来てください!」

「はーい」


 エマの手を引いて村井の下に急いで戻るカノン。唐突に現れた二人目の美少女を前に、村井は緊張した様子を見せた。


「えっと……?」

「元気そうじゃないか。やぁ、僕ならもう気にしてないから二度としないでくれればそれでいいよ」

「何の話?」

「おや……」


 そこでようやくエマは村井の様子がおかしいということに気付いた……という態で演技をする。村井が心配なカノンはエマの様子をそこまで見ておらず、彼女の演技にまんまと騙されてしまっていた。


「……うーん? ちょいっとやった時に頭でも打ったかな。記憶が混濁してるみたいだね」

「……そうみたいですね。因みにお二人は……」

「僕はエマ。君の主治医みたいなものさ」


 適当なことを言っておくエマ。しかし、あながち間違いという訳でもない。それに対してカノンは心配そうな顔で村井に寄り添って尋ねる。


「アキトさん、分かりますか? あなたのカノンです」

「え……ごめんなさい。ちょっと分からないです……」

「そんな……私のことも分からないんですか? あんなに愛し合ったのに」

「え、ちょっとカノンちゃん?」


 エマから突っ込みが入る。その前にカノンが無言で村井から見えないようにエマを軽く目を細めて見て威圧した。それを受けてエマは何も言わずに肩を竦める。


 内心では、大笑していたが。


(聞いたかい? アキト。無知につけ込むっていうのはこういうことだよ)


 そして、記憶が混濁しているはずの村井にテレパスで会話を持ち掛けていた。それに対して村井も呆れたように内心で応じる。


(いや、カノン……捻じ込むなぁ……)


 そこには記憶も完全な状態の村井の意識があった。エマの術で心身を少しだけ分離させて表に出て来れないようにされていたのだ。そのため、表に出てきている無知な自分が勝手に言葉を紡ぐのを黙って見ている他ない状況に置かれている。


「愛し合っていた……? えぇ? 俺が、君みたいな綺麗な子と?」

「はい!」


(ここ最近で一番いい笑顔だな……)


 自由を奪われ、勝手に動いて喋る自分の身体から内心だけ乖離しながら村井は現実逃避をしていた。


「本当に……? 何か騙されてるんじゃ……」

「酷いです。私はアキトさんのこと愛してるのに……嘘だと思うなら、試してみますか?」


 そっと手を重ねるカノン。エマのことなど眼中にないようだ。その様子をテレパスで村井と念話しながら大笑いで見ているエマは一応、言っておいた。


「ま、記憶が混濁してるけどすぐに治るよ。あんまり悪戯はしないように」

「聞きましたか? 安静にしましょう……エマさんはありがとうございました。この後は私が様子を見るので少し外に出て貰ってもいいですか?」

「まぁ、いいよ」


 エマが退室する。そしてそのまま家の外に出て行った。しかし、その後すぐに彼女は気配を魔術で遮断した後、【転移石】を使って瞬間移動でリビングに戻った。更に部屋にある監視魔術を起動してこっそりと覗き見を開始する。


(どうなるかなー)


 そんな呑気なことを思いながら彼女は焼き菓子を食べるのだった。


 一方の寝室。カノンは村井と一緒のベッドに入って彼に密着し、彼の頭を自身の胸に寄せて優しく撫でていた。


「アキトさん。痛いところや苦しいところはないですか?」

「いやー大丈夫だと思うけど……カノンさん、でいいのかな。「カノンです。敬称はいらないですよ?」そ、そう。カノン、ちょっと近いというか……」

「嫌ですか?」

「い、嫌ってわけじゃないけど! ちょっと、ドキドキし過ぎて気が休まらないというか……」


 村井のその言葉を聞いたカノンは笑みを深め、更にぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫です。楽になって来ますから……」

「いや、でも……」


 尚も渋る村井にカノンは繰り返し大丈夫と告げ、村井を落ち着かせる。そして村井が黙ったところでカノンは口を開く。


「大丈夫です。アキトさんが私を忘れても、私はずっと一緒にいますから」

「……ごめん」

「いいんです。一緒にいてくれればそれだけで私は……」


(カノン……)


 切なる訴えに村井も申し訳ない気分にさせられる。何も知らない自分と違い、現状を理解している村井の内心からすればカノンの大丈夫という言葉はカノン自身に言い聞かせている様にしか見えなかった。可哀想な少女を更に虐めている様に思えて来る現状。しかし、別室のエマはそんなことなどお構いなしのようだ。


(何か飽きて来たね。欲望のままにセックスでもするかと思ってたんだけど期待外れかな。動きがなかったら元に戻すから準備して)

(は?)


 感傷をぶち壊して来るエマ。色々と思うところはあったが、エマのマイペース加減は村井もどうにもならないと知っているので諦めて元に戻る心構えだけしておく。

 そうしている間にもカノンと記憶のない村井の会話は続いていた。カノンは村井のことを抱きしめながら切に頼む。


「アキトさん。記憶がない今、一方的な約束になるかもしれません。でも、これだけはお願いします。私のこと、見捨てないでください。お願いします」

「正直、何が何だかわからないけど……ッ!」


 突如痙攣する村井の身体。カノンは驚いて村井を少し離して様子を窺う。そこには少し目つきの悪くなった……いつもと変わらぬ村井の姿があった。


「し、師匠?」

「ってぇ……カノン? 何だ? どういう状態だ?」


 しらばっくれる村井。心が身体から乖離していた時の出来事はなかったことにするつもりだった。カノンもその方が好都合なのでそれに乗って現状を適当に誤魔化す。


「え、えっとですね……師匠がエマさんに劣情を持て余して襲い掛かったので、その後始末を私が申し付けられまして……」

「襲い掛かった記憶はないんだが……」

「じゃ、じゃあ勘違いなんですかね? えへへ……と、取り敢えず失礼します」


 いそいそとベッドから出て部屋を立ち去るカノン。村井はベッドの上に横になったままそれを見送って彼女が退室した後に独りごちる。


「あのままエマが放置していたらどこまで行ってたことやら……カノン、思っていたよりもかなり思い詰めてそうだな……」


 そう言って村井はベッドに身を投げて再び色々と思考を巡らせるのだった。



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